日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

クリスマスコンサート

2015-12-22 12:59:44 | 日記
喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。(詩編100編2節)





12月19日は安田美穂子さんを迎えクリスマスコンサートでした。神戸女学院声楽科出身で、教職、その後ミュージカル、そして医師と結婚され3人のお子さんの母です。しかしながら7年前ご主人に死別。ご主人から「讃美歌を歌い続けて」と言い残されていた。医療法人の継承、賛美歌手、母親と多忙な日を送られていたが、近年、長男さんが医師として帰って来られた。クリスチャンならこその深い祈りと心の奥底に伝わる素晴らしい賛美で広く用いられています。

実はカメラマンを頼まれ、中古で買った X10のカメラのデビューでもあります。まだまったく慣れて
いないですが、発色は良さそう。もっと使いこなさなきゃなりません。コンデジなのか?昔のカメラの様な。。。





開演前のピアノです。







ソプラノの美しい歌声にうっとり。明るい楽しいキャラクターに富んだ方で、普段も大阪のおばちゃんといった方です。





楽しい時は瞬く間ですね。以下は夫が撮ったのですが、視線が違い、玄関を撮ってまして、アレー
アートになってるやんか、と掲載しました。私はつい必要で会場と声楽者を撮ってますが、違って
面白いでしょうか。(彼は一眼レフです。)





上の言葉
(心に喜びがあってこそクリスチャンの真髄です。聖霊が心に入って下されば、おのずと喜びがあふれるのは不思議ですね。勿論多難な時もありますが、どこかに平安があるものです。もし喜びがほとんどないと言う人はもう少し、祈り主を更に求めて頂きたいものです。)


初冬の公園

2015-12-20 08:49:03 | 日記
人の歩みは主によって定められる。主はその行く道を喜ばれる。(詩篇37:23)





宇治植物公園の紅葉を撮った事がないので、11月25日ころ出かけました。しか~しこれはもう冬では?と思える風景が広がっていました。葉はちじれ、赤くなったと思われる上の葉は散っている。落ち葉はいつもきれいなんですが、汚い。なんとも哀れな姿です。



茶室様の建物のそばの南天は美しく咲いていました。



白の侘助がそばで可憐に咲いていました。





この公園には落ち葉のころしか行った事がないのです。落ち葉が綺麗なので紅葉ときも綺麗と思ったのですが、、、



水面にはこれこそものの哀れですね。京阪神の紅葉は全体的によくなかったです。でも暖かかった
ので、楽させてもらったと思います。

上の言葉
(我々この道を行きたい、と思ってもどうしても行けない事が多い。自分の能力、体力、状況様々ですが。でも皆、神様から与えられた賜物があります。その賜物を精一杯努力すれば、必ず、神様は祝し
喜んでくださる事は確かです。)

建物

2015-12-16 09:47:12 | 日記
何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。(ピリピ人への手紙4章6節)



PC苦手な私は、昨日まで更新書式が変わって、アタフタしてましたら、今日は以前に戻ってました。
GOOさんが余りに出来ないので戻して下さったのでしょうか?助かりました。

詩仙堂の建物の中からお庭を見ましょう。東山の懐に抱かれたこの場所。近くには曼殊院、修学院...
その他、有名な名所が点在しています。以前は静かな里山だったのでしょう。少し西へ歩けば白河通りに出ます。









お座敷の床の間です。





さぞ雪の日も美しい佇まいでしょう。万両や南天の赤が引き立ち、つくばいの音は凍ってしまうでしょうか。音がすれば風流ですね。



満喫して詩仙堂を後にしました。

上の言葉
(まさに今の私の心境です。息子の家族が保育園症候群から持ち帰った風邪が息子に1か月半ほど頭痛
があり、やっと癒されたと思えば、今度は中学生症候群?から軽い風邪?がまた皆に行き渡り、息子はなんと10年ぶりの扁桃腺の高熱。仕事は休まず何とか過ごしてますが、ここでもアタフタ。

やはり人間ですね。心騒ぎがいたします。でも昨夜から祈ってばかり。そのほかでも重要な事が重なり
右往左往。難局を何とか癒し、解決できますように、と唯ひたすら祈り守りを願っています。)

2015-12-15 09:45:25 | 日記

わたしに着いて来なさい。(聖書)

大きな寺ではなく詩歌の為に作られたこの庭。静かな風と水の流れがあります。京都には多くの
名庭がありますが、好きな庭の一つです。自分が落ち着ける為でしょうか。

根がしっかり張ってますね。

落葉の時期です。ものの哀れですが、一句生まれそうな気がします。

椿は冬の花ですから、紅葉が終わりを告げひっそり咲いていました。

この茶室はいつもじっくり見てしまいます。多分茶道をしながら詩を練られたか。

黄葉を愛でる人達です。

この門がまた風情がありますねぇ。

上の言葉
昨日小集会のクリスマス会で楽しい時を過ごせました。
ある姉妹が、家族にイエス様の事を伝え様とすれば、多くの病の人や貧困の人がある、それを何故助けてくれないのか?と言われるとのこと。私も一見、ウーとなりそうですが、始めに人類が神の前で罪を犯した。それが今も付きまとう。それがある限り、神は苦しみは終わらないといってられた。クリスチャンでさえ信じ悔い改めても、人はまた繰り返し知らないまま罪を犯す。だからこの世を去るまで、苦しみは付きまとう。クリスチャンはその苦しみにより、悔い、また神に赦しの祈りをする。その繰り返しです。

普通の人は悔い改めがない。むなしい人生なのです。クリスチャンは天の希望をもっています。
それだけの違いです。長けたキリスト者ほど、永遠、天の希望を抱いてることでしょう。

イエスは私に着いて来なさい。と絶えず、本でもTVでもたまにキリストに関する番組がありますが、呼びかけておられるのです。それに従いたいと思う人は僅か。

だから苦しさは全部の人間なんです。それは始めのアダムとエバによりますから、キリストがこの世に再び来られるまで、避けることは出来ません。)





詩仙堂

2015-12-12 11:00:01 | 日記

ガリラヤの風かおる丘で 人々に話された 恵みの御言葉を わたしにも聞かせて下さい。(新聖歌40)

今月の4日、眼の検診の帰りに詩仙堂へ行きました。黄班変性症の検診なら、瞳孔を開くので、眩しく、とてもいけないですが、表面のドライアイですから楽でルンルンです。
まず門前のお店の紅葉が綺麗でした。残念ながら境内の紅葉は美しくなかったです。

竹が所々にあって、この寺?の庭の作りや佇まいに惹かれ、何度か訪れています。静かな
東山の懐にあり、静けさとしっとりとした落ち着きが心癒されます。

庭に回れば小さな池があります。何故かここの映り込みに惹かれます。

ここは立派な建物でもなく、昔丈山という方が晩年詩歌集を楽しむために作られた屋敷
との事です。さぞ素晴らしい詩が生まれると納得します。

柿の木が1本あって、親しみやすさがが感じられます。

上の言葉
(ガリラヤというイスラエルの北部ですが、そこでイエスは民衆に御言葉を話され
ました。この聖歌を聞きながら、私もその場で聞きたい!そんな衝動にかられます。
どんなに心に染み渡った事でしょう。多くの人々が付き従いました。)