これ、絶版だけどネットで読めるんですね。で、読んでみました。これは小説として旨い!もっとも、近頃のネット右翼は無教養だから、この小説のことなんて知らないんでしょうけどね~。というわけで、簡単に感想っ。
この作品は、「夢の話」という形をとった幻想譚で、中身はというと、「左慾<サヨク>」による革命が起こって、天皇皇后と皇太子夫婦がギロチンにかけられるというもの。
で、この作品に怒った右翼が作品の掲載された中央公論社に対してテロ事件を起こしたといういわくつきの作品なんですよね。(嶋中事件)
そして、作者である深沢七郎は放浪生活を余儀なくされ、作品自体を封印。全集にも収録されず、幻の作品となっていたというわけ。(まあ、ひと一人亡くなってますからね。責任を感じたのでしょうが…。)
ただ、作者に無断で出版されたことは何度かあって、わたしも入手しようとしたんですが、値段がつりあがっちゃったからなあ~。
というわけで、長らく未読でした。
で、ここからは作品自体の感想っ。
結論からいうと、わたしはとてもテクニカルな小説だなあと思って感心しました。
どのあたりがテクニカルなのかというと、現実と夢とのズレを巧妙に描いているんですよ。つまり、日常感覚とのズレをところどころに書き込むことで、幻想譚としての不思議さを演出している。
冒頭の不思議な腕時計の話に始まり、「いつもはこうなのになぜか…」みたいな表現を巧妙にしのばせながら、話が進んでいく。(特にウマイのは、首を切るのに使うマサカリならぬ「マサキリ」に関する主人公のこだわりの部分。)
深沢七郎では『みちのくの人形たち』という短編集で、彼の計算していないように見えて、滅茶苦茶巧みな小説テクニックに驚かされたのですが、この作品も抜群に旨いです。
たぶん、夏目漱石の「夢十夜」や内田百の「東京日記」に比肩するような幻想小説なのではとわたしは思います。
また、内容からいって、この作品はどちらかというと左翼革命に対する不信感を表明している小説でもあって、エキセントリックな右翼の抗議は的外れだとわたしは思うのですが、今の右翼にはどう評価されてるのかな?、
因みに、昭和35年12月には深沢七郎のこの作品が発表され、三島由紀夫の「憂国」が発表されたのは昭和36年1月で、同じ月に大江健三郎の「セブンティーン」が発表。
つまり、ほぼ同時期に「天皇」がテーマとして出てくるような小説が矢継ぎ早に発表されていたってことで、このあたりの背景に何があるのか?きっと何かあるんでしょうねぇ~。
なお、こういう小説を読むときの参考になるのは当時の書評なんだけど、江藤淳のものと平野謙のものが本になっているので、興味のある方は図書館で調べてみては!
それと、深沢七郎はこの後「流転の記」というこの小説の後日談めいた作品を書いていて、こっちは全集で読めます。
以上、興味のある方向けの小説でした!
PS:さすがにこの小説は映画化されないよね~。
<過去に書いた参考記事>
・「「『風流夢譚』の出版自体は罪ではないし、言論の自由として認められるべきだが…
・フェミニスト、深沢七郎!?
・なんか微妙な「大江健三郎賞」。
・三島由紀夫の映画「憂國」のフィルム発見
(参考)
この作品は、「夢の話」という形をとった幻想譚で、中身はというと、「左慾<サヨク>」による革命が起こって、天皇皇后と皇太子夫婦がギロチンにかけられるというもの。
で、この作品に怒った右翼が作品の掲載された中央公論社に対してテロ事件を起こしたといういわくつきの作品なんですよね。(嶋中事件)
そして、作者である深沢七郎は放浪生活を余儀なくされ、作品自体を封印。全集にも収録されず、幻の作品となっていたというわけ。(まあ、ひと一人亡くなってますからね。責任を感じたのでしょうが…。)
ただ、作者に無断で出版されたことは何度かあって、わたしも入手しようとしたんですが、値段がつりあがっちゃったからなあ~。
というわけで、長らく未読でした。
で、ここからは作品自体の感想っ。
結論からいうと、わたしはとてもテクニカルな小説だなあと思って感心しました。
どのあたりがテクニカルなのかというと、現実と夢とのズレを巧妙に描いているんですよ。つまり、日常感覚とのズレをところどころに書き込むことで、幻想譚としての不思議さを演出している。
冒頭の不思議な腕時計の話に始まり、「いつもはこうなのになぜか…」みたいな表現を巧妙にしのばせながら、話が進んでいく。(特にウマイのは、首を切るのに使うマサカリならぬ「マサキリ」に関する主人公のこだわりの部分。)
深沢七郎では『みちのくの人形たち』という短編集で、彼の計算していないように見えて、滅茶苦茶巧みな小説テクニックに驚かされたのですが、この作品も抜群に旨いです。
たぶん、夏目漱石の「夢十夜」や内田百の「東京日記」に比肩するような幻想小説なのではとわたしは思います。
また、内容からいって、この作品はどちらかというと左翼革命に対する不信感を表明している小説でもあって、エキセントリックな右翼の抗議は的外れだとわたしは思うのですが、今の右翼にはどう評価されてるのかな?、
因みに、昭和35年12月には深沢七郎のこの作品が発表され、三島由紀夫の「憂国」が発表されたのは昭和36年1月で、同じ月に大江健三郎の「セブンティーン」が発表。
つまり、ほぼ同時期に「天皇」がテーマとして出てくるような小説が矢継ぎ早に発表されていたってことで、このあたりの背景に何があるのか?きっと何かあるんでしょうねぇ~。
なお、こういう小説を読むときの参考になるのは当時の書評なんだけど、江藤淳のものと平野謙のものが本になっているので、興味のある方は図書館で調べてみては!
それと、深沢七郎はこの後「流転の記」というこの小説の後日談めいた作品を書いていて、こっちは全集で読めます。
以上、興味のある方向けの小説でした!
PS:さすがにこの小説は映画化されないよね~。
<過去に書いた参考記事>
・「「『風流夢譚』の出版自体は罪ではないし、言論の自由として認められるべきだが…
・フェミニスト、深沢七郎!?
・なんか微妙な「大江健三郎賞」。
・三島由紀夫の映画「憂國」のフィルム発見
(参考)
言わなければよかったのに日記 (中公文庫)深沢 七郎中央公論社このアイテムの詳細を見る |
みちのくの人形たち (中公文庫 A 99-3)深沢 七郎中央公論新社このアイテムの詳細を見る |
全文芸時評江藤 淳新潮社このアイテムの詳細を見る |
文芸時評〈上〉 (1978年) (河出文芸選書)平野 謙河出書房新社このアイテムの詳細を見る |
その後,奥崎謙三『宇宙人の聖書!?』(サン書店,昭和五十一年三月)という本を入手して,これに「夢譚」が(海賊版ですけど)掲載されていますので,ときどき読み返しています.
ところで,「これがおいらの祖国だナ日記」というエッセイがあるのを,ご存知でしょうか.『群像』1959年10月号掲載だそうで,わたくしはこれをどこで読んだか忘れてしまいましたが,天皇家の血筋についての,「夢譚」よりもはるかに悪意に満ちた内容を書きつづっています.
奥崎謙三の本をお持ちとは凄い!
「これがおいらの祖国だナ日記」は知らなかったので、教えていただきありがとうございます!しかし、このエッセイって、全集に入っているのかな?(入ってなさそうな…。)
インターネットで検索して,「2ちゃんねる」の「深沢七郎 風流夢談」という項のNo. 21と22に掲載されているのを見つけました.2ちゃんねるのことですので信憑性は保証しかねますが,わたくしのおぼろげな記憶からして,原文どおりに載せているのではないかと,おもいます.
http://mentai.2ch.net/book/kako/1008/10086/1008677355.html
コメントありがとうございます。
ご返事が大変遅れて恐縮です。
「これがおいらの祖国だナ日記」、読ませていただきました。で、消されるとまずいので早速コピーしてファイルに保存してしまいましたよ(笑)!
しかし、これはなかなか過激な表現の文章ですね。
でも、晩年の三島由紀夫が言っていた「インパーソナルな天皇」という考え方にも、ある意味近いのかなという気もしました。
天皇の人格を立派だった云々と評価する戦後のあり方を批判し、その点に関しては昭和天皇に反感すら感じると語っていた三島。
「天皇(制)の非個人的な性格」を表現したという意味では、右翼は簡単にこの深沢七郎の文章を批判できないんじゃないかと思いましたね~。
とても貴重な情報を教えていただき、ありがとうございました。
これは最近発表された天皇批判では最高のものだ、 といった意味のことを語って、 呵呵大笑された。
そうです.(京谷秀夫『一九六一年冬「風流夢譚」事件』(平凡社ライブラリー 158,平凡社,1996年 8月)p. 321).
三島の発言、知らなかったのですが、わたしのコメントも案外大外れじゃなかったんだな~なんて、安心しました。
今後とも、いろいろお教えください!