日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

1月13日  御言葉をあなたへ   冬の花

2020-01-12 20:41:33 | 日記

「わたしはわたしを求めなかった者に問われることを喜び、わたしを尋ねなかった者に見いだされることを喜んだ。わたしはわが名を呼ばなかった国民に言った、『わたしはここにいる、わたしはここにいる』と。」イザヤ65:1

 まことの神様は私たちを造られた方でありますから、被造物である私たちが神様を求め、知ってほしいと願っています。ですから、いろんな時に、様々な方法で神様がいますことを表しておられます。大切なのは、私たちが神様を知りたいと切に願うことです。求めるなら、身近なところで神様に会うことができます。(KE)

教会へよく来られる方でもなかなかイエス様の事が理解出来ない方があります。

世の中、偶像の神々は日本だけでも1万。キリスト教がカトリックやプロテスタント

合わせてもキリストが唯一の神。しかし教派は多くある。あってもキリストのみ。

ユダヤ教、は創造者なる父なる神で、一人子キリストを認めず、ダビデの様に

国を富ませてくれる王をいまだに待ち望んでいる。(創造者の神、一人子キリスト、

信じたらあたえられる聖霊は3位⒈体で同じ。)

イスラムも創造者の神を信じているが、旧約聖書の1部分しか信じていない。聖書の

何が真実かが解る人は幸いです。それはキリストの中にしかありません。


1月12日  御言葉をあなたへ   冬の花

2020-01-12 09:23:51 | 日記

「もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。」ローマ6:8

 「キリストと共に死ぬ」、これが十字架の奥義です。その意味はイエス様のためにと信じて、自分の一切を顧みない、捨てることです。そうすると、言い表せない生きる喜びを味わいます。まさによみがえりのいのちに生かされることを確信します。死んで生きる人生こそ、新しく生まれることです。死ぬことが不徹底ですと、生きる喜びも得られません。今日も一つ一つのわざにあって、よみがえりの主と共に生きようではありませんか。(KE)

品種の少ない冬の花ですが、よく見れば案外あるものです。

それとも我が家は特別かも。夫が外へ出れば小遣いで花を

買って来ますから。でも花を見てますと、春の花の様に

美しくはないですが、心安らぎますね。椿の花が蕾を一杯

着けています。楽しみですね。冬の寒さに耐え美しい花を

咲かせるのには脱帽。


1月11日  御言葉をあなたへ  冬の花

2020-01-11 09:39:13 | 日記

「しかし百卒長は、パウロの意見よりも、船長や船主の方を信頼した。」使徒27:11
 
パウロがローマへ護送されていく途中、暴風の季節になり、しばらく時を待たねばなりませんでした。しかし、少しでも先に進みたい思いがあり、百卒長は思案しました。パウロは危険があるから、今の港で過ごそうと勧めましたが、百卒長は経験があり、知識のある人を信頼しました。パウロは航海術に優れた人ではありません。しかし、彼には神様からの知恵があったのです。神様のみ心を知ることをまず求めようではありませんか。(KE)

 

           我が家の庭

冬は椿、山茶花、千両位しかなくて彩の少ない季節に思えますが、案外花は

あるものです。余り名前は知りませんが。毎年咲いてくれるのは椿で長く

咲きますね。まだ侘助は咲いていて落ち椿がありました。儚げですが、これも

またヨシ。夫が気に入った花を買って来るので助かります。

昨夜、知人が長浜へ行った御土産を持って来てくれました。私達よく行く

所ですが、彼は琵琶湖べりでなく、街中のホテルで大浴場に何度も入る

様です。足腰の悪い奥さんを連れてよく行って、帰ってこれたものです。

大きな駅にはエレベータを利用して、駅に着けばホテルの車が迎えに来るとか。

身体が悪くなっても何とか行けるものです。


1月10日  御言葉をあなたへ 民家   

2020-01-09 21:58:51 | 日記

「神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである。」マルコ3:35

 イエス様に救われて信仰生活をするようになると、教会で出会う同信の人々と新しい人間関係が出来てきます。学校や職場が同じという関係や親兄弟など肉親関係とも違って「信仰」という一点でつながったものです。しかも、その関係は、50年60年と、生涯続きますから、家族以上の親密さが生じます。また、信仰を失うと消えてしまう関係でもあります。まさに神の家族となるのです。不思議な交わりです。(KE)

 

                                           湯屋谷

民家の塀からのツタ紅葉が印象的でパチリ。

これを最後に帰路に着きました。

今やもう1か月前の事です。今年も早10日。同年の友や知人には

もう年賀状を出す気力のない人もある。寂しい事ですが、これも

個人差があり、まだ出せただけでもいいです。中にはネット友で5歳

も下なのにどうやら認知症?でも人の事は言ってられない。

私もなるかも?そうかと思えば、近所で100歳、奥様92歳の

夫婦もあります。まさに100歳時代か!


1月9日  御言葉をあなたへ

2020-01-09 10:50:04 | 日記
「すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。」第二コリント4:15
 
 「神の栄光」とは超人的なわざ、天然自然の特異現象や異変などのようなものではありません。人生に起きるどんなことも、「益」であることを認め、恵みとして感謝することこそ「神の栄光」になるのです。つぶやいたり、嘆いたり、悲しんだり、怒っているなどは、逆に栄光を汚すことにほかなりません。あなたが喜び、感謝して、輝いていることを神様は願っています。(KE)
 
 
 
 
                 湯屋谷
湯屋谷から奥山田には水が清く澄んでいるのかわさびを見る事があります。
わさびと言えば安曇野を思い出ざしますが、そんな空気が狭い範囲ですが、あるのでしょうね。
またこの神社には二輪草の群生も見た事があるので長野に少し似た気候も存在するのでしょう。
 
お正月が済んで日常が帰って来てますが、バーバは年中休日かな?
相方は整理整頓に勤しんでいます。よう出来るな、と感心。