たまたま森茉莉の『ベスト・オブ・ドッキリチャンネル』を斜め読みしていたら、「若山富三郎は六代目菊五郎に似た雰囲気を持っている」というくだりに出くわした。
さすがにわたしも六代目菊五郎を実際に見たことはないので、真偽のほどはよくわからないが、実物を見たことのある森茉莉が言っていることだし、彼女の感性の確かさを考えるとあながち見当ハズレとも思えない。
若山富三郎といえば、市川崑の「悪魔の手毬歌」が忘れがたい。この映画で警部役の若山富三郎が何か言いたいことを飲み込む瞬間の間(それが岸恵子演じる犯人への愛なのだが)がなんともいえない哀愁を漂わせていて、この辺に六代目の芝居のリアリズムとの類似があるのかな、などと勝手に想像してしまう。
以前現在の七代目菊五郎がテレビのインタビューに答えて、「(黙阿弥物では)五代目は歌うような台詞回し、六代目はあえて歌わないリアルな台詞回しで、自分は両方の線をいきたい。」と言っていた。(因みに「歌舞伎座では六代目調でいいけど、地方巡業では五代目調でいかないと駄目かな」とも言っている。)
案外、学者の研究書の類よりも、森茉莉のような人の何気ない証言の方が、実物を見たことのない人にも感覚的に理解できるようなピタッとした表現を使ってくるので信用できる。(結局芝居も受け取る側の感受性の問題で、不感症っぽい学者では駄目っていうことか?)
因みに、森茉莉によると、十五代目市村羽左衛門より四谷怪談の伊右衛門が似合いそうなのは沢田研二なんだそうだが、これは森茉莉が見ていた頃のジュリーなんだろうな…。理由は「羽左衛門には底抜けの明るさがあるが、沢田研二には怪しさというか妖しさがあるから」というのだが、この辺の芝居の好みはわたしと共通するな。
さすがにわたしも六代目菊五郎を実際に見たことはないので、真偽のほどはよくわからないが、実物を見たことのある森茉莉が言っていることだし、彼女の感性の確かさを考えるとあながち見当ハズレとも思えない。
若山富三郎といえば、市川崑の「悪魔の手毬歌」が忘れがたい。この映画で警部役の若山富三郎が何か言いたいことを飲み込む瞬間の間(それが岸恵子演じる犯人への愛なのだが)がなんともいえない哀愁を漂わせていて、この辺に六代目の芝居のリアリズムとの類似があるのかな、などと勝手に想像してしまう。
以前現在の七代目菊五郎がテレビのインタビューに答えて、「(黙阿弥物では)五代目は歌うような台詞回し、六代目はあえて歌わないリアルな台詞回しで、自分は両方の線をいきたい。」と言っていた。(因みに「歌舞伎座では六代目調でいいけど、地方巡業では五代目調でいかないと駄目かな」とも言っている。)
案外、学者の研究書の類よりも、森茉莉のような人の何気ない証言の方が、実物を見たことのない人にも感覚的に理解できるようなピタッとした表現を使ってくるので信用できる。(結局芝居も受け取る側の感受性の問題で、不感症っぽい学者では駄目っていうことか?)
因みに、森茉莉によると、十五代目市村羽左衛門より四谷怪談の伊右衛門が似合いそうなのは沢田研二なんだそうだが、これは森茉莉が見ていた頃のジュリーなんだろうな…。理由は「羽左衛門には底抜けの明るさがあるが、沢田研二には怪しさというか妖しさがあるから」というのだが、この辺の芝居の好みはわたしと共通するな。
わたしも、『ベスト・オブ・ドッキリ・チャンネル』を読んでいて、この件に突き当たり「オオ!」と思ったクチです。
昔の落語や歌舞伎について、森茉莉が書き残していることっていうのが、実は、もっと注目されていいんじゃないかなぁ?と思うのですが・・・。
なにぶん、実物をこの目で見ていないので、本当のところはわからないですけどね。
森茉莉の言ってることっていいですよね。
でも学問的な歌舞伎研究?からはこういう発言って埋もれてく運命なんでしょうね。ホントはこの手のうるさ型のオバサンの感性(森茉莉ほどの人はなかなかいないにせよ、)が歌舞伎の観客の中心のはずなのに…。
落語で、四代目小さんの「唐茄子屋政談」を聞いているというのは、落語通もビックリでしょうね。わたしは志ん生のCDの「唐茄子屋・・」は好きだけど。
わたしも森茉莉目指して、どんどん言いたい事言おう!
これからもよろしくお願いします!