日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

ナザレの町

2017-02-17 09:25:29 | 日記
「神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救を得させる悔改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる。」第二コリント7:10



マリアセンターを後ニナザレの町の下の方に向かいました。賑やかですね。イエスの宣教の拠点であり、長く暮らされたとこですが、当時は小さなな町だった事でしょう。マリアセンターの箇所で張り付けて来なかった住居跡を貼ります。マリアさんたちの村でした。





2000年も経てば5mも下になるのですね。





大きなダクロを売っていました。日本ではダクロを売ってるのを見た事はないですが、大きいでしょ。このダクロのジュースを飲みましたが、大変おいしいでした。実はどんな味がするのか食べたいものです。





下町という感じがして親しみやすいです。



山手の家並みも美しいです。







日本と変わらないものでしょうか。





この国は鳩が多い気がします。砂漠も町もよく見かけました。

上の言葉
 二つの種類の悲しみがあります。「みこころに添うた悲しみ」は聖霊に導かれた悲しみで、人の心を浄化する力がありますが、「世の悲しみ」は感情や情動に支配されたもので、人の心を暗い闇へ引き込み、罪を犯させることになります。世にあって悲しみを避けることはできません。しかし、神様のみこころを深く知るゆえに生まれる悲しみを味わうことは幸いです。(KE)

イスラエルの旅 マリアセンター(ナザレ)

2017-02-15 22:33:05 | 日記
「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。」ヤコブ1:5



ナダレのマリアセンターへ行きました。ここは神学校になっています。日本の可愛い女性が案内して下さいました。将来シスターでしょうか。





この建物の地下は2000年前、マリアが住んでいました。20戸程の集落だった様です。地表から5mも下がっています。2000年もたつと変わるのですね。







スクリーンで日本語でマリアが受胎する過程を描かれたのを見せて頂きました。







美しい街並みです。





もう早梅の季節なんですね。夫が風邪をこじらせ閉じこもっていましたが、私も礼拝や体のメンテで医者へ行く以外は閉じこもっていました。ようやく良くなったので、出ないと余計なまるでしょうか。

上の言葉
神様は求める者に惜しんだり、ケチったりする方ではありません。それどころか、必要なものを満たすばかりか、溢れるばかりにゆすり入れてくださいます。そのためには、疑わないで信じて求めなければ得られません。神様は出来ないことのない方です。信じて、人にではなく、主に期待しましょう。(KE)



 イスラエルの旅 受胎告知教会

2017-02-14 15:28:45 | 日記
「ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。」ローマ11:33





次にナダレに向かい受胎告知教会を見せて頂きました。ナダレはイエスが長く住み、宣教の拠点でした。





イエスの降誕にはすべての福音書に記されています。御使いが処女マリアに訪れ、「あなたは身ごもります。聖霊によります。神に不可能な事はありません。その名をイエスとつけなさい。その子は神の子と呼ばれます。」といった。マリアはどうしてその様な事が成りえましょう。。。といった。しかしマリアは「おことば通りにこの身になりますように。」と言った。
何とすなおな信仰でしょう。当時、未婚で子を宿す事は石打の刑になるのです。いいなずけヨセフにも御使いが訪れマリアにおこるすべてを告げ、ヨセフも受け入れました。ヨセフはマリアが生むまでマリアを知る事はなかったのです。





欧州の様に豪華ではないですが、美しい教会です。





ステンドグラスも美しい。イスラエルはまだプロテスタントは入り込めないのでしょうか。カトリックばかりでした。複雑な宗教事情によるのでしょう。



色んな国から贈答がありました。日本からは細川ガラシャ夫人が子供を抱いている美術品がありました。





教会は建物ではないといいますが、美しさに憧れます。





ナダレの街は案外大きくて山手と下町がある様です。変化があり魅力的です。







ステンドグラスに見入りつつ後にしました。

上の言葉

人は知らないことに不安を感じ、分からないことをそのままにしておくことができないのです。なんとか、理屈や説明をつけて納得しようとします。しかし、私達はどんなことでも、またこれからのことでも、全部を知り尽くすことができません。神様の豊かな知恵と知識により神様のみこころに従って導かれているからです。何もわからない自分であることを認めて、神様のご愛の手に委ねてみわざを期待しましょう。(KE)









イスラエルの旅 アルペル山(ガリラヤ湖周辺)

2017-02-14 15:28:45 | 日記
「イエスは言われた、『石を取りのけなさい』。」ヨハネ11:39a




28日は前日ガリラヤ湖で添乗の先生が、明日はあの山に登るのですと言ってられた、アルペル山に登りました。登るといってもバスがかなり登ってくれるので、200m程登るだけですが。石がゴロゴロして他は草原で春になれば花で綺麗でしょう。





頂上へ着けば見晴らしが360度開け絶景でした。少し雨が降って遠くは霞みます。



見渡せば町や村が見えます。



霞むのはガリラヤ湖でしょうか。



また断崖絶壁の所もありびっくりです。



春か夏にこの地へ来たいものです。



帰りもゴロゴロしています。

上の言葉
ラザロは死んで四日たっていました。イエス様が来たときにはすでに墓に葬られていたのです。主はその墓に来られて、塞いであった石を取り除けよと言われました。多くの人はいくらイエス様であっても、死んだ者を生かすことは出来ないと思いました。確かに、死んだらおしまい、何もできないと思うのが世の常です。「石」は不信仰の姿です。イエス様は神であって出来ないことのない方です。それを妨げているのはあなたの心の「石」ではないでしょうか。(KE)



イスラエルの旅 カペナウム(ペテロの教会)

2017-02-13 08:48:10 | 日記
「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。」黙示3:17



カペナウムとナザレはイエスの宣教の拠点でした。弟子ペテロが住んでいた場所に教会が建てられていました。

帰ってから画像の整理をしていますと、ここは何処だったかな?この教会はどこだったかしら?と解らなくなります。ガイドさんの説明が皆頭にはいる訳はないですから、困った。ネットで調べてそうだった、と解る始末。ましてこの場所でコンデジの電池が切れて余計困りました。







この祭壇の前の石は当時のもので、私も手を置きましたが、なんだったっけ?ペテロはイエスに「私の羊を飼いなさい。」と言われた場所だったと思うのです。





ペテロはおっちょこちょいで、直ぐ決断を出す人で愛すべき人でした。でも人間です。イエス様にどんな事があっても従う、と約束していても十字架にかかられると、イエスを裏切りました。人間は約束していても重要な事には守れないものです。でも彼はイエスの昇天後聖霊により変わりました。素晴らしい伝道者、牧会者になったのです。







素朴な教会ですが、彫刻がなされています。



上の言葉
「汝自身を知れ」と、ある哲学者は言いました。確かに、人(他人)のことはあれこれと目に付きますが、自分の欠点や弱いところ、自分がどんな者であるかがわかりません。先ずこのことを認めて、みことばの光に照らされ、聖霊の力によって、自分を知ることが大切です。(KE)