文楽を観にいったのは本当に久しぶり。
というのも、あまり一般には知られていないが、今東京では空前の文楽ブームなのだ。私は国立劇場あぜくら会に入っているがそれでも油断すると、席が取れない始末。本場大阪ではそれほどでもないらしいので、これは一体どういうことなのか、さっぱりわからない。NHKで吉田玉男、竹本住太夫の人間国宝・二人が以前取り上げられたということもいくらか影響しているのかもしれない。(フジ子・ヘミングなんかのパターン?)
で、本題に入る前に一言断っておきたい。それは、「文楽について語るのは大変難しい」ということ。ストーリーについて語れば、単なる脚本批評で机上の文学批評と変わらないし、かといって義太夫や人形使いについて専門的なことが言えるわけでないし…。(なにしろ60歳過ぎてから、本格的に声が固まる、なんていってる芸なんですから。)
では文楽がつまらないかというと、いや本当に面白いのだ。この面白さの謎は、脚本の文学的アプローチからも、文楽人形の舞台写真集からもこぼれてしまう何かで、それは一種の<リアリズム>なのではないかと最近、思うようになった。素晴しい人形使いになると、芝居と芝居の間の何気ない息遣い、女役だと女性特有の胸で息する動きまでが表現されてしまう。また、義太夫の語りは江戸時代の関西弁で当時の庶民の言葉だ。
一方、歌舞伎は当然ながら人間が演じているわけだが、体の動きに関しては日本舞踊の身のこなしをリファレンスとしているし、台詞回しも独特の誇張があって案外リアリズムから遠い。(このへんを明治になって無理に演劇改良運動でリアルにしようとした九代目団十郎の試みは当時もあまり観客には受け入れられなかった。)
つまり、人形が演じているがゆえに、かえって人形が人間的にリアルな瞬間があって、そこに面白さがあるんじゃないかと。(因みに、歌右衛門の独特の手の動きは文楽人形の手の動きから来たんじゃないか、というのが私が勝手に立てている仮説。)
というわけで、あまりまだこなれていないが、自説を述べたところで、最後に一言。
文楽はとにかく舞台で、それもできればある程度前の方、又はオペラグラス持参で観にいってください。きっと何気ないところで、はっとする一瞬に出会えます。
さて長くなったんで、この辺で本題へ。
第一部
①『双蝶々曲輪日記』
去年一月の国立劇場、中村吉右衛門の濡髪長五郎役での通し上演が名舞台で記憶に新しいところ。
ごくごく簡単に端折ってストーリーを説明すると、無敵の相撲取り濡髪は世話になっている谷町の若旦那(与五郎)と遊女(吾妻)を救うために、わざと相撲に負けたり、追っ手を殺してしまったりします。お尋ね者になってしまった濡髪は、生き別れになった母親に最後ひとめ会うために、母親の再婚先を訪ね、別れを告げるのでした。といったところですが、こう書くとひどい話だな。まあ、この話全篇の底流には身分社会の悲劇というテーマがあるんですけどね。
歌舞伎では通常、「相撲場」と「引窓」が独立した幕として上演され、前者は相撲取り濡髪と放駒の意地の張り合いが見せ場となり、「引窓」はお尋ね者の子と母の別れというウェットな舞台になります。
今回の濡髪の人形は吉田文吾。勇壮で立派な手振り、足振り。
ちょっと気になったことは、濡髪が追っ手を殺してしまうくだり。吉右衛門の舞台では心ならずも殺してしまったという悔恨の腹芸があったんですが、文楽では割と勇壮に殺してしまうんですよね。心ならずもという余韻があったほうが、この狂言の運命悲劇の側面が強調されると思うんですが…。
今回はなんと言っても「引窓」の切り場。
・語り 竹本住大夫。(人間国宝)
・濡髪の母 吉田文雀。 (人間国宝)
・十次兵衛の妻おはや 吉田蓑助。 (人間国宝)
・十次兵衛 桐竹勘十郎
「相勤めまする太夫、竹本住大夫~」という黒衣の声がかかると、大変な拍手。
独特の低いかすれ声から始まる住大夫の語りを聞くのは個人的にも久しぶり。(一時病気休演もあったので。)場内では、「摂州合法辻」のCD(二枚組)が売っていました。
「おじいさんおばあさんが出てくる話は好き」と住大夫本人も語っているように、文雀の母親と住大夫の語りがあいまって、人相を変えるために父親譲りの高頬のほくろを剃り落とそうとするくだりなんかよかったですね。ただ、ちょうど昼時の休憩時間後の上演に当たったのと、歌舞伎でやっても少々冗長でクドイきらいのある段なので、お疲れの方も周りにいたようですが…。
最後、歌舞伎では上演されない「橋本の段」というのが興味深い。内容は、行き場を失った若旦那与五郎が愛人の遊女・吾妻を連れて、出戻りしている妻の実家へ行くという話。(なんか許しがたい話のような気もするが。)そこで与五郎、吾妻、妻のお照、それぞれの父親が鉢合わせして、それぞれに子への情愛を語るのだが…。面白いのは、舞台が始まる前(幕が開いても黒衣による「相勤めまする大夫~」という大夫の紹介が終わらないと、基本的に人形の芝居は始まらない。)、妻のお照が書見台で読書しながら女中に肩を叩かせている、ほのぼのとした雰囲気。この妻お照という役は、ほのぼのとしたお嬢さん役で、のほほーんとした感じがあって面白い。こののほほーん感を肩たたきが表現していると思う。この辺が案外見落とされる文楽の味わい。それと、舞台としては、桐竹紋寿の吾妻の人形の動きが華麗で、玉三郎や竹原はんの腰使いを思わせて良かった。以前見た「神霊矢口渡」のお舟の華麗さに魅了されて以来個人的に注目している人。それにしても、「心中天の網島」もそうだけど、昔の妻はおおらかなんですよね。遊女も大抵苦労人で悪女ではないし。でも男がなんだか…。
②『花競四季寿 関寺小町・鷺娘』
四季というぐらいなんで本来は四つワンセットの舞踊劇。春「万歳」夏「海女」秋「関寺小町」冬「鷺娘」。九月公演だからか、時間の都合からか、今回は秋と冬。
真っ暗な場内からスーッと老いた小野小町の人形を持った吉田文雀の姿が浮かび上がってきたときは、木村伊兵衛のとった吉田文五郎の写真を思い出した。(禿頭が同じだから?というなかれ!)今回は文雀さん一人舞台なので、なにか貫禄みたいなものが客席にも伝わってきた。
「関寺小町」は、老いて杖をついた小野小町が、若い頃無理難題を言って振った深草少将なんかのことを思い出しながら、「花の命は短くて…」というような感慨にふけるという舞踊劇。倒れた木の幹に杖を持って腰掛ける小町のちょっとグロな雰囲気は、冬に近い秋だなという感じだ。
一方、雪景色の中、鷺の精の化身である白の衣装の娘姿の人形が登場するのが「鷺娘」。こちらは、春を予感させる冬なので、途中衣装がピンクに早替りし、華やかな舞台。
ただし一点、衣装がピンクに替わるときに、赤色フィルターを使ったスポットライトが人形に当たるのだが、ちょっと光量が強すぎ。正直眩しかった。
いい舞台だったけど、歌右衛門の「関寺小町」と玉三郎の「鷺娘」のビデオがみたくなってしまった。
第二部
『恋女房染分手綱』
これは正直勉強になった。
歌舞伎では通常「重の井・子別れの段」しか上演されないので、今回のように通し上演でみると今までの印象とは違ったこの狂言が見えてくる。
最初、城中の廊下、女房たちのヒソヒソ話で始まり、重の井の不義密通と人気のなさが語られる。(このあたりが、なんか昔の大映テレビのドラマみたいな伏線だが。)
そして、能役者の娘である重の井と父親・定の進が殿様の前で演ずる能舞台の場。(ここで演じられるのがなんと「道成寺」!)今回、定の進は吉田玉男、重の井は吉田蓑助の人間国宝コンビ。歌舞伎の道成寺でも、能の乱拍子を取り入れた烏帽子をかぶった舞踊では頭を振ってはいけないのがきまりなのだが、能面をつけた頭の背筋をピンとした感じの気品は、さすが吉田玉男。普段繊細な動きを絶やさない蓑助の人形もこの芝居ばかりは、静謐な感じ。「道成寺」の鐘入りで、鐘の中で、娘の責任を取って切腹する定の進。この静謐さと劇的さの兼ね備わった大舞台はやっぱり玉男さんでないと、と思わせるほどの舞台でした。しかし、これほど、文楽人形の演ずる能舞台が面白いとは思いませんでした。こういう趣向の面白さは、原作者が人形遣いだということに起因しているのかもしれません。この一段目だけで、入場料の元を取ったと思ったのは私だけではないでしょう。
こういう、父親の身代わり切腹という十字架を背負って乳母をやっているのが、重の井なわけで、言ってみれば<運命の女>というのが本来の腹なんですね。歌舞伎の「子別れの段」だけみていると、単なる母子物で、どっちかといえば子供の三吉に肩入れしてしまいそうですが。
で、最後「子別れの段」。調姫というネーミングは父親の殿様が能が好きで、謡曲の調(しらべ)からとって「調姫(しらべひめ)」だということをこの日初めて知りました。ここからは、他の人形には悪いですが、蓑助の重の井の一人舞台。近松物のときのような、繊細な動きの心理表現とは違った、凛とした、動きを抑えた乳母ぶり。最後の三吉との別れの場面で、手鏡ごしに三吉の姿を見て、そっと涙を拭うところなどは、大袈裟でなくほんとに小さな身振りで、この瞬間なにか人形でなく生き物のような<リアリズム>が宿って、ハッとしてしまいます。
とにかく、充実の舞台、充実の一日でした。
でも、一日で二部(11:00~20:30)は流石に疲れたな。
・ちらし
というのも、あまり一般には知られていないが、今東京では空前の文楽ブームなのだ。私は国立劇場あぜくら会に入っているがそれでも油断すると、席が取れない始末。本場大阪ではそれほどでもないらしいので、これは一体どういうことなのか、さっぱりわからない。NHKで吉田玉男、竹本住太夫の人間国宝・二人が以前取り上げられたということもいくらか影響しているのかもしれない。(フジ子・ヘミングなんかのパターン?)
で、本題に入る前に一言断っておきたい。それは、「文楽について語るのは大変難しい」ということ。ストーリーについて語れば、単なる脚本批評で机上の文学批評と変わらないし、かといって義太夫や人形使いについて専門的なことが言えるわけでないし…。(なにしろ60歳過ぎてから、本格的に声が固まる、なんていってる芸なんですから。)
では文楽がつまらないかというと、いや本当に面白いのだ。この面白さの謎は、脚本の文学的アプローチからも、文楽人形の舞台写真集からもこぼれてしまう何かで、それは一種の<リアリズム>なのではないかと最近、思うようになった。素晴しい人形使いになると、芝居と芝居の間の何気ない息遣い、女役だと女性特有の胸で息する動きまでが表現されてしまう。また、義太夫の語りは江戸時代の関西弁で当時の庶民の言葉だ。
一方、歌舞伎は当然ながら人間が演じているわけだが、体の動きに関しては日本舞踊の身のこなしをリファレンスとしているし、台詞回しも独特の誇張があって案外リアリズムから遠い。(このへんを明治になって無理に演劇改良運動でリアルにしようとした九代目団十郎の試みは当時もあまり観客には受け入れられなかった。)
つまり、人形が演じているがゆえに、かえって人形が人間的にリアルな瞬間があって、そこに面白さがあるんじゃないかと。(因みに、歌右衛門の独特の手の動きは文楽人形の手の動きから来たんじゃないか、というのが私が勝手に立てている仮説。)
というわけで、あまりまだこなれていないが、自説を述べたところで、最後に一言。
文楽はとにかく舞台で、それもできればある程度前の方、又はオペラグラス持参で観にいってください。きっと何気ないところで、はっとする一瞬に出会えます。
さて長くなったんで、この辺で本題へ。
第一部
①『双蝶々曲輪日記』
去年一月の国立劇場、中村吉右衛門の濡髪長五郎役での通し上演が名舞台で記憶に新しいところ。
ごくごく簡単に端折ってストーリーを説明すると、無敵の相撲取り濡髪は世話になっている谷町の若旦那(与五郎)と遊女(吾妻)を救うために、わざと相撲に負けたり、追っ手を殺してしまったりします。お尋ね者になってしまった濡髪は、生き別れになった母親に最後ひとめ会うために、母親の再婚先を訪ね、別れを告げるのでした。といったところですが、こう書くとひどい話だな。まあ、この話全篇の底流には身分社会の悲劇というテーマがあるんですけどね。
歌舞伎では通常、「相撲場」と「引窓」が独立した幕として上演され、前者は相撲取り濡髪と放駒の意地の張り合いが見せ場となり、「引窓」はお尋ね者の子と母の別れというウェットな舞台になります。
今回の濡髪の人形は吉田文吾。勇壮で立派な手振り、足振り。
ちょっと気になったことは、濡髪が追っ手を殺してしまうくだり。吉右衛門の舞台では心ならずも殺してしまったという悔恨の腹芸があったんですが、文楽では割と勇壮に殺してしまうんですよね。心ならずもという余韻があったほうが、この狂言の運命悲劇の側面が強調されると思うんですが…。
今回はなんと言っても「引窓」の切り場。
・語り 竹本住大夫。(人間国宝)
・濡髪の母 吉田文雀。 (人間国宝)
・十次兵衛の妻おはや 吉田蓑助。 (人間国宝)
・十次兵衛 桐竹勘十郎
「相勤めまする太夫、竹本住大夫~」という黒衣の声がかかると、大変な拍手。
独特の低いかすれ声から始まる住大夫の語りを聞くのは個人的にも久しぶり。(一時病気休演もあったので。)場内では、「摂州合法辻」のCD(二枚組)が売っていました。
「おじいさんおばあさんが出てくる話は好き」と住大夫本人も語っているように、文雀の母親と住大夫の語りがあいまって、人相を変えるために父親譲りの高頬のほくろを剃り落とそうとするくだりなんかよかったですね。ただ、ちょうど昼時の休憩時間後の上演に当たったのと、歌舞伎でやっても少々冗長でクドイきらいのある段なので、お疲れの方も周りにいたようですが…。
最後、歌舞伎では上演されない「橋本の段」というのが興味深い。内容は、行き場を失った若旦那与五郎が愛人の遊女・吾妻を連れて、出戻りしている妻の実家へ行くという話。(なんか許しがたい話のような気もするが。)そこで与五郎、吾妻、妻のお照、それぞれの父親が鉢合わせして、それぞれに子への情愛を語るのだが…。面白いのは、舞台が始まる前(幕が開いても黒衣による「相勤めまする大夫~」という大夫の紹介が終わらないと、基本的に人形の芝居は始まらない。)、妻のお照が書見台で読書しながら女中に肩を叩かせている、ほのぼのとした雰囲気。この妻お照という役は、ほのぼのとしたお嬢さん役で、のほほーんとした感じがあって面白い。こののほほーん感を肩たたきが表現していると思う。この辺が案外見落とされる文楽の味わい。それと、舞台としては、桐竹紋寿の吾妻の人形の動きが華麗で、玉三郎や竹原はんの腰使いを思わせて良かった。以前見た「神霊矢口渡」のお舟の華麗さに魅了されて以来個人的に注目している人。それにしても、「心中天の網島」もそうだけど、昔の妻はおおらかなんですよね。遊女も大抵苦労人で悪女ではないし。でも男がなんだか…。
②『花競四季寿 関寺小町・鷺娘』
四季というぐらいなんで本来は四つワンセットの舞踊劇。春「万歳」夏「海女」秋「関寺小町」冬「鷺娘」。九月公演だからか、時間の都合からか、今回は秋と冬。
真っ暗な場内からスーッと老いた小野小町の人形を持った吉田文雀の姿が浮かび上がってきたときは、木村伊兵衛のとった吉田文五郎の写真を思い出した。(禿頭が同じだから?というなかれ!)今回は文雀さん一人舞台なので、なにか貫禄みたいなものが客席にも伝わってきた。
「関寺小町」は、老いて杖をついた小野小町が、若い頃無理難題を言って振った深草少将なんかのことを思い出しながら、「花の命は短くて…」というような感慨にふけるという舞踊劇。倒れた木の幹に杖を持って腰掛ける小町のちょっとグロな雰囲気は、冬に近い秋だなという感じだ。
一方、雪景色の中、鷺の精の化身である白の衣装の娘姿の人形が登場するのが「鷺娘」。こちらは、春を予感させる冬なので、途中衣装がピンクに早替りし、華やかな舞台。
ただし一点、衣装がピンクに替わるときに、赤色フィルターを使ったスポットライトが人形に当たるのだが、ちょっと光量が強すぎ。正直眩しかった。
いい舞台だったけど、歌右衛門の「関寺小町」と玉三郎の「鷺娘」のビデオがみたくなってしまった。
第二部
『恋女房染分手綱』
これは正直勉強になった。
歌舞伎では通常「重の井・子別れの段」しか上演されないので、今回のように通し上演でみると今までの印象とは違ったこの狂言が見えてくる。
最初、城中の廊下、女房たちのヒソヒソ話で始まり、重の井の不義密通と人気のなさが語られる。(このあたりが、なんか昔の大映テレビのドラマみたいな伏線だが。)
そして、能役者の娘である重の井と父親・定の進が殿様の前で演ずる能舞台の場。(ここで演じられるのがなんと「道成寺」!)今回、定の進は吉田玉男、重の井は吉田蓑助の人間国宝コンビ。歌舞伎の道成寺でも、能の乱拍子を取り入れた烏帽子をかぶった舞踊では頭を振ってはいけないのがきまりなのだが、能面をつけた頭の背筋をピンとした感じの気品は、さすが吉田玉男。普段繊細な動きを絶やさない蓑助の人形もこの芝居ばかりは、静謐な感じ。「道成寺」の鐘入りで、鐘の中で、娘の責任を取って切腹する定の進。この静謐さと劇的さの兼ね備わった大舞台はやっぱり玉男さんでないと、と思わせるほどの舞台でした。しかし、これほど、文楽人形の演ずる能舞台が面白いとは思いませんでした。こういう趣向の面白さは、原作者が人形遣いだということに起因しているのかもしれません。この一段目だけで、入場料の元を取ったと思ったのは私だけではないでしょう。
こういう、父親の身代わり切腹という十字架を背負って乳母をやっているのが、重の井なわけで、言ってみれば<運命の女>というのが本来の腹なんですね。歌舞伎の「子別れの段」だけみていると、単なる母子物で、どっちかといえば子供の三吉に肩入れしてしまいそうですが。
で、最後「子別れの段」。調姫というネーミングは父親の殿様が能が好きで、謡曲の調(しらべ)からとって「調姫(しらべひめ)」だということをこの日初めて知りました。ここからは、他の人形には悪いですが、蓑助の重の井の一人舞台。近松物のときのような、繊細な動きの心理表現とは違った、凛とした、動きを抑えた乳母ぶり。最後の三吉との別れの場面で、手鏡ごしに三吉の姿を見て、そっと涙を拭うところなどは、大袈裟でなくほんとに小さな身振りで、この瞬間なにか人形でなく生き物のような<リアリズム>が宿って、ハッとしてしまいます。
とにかく、充実の舞台、充実の一日でした。
でも、一日で二部(11:00~20:30)は流石に疲れたな。
・ちらし
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