日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

8月22日  御言葉をあなたへ

2019-08-22 09:31:13 | 日記

「しかし、わたしはこのために、この時に至ったのです。」ヨハネ12:27d
 
 人は人生にあって、抜き差しならない事態に直面し、自分の命に代えても引き受けざるを得ないことがあります。イエス様の十字架もそのような時でした。自分の存在理由が問われるときです。そのとき、怖れたり、不安になり、逃げ出したくなるのは当然ですが、しかし、他の人が取って代われないのです。つらくとも、苦しくても、わたしは「このために、この時に」生かされたことを確信して、神様の求めに従いましょう。必ず勝利です。(KE)
 
 
 
                 宇治川  散歩道より
この頃、家族との会話を遅くまでやってしまって朝が起きにくい。写真は朝夕なのに不謹慎です。
近場でもいいや、と宇治川の毎度の散歩道をぐるりと。たまに来ますと「観光地だ」と感心。
綺麗です。山に囲まれていますから水は緑です。
宇治田原も行たいですが、6時出発ですからね。きっと霧があっていいでしょう。6時にまだ寝てる
事ではダメです。あの頃の鋭気を取り戻さなきゃ。
 
写真のついでに目的は三室戸方面に向かう道に美味しいお好みやさんがあり頂くのです。
デザートまで食べて後で夫は太った!と後悔してます。体重を減らすには?食養生しか仕方ない
のですが、体質で細い人が羨ましいです。

8月21日  御言葉をあなたへ

2019-08-21 08:56:38 | 日記

「イエスは答えられた、『本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである』。」ヨハネ9:3
 
 生まれながら目の見えない人の原因は神様にあると、主は言われます。神様はご自分のわざを見せるためにこのような状態に置かれたのです。不足している、欠けていると思うどのようなことでも、神様を前に置いて見るとき、事態が変わってきます。マイナスからプラスへと変わります。弟子達の視点とイエス様の視点との違いは神様をどこに置くかです。(KE)
 
 
 
               平等院通り
3度ほど気温が低くなったとはいえ、日が射してくると暑い!夏の旅に出かけられなかって
残念だったのですが、秋こそ、と思っています。今は平地では花は夏枯れですね。
庭にも殆ど花はありません。高原へ行けばいいのですが。遠いのでなかなか。
 
朝夕の風景ならどこでもいいのですが、寝るのが遅くなって、、家族と話すのは楽しいですが、
なかなか起きられないです。困った。

8月20日  御言葉をあなたへ

2019-08-20 09:05:17 | 日記

「主は旗をあげて遠くから一つの国民を招き、地の果から彼らを呼ばれる。見よ、彼らは走って、すみやかに来る。」イザヤ5:26
 
 人が待ち合わせるとき、よく目につくものを目標にします。しかも高く掲げられたものほど分かりやすい。神様はご自分の民とするために旗を立てて私達を招いて下さいました。その旗こそイエス様の十字架です。この旗を目指して集まる者たちを救ってくださるためです。「すみやかに」主の招きに応じて旗の下に参集しようではありませんか。(KE)
 
 
 
 
                平等院通り
やっと夜が25度以下になり昼間も33度位になって凌ぎ良いです。38度は辛くて家族も熱中症に
近い症状で困ってました。でも今はそういった症状に効く飲み物があって直ぐ楽になるから
いいですね。今年は梅雨も遅くまであったし、早く気温が低くなりそうで良かったです。
いつも祇園祭までに梅雨が明け、9月末まで真夏日の年もあるので、今年はましかも!?
 
今日は久し振りに写真に出かけようと思っていましたが、豪雨予報。それに雷。
残念だけど、またの機会まで待ちましょう

8月19日  御言葉をあなたへ

2019-08-18 22:21:29 | 日記

「怒りをやめ、憤りを捨てよ。心を悩ますな、これはただ悪を行うに至るのみだ。」詩篇37:8
 
 人が怒ったり、憤るとき、その原因を探ると、なんともつまらない原因であることが多い。冷静になって考えると、どうしてこんなことで怒ったのかと恥ずかしくなることばかりです。しかし、ご本人にしてみれば自分の命すら惜しくないほど重大なことだと思いこんでいます。そこには神様を忘れて、自分が神様になっていると云うほかありません。自尊心、義侠心、正義感など、何一つ人の徳を高めるものではありません。(KE)
 
 
                平等院通り
礼拝で永遠の命について深いメッセージを聞き、その豊かな自分の恵みに感謝しました。
息子との会話で、ゴルフアーは有名な人は数億という利益があるとか。日々の生活で
苦しんでいる人もあるのにえらいものだな!!つい「あんたもそんな人になってくれたら、、、」
なんて言ってしまった。「そんな事より永遠の命をもらっている方がお金に変えられない
恵みやのに!」と言われてしまった。今朝、聞いたとこなのに人間は忘れ、つい目の前の
大きな快楽に惹かれるな、と同感。今あるのに充分に感謝するところが一杯あるのに、
欲があるのですね。内なる罪の表れです。
 
教会での美味しい食事と、姉妹との楽しい会話の時を与えられました。

8月18日  御言葉をあなたへ

2019-08-18 08:20:39 | 日記

「もしその供え物が牛の燔祭であるならば、雄牛の全きものをささげなければならない。」レビ1:3a
 
 旧約時代、神様への捧げものを定めた律法の一節です。ここで強調されていることは、神様への捧げものは完全なものでなければならないことです。人に対して贈り物をするとき、出来るだけ良いものをと心がけます。ましてや、相手は神様ですから、微細な不足も許されない。となると、人は何を捧げることが出来るでしょうか。不可能です。しかし、幸いなことにイエス様は私達のために全き供え物となったのです。感謝、感謝!(KE)
 
 
 
               平等院通り
台風が過ぎ2度ほど気温が下がったでしょうか。でも35度はあり熱帯夜。
早く涼しくなって欲しいです。
 
今日で9日間の大人の休みは終わり。息子も家族サービスに努めた様子。
また夫が熱中症みたいになり、1泊でパチリに行く予定は中止。もう
元気になったのですが、残念です。
 
今日は礼拝。少しでも主の御霊に満たされ成長させて頂きたいものです。