切られお富!

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新春浅草歌舞伎(夜の部)「毛谷村」「口上」「勧進帳」

2013-01-11 03:22:47 | かぶき讃(劇評)
きわめて簡単ですが、残さないよりマシなのでご勘弁を。

①毛谷村

「埋もれた剣士六助と許嫁で男勝りの女・お園との出会いを描いた幕」と要約しては、なんだか高橋留美子のマンガの世界みたいだけど、歌舞伎の人物設定って、えてして少年マンガめいたところがあるので、気楽に楽しんだらよいんじゃないですかネ。

でも、この芝居のお園という役は、男装した女性を女形が演じるという、幾重にも倒錯した部分を持つ難役なので、役者の芸の問題としては大変。

今回は本当に若い(!)中村壱太郎がたぶん初役(?)で勤めたんだけど、悪くなかったです。虚無僧姿で花道を歩く歩き方が、女の男装という歩き方じゃないといけないんだけど、結構サマになっていました。もちろん、この役を十八番にした今は亡き雀右衛門の名舞台がわたしの目に焼きついていますけど、その域とまではいわずとも、ちゃんと形になっているあたり、身内か先輩の指導が利いているんでしょうね~。

その「男装女」お園が、六助を許婚と知った途端色っぽくなるくだりも、変にあだっぽくならず、コケティッシュに演じたあたり、10年くらい前の浅草歌舞伎で「野崎村」お光を演じた当時の亀治郎を思い出しました。線の細さが似てますからね。

で、この色っぽくなるくだりは、あんまりベタベタやられると剣術少女みたいな清新なイメージが崩れるし、いやらしくなってしまうんですよね、これって誰のことをいってるわけじゃあ~ないけれど(笑)。

また、見た目の現代っぽさに比して、台詞は義太夫狂言らしい古風さを守っていたあたり、祖父藤十郎の教えを想像したりもしました。

さて、六助の愛之助ですが、堅実で悪くなかったです。ただ、仁左衛門だったらもっと明朗な若者として六助を演じただろうなとは想像しますが・・・。そういう意味では堅物っぽい六助ではあります。吉右衛門ならおおらかな青年だし、海老蔵は意外にも朴訥とした若者風、梅玉は柔らかな物腰だったし、富十郎は溌剌とした人物像だった(他だと、こんぴら歌舞伎のときの染五郎の六助も上方風の柔らかさで奇跡的によかった!)。愛之助は口跡がよくなったので、あとは愛之助ならではの表情みたいなものが欲しいなとは感じましたね。

で、ここで面白いと思ったのが、今回の愛之助の六助は、微塵弾正との剣術の試合にわざと負けた後、眉間に傷をつけれらない型で演じていたということ。筋書きによると我當から教わった型だそうですが、「剣術の名人が簡単に眉間を傷つけられない」という理屈は確かにそうかな~とは思います。ただ、眉間に傷があったほうが、見栄え的に面白いという面はありますかね~。吉右衛門の眉間の傷なんか、わたしは好きでしたから。ま、珍しい型を観れたのはよかったですけどね。

他では、微塵弾正の亀鶴がスッキリとした悪役で花道の引っ込みに切れ味があり、吉弥の後室お幸は白髪が予想外によく似合い気品充分、もう少し出番が観たいくらいだった。そして、御馳走といった感じの海老蔵の斧右衛門は眉毛の太い化粧でなんだか三島由紀夫みたいな顔でした。

というわけで、予想外に楽しめた舞台でしたネ。

・七月歌舞伎鑑賞教室 「毛谷村」(国立劇場)(2006年の舞台の感想)
・四国こんぴら歌舞伎(第一部)(2005年の舞台の感想)
・寿新春大歌舞伎 (新橋演舞場) 昼の部(2005年の舞台の感想)

②口上

海老蔵の口上ですが、勧進帳の由来&来歴を語った後に吉例の「にらみ」がありました。たぶん、わたしの観た日(1月5日)は「にらみ」をやる予定ではなかったんだけど、「毛谷村」の斧右衛門役で出てきた際、「今日もにらむよ」とアドリブで言った後にやってくれたので、ちょっと得した気分ではありましたね。海老蔵はやっぱり「にらみ」がよく似合う!

③勧進帳

前回の日生劇場の「勧進帳」が、珍しいくらい酷評された海老蔵。

あの舞台では、海老蔵の弁慶はケダモノのように目を剥き、ギラギラするばかりで、ありもしない勧進帳の文句をでっち上げてのける度胸持ちの知恵者・弁慶とはかけ離れていた。でも、今回は花道の出からして落ち着いていたし、義経を前にした厳かさも感じられて、随分品のいい舞台になりました。

筋書きによると、父團十郎に教わり直したということだけど、自分で修正する能力のあるところがこのひとのクレバーさ。團十郎の弁慶は、その台詞の発声こそ野性味ありますが、所作事体がケダモノ染みて見えることはなかったわけで、元禄歌舞伎的な鷹揚さが魅力のわけでしょう。海老蔵の場合は、その点、もうちょっと鋭角なので、シャープに押し出しのある人物像って感じになる。今回は、ギラギラせず、静かながら強固な意志の人。延年の舞も「踊りを知らない武人」らしい居ずまいだったし、近年の弁慶役者の高齢化(!)を考えると、飛び六法の力感も出色、今まで観た海老蔵の弁慶で一番じゃないかと思いました。ま、あえていうなら、今回の海老蔵の弁慶はストイックな武人の弁慶というイメージかな~。アスリート的というか…。

一方、富樫の愛之助は口跡の明晰さと落ち着きがよい。そういえば、今回の「勧進帳」の成功は海老蔵、愛之助とも若いのに、変に激しくやり合わなかったことにあるのかもしれないですね。でも、弁慶と富樫の間にちゃんと見えない一線がある。逆に、富樫が優し過ぎると厳しい関所に見えないから困るんで、菊五郎の富樫はその点問題ありと常々思いますが…。

で、わたしが感心したのは一度目の引っ込みで頭をくっと上に向ける(涙をこらえる)仕草がきっぱりとしつつ大げさじゃなかった事。ここが大げさだと大泣きみたいでわたしの好みじゃないんですよ。愛之助の富樫は、仁左衛門の富樫の十五代目羽左衛門系ともいえる歌う調子でもなく、さりとて松本白鷗の実録調の富樫でもない中間くらいの印象で、いってみれば堅物の富樫かなとは思います。

さて、孝太郎の義経は意外に気品があり、「いかに、弁慶」の「いかに」の出だしはもう一つだけど、「弁慶~」の発声が伸びがあって気持ちが良い出来。

そして、四天王では松也の亀井が、きっぱりとして見栄えも発声もよい。義経のあとのこの役の台詞が力強くないと花道に緊迫感が出ないと思うんだけど、じつによい亀井だと思いました。これって片岡(壱太郎)、駿河(種之助)が今回若いから余計にそう思えたのかもしれない。

ということで、初芝居から充実した観劇になりました。でも、今年は劇評どこまで続くかな?
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