日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

植物の境界線?

2017-04-25 08:49:44 | 日記
「この世界と、その中にある万物とを造った神は、天地の主であるのだから、手で造った宮などにはお住みにならない。」使徒17:24







ここの植物を見ておりますと、ますます、山野草と普通の野草の境界線に思えます。この標高から高くなるにしたがって、植物が変わって行くでしょう。京都では比叡山が標高800m位。山野草はあまり望めないですね。ここの地点は450m位かも?



どこにでもあるフエマメ?





ニリンソウだけは大量にあります。





まぁ、フキノトウが過ぎていました。





小さなショウジョウバカマが咲いていました。これは山野草。



名前が解らないのです。以前住んでいた低い土地ではこれらの植物は殆ど見れないです。植物は面白いですね。



ヒメオドリコソウ、これは宇治田原でよく見かけます。

上の言葉
日本には各地に神社仏閣があります。そこは神仏の宿るところとして大切にされていますが、本来、神なる方は人の手で造られたものなど必要ありません。この言葉に続いて、「また、何か不足でもしておるかのように、人の手によって仕えられる必要もない」とあります。神様はご自身で完結充足した存在です。神様が私たちを求めてくださるのはただ憐れみによるのです。(KE)





山野草の丘

2017-04-24 08:48:02 | 日記
「イエスは、また人々に語ってこう言われた、『わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう』。」ヨハネ8:12





向かう道なりで山をあがめればまだ桜が美しいです。山桜かも解りません。山笑うとはこの事でしょうか。



もう早田んぼに水を入れ、茶摘みが間もなく始まるので、宇治田原の田植えは超早いです。



椿もまだまだ綺麗に咲いています。



丘に着きました。坂が案外急で本当は畑ですが、狭い所なんです。信州の様な広大な山野草でなく、標高の低い地域で寒い場所の山野草です。まずニリンソウの群れです。





お向かいの山に桜が。





山野草と野草が混合して生えている場所です。まずニリンソウからタンポポ、なんと土筆が今頃出ていました。

上の言葉
昔、ギリシャのある哲人は日中ランプを灯して、「暗い、暗い」と言いながら町中を歩き回ったとのこと。彼は日の光があっても人心は暗く世は闇だと語ったのでしょう。勿論、ランプではどうにもなりません。イエス様こそが「世の光」です。現代は彼の時代よりももっと漆黒の闇の中です。イエス様のみことばに従って光の中を歩いてください。(KE)

社で遊ぶ

2017-04-23 08:22:39 | 日記
「五羽のすずめは二アサリオンで売られているではないか。しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいない。」ルカ12:6



宇治田原の入口は郷の口。それからかなり走らなければ奥山田には行けません。トンネルを抜ければ空気が違ってきます。ヒヤーとするでしょうか。奥山田から信楽へ入れば今度は寒くなります。標高によりこんなに変わるのは良く体験しました。それなりに植物も変わります。信楽ではまだ若葉もなにも無くて、桜が少し咲き初めでした。そこへは食事に行っただけでありますが。





奥山田に道なりに神社がありまして、まだソメイヨシノが美しい!と思い入りました。もうかなり散ってはいますが、貴重な桜。パチリしましょう。



その横がかなり前に廃校になった奥山田小学校。立派な建物ですのに、寂しいですね。宇治田原もここは大変不便でしょう。郷の口あたりは宇治から15分で、スーパーやベッドタウンがありますが。



若葉が美しいです。誰もいない神社。丘の上ですから思いっきり深呼吸しました。





桜が美しいのです。国道からも目だって思わずこちらへ入ってしまいます。こちらへ入ると向こう側も少し桜が見えます。



シャクナゲや椿が咲いていました。



下の菜の花畑も美しいですが、少しもう見頃は過ぎたかな。

さぁ、目的の山野草へ行かなきゃ。



山の若葉が出て来たばかりでしょう。これから益々美しくなるでしょう。

上の言葉
「すずめ」ほどありふれた鳥はいません。また誰一人見向きもしません。そのような鳥でさえ神様は忘れていないのです。まして、万物の霊長と言う私たちを忘れることがあるでしょうか。神様の知恵、力、知識は人の計り知ることのできない大きなものです。人が不可能と思うことでも神様には出来ます。人の知恵で神様を小さく限ることなく思いっきり信頼しようではありませんか。(KE)



水ぬるむ里山

2017-04-21 23:54:37 | 日記
天では、あなたのほかに、だれを持つことができましょう。地上では、あなたのほかに私はだれをも望みません。この身とこの心とは尽き果てましょう。しかし神はとこしえに、私の心の岩、私の分の土地です。(詩篇73篇25,26節)



昨日やっと宇治田原へ行けました。最も奥地の山へ入って山野草を目的としてますから、目の悪い私一人では自信がありません。夫に早く起きてもらって6時過ぎに出発。今は日の出が5時半でしょうか。霧は期待は出来ないでしょう。



やはり霧はないですが田原川ではカラシナがよく咲いていました。ソメイヨシノはすっかり散って、八重桜が見頃と思っていましたが、全く咲いてなくて、やはり気温の異常でしょう。直ぐ奥地へ。



奥地ではよく桜が咲いて、やはり寒いのでしょう。しかしソメイヨシノも八重桜も咲くというちょっと頭かしげます。



山の霞みはありますから嬉しいですね。



花筏にも出会えました。



シャクナゲが咲いていました。もう何もかも1度でしょうか。



菜の花畑も美しいでした。寒冷地の様に何もかも1度に咲くとは、いくら宇治田原でも例年と違います。

上の言葉
私の最も好きな御言葉です。喜びも苦しみもありますが、この世では私も人を頼りません。お互いに罪深いですから。いつかこの身は尽き果てますが、主に頼り、天に凱旋が大きな喜びです。

庭のイカリソウ

2017-04-21 08:54:44 | 日記
「それから人々にむかって言われた、『あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらないのである』。」ルカ12:15



山野草に興味を持ち始めて出会ったのは白馬の平地のペンションの近くでした。清々しい朝、散歩に出かけイカリソウと筆リンドウに出会って、小さいけどこんなかわいい山野草が高原にはあるのだ、と嬉しくなりました。



そして庭にも植える様になったのです。でもなかなか育てるのが難しい。家は元小高い山だったでしょうが、そう高くないですから。夏の暑さにやられます。ミスミソウ。ニリンソウ、ショウジョウバカマ、イカリソウ、山野草系のボケ、山野草系のキイカタクリ、山野草系のアヤメ、それくらいしか育ちません。そうそうショウジョウバカマは汚いのでかっとしました。





普通イカリソウは白ですが、ピンクの種類が売っていたので買って来ました。



もち育てるのは夫であります。私はノータッチ。彼は熱中してましたが、今では教会の花に熱中。庭は花が少なくなりました。今まで一面に沢山種類がありましたが、こっそりした感じになってこれもまたいいでしょう。



上の言葉
最新の医療設備があり、最新の居住区間に住み、栄養管理された食事をして、物質的には全く不自由のない生活が出来ても、それが命ではありません。では、何が命なのでしょうか。創世記には「命の息」を吹きいれられて生きるものとなったとあります。まさに、神様の命を頂く以外に生きることが出来ないのです。(KE)