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読書の秋ということで、「積読本整理週間」にはいっているわたし。というわけで、ドラマにもなるらしいこの小説を電車の中で読んだんだけど、こんなに読み終わるのに苦労した小説って久々。何度ホームから投げてやろうと思ったことか。この際だから、<ネタバレ含む>で、いいたいこといわせてもらいます!!(白岩玄ファンの女子は他のページに移動してください!男子はさすがにいないでしょ!)
最初の3,4ページでまず匙を投げた。食べ残したトーストについて「放火殺人死体遺棄の容疑」と表現したり、「俺は超高速でシャワーを浴びて体をキレイにすると~」、はたまた、11月にしては寒い日の登校に関する記述の一行目「寒い。寒いよパトラッシュ。」などなど…、あなたはどう思いますか?。
とにかく、心底こころが寒くなるような貧困な表現のオンパレードで、この作者が普段まったく小説を読まないというのも頷ける。要するに、言葉だけが持つ魔力みたいなものを経験していないし、そもそもそういうものの存在も信じてはいないということだろう。でもこんな作者を「才能がある」と評している高橋源一郎は大丈夫なんだろうか?(だからいまどき高橋源一郎の小説なんか読む人っていないんだろうね!!)
で、ストーリーはデブでいじめられっ子の転校生を人気者にプロデュースするっていう話なわけだけど、冒頭モーニング娘の話題から入るってのはみえみえの伏線。主人公の男の子自身も学校での自分を「着ぐるみショー」といってのけているわけで、一応クールに振舞っているんだけど、自分が仮面を被って生きているというテーマは昔からあるものでまったく新鮮味はない。
いじめっられっ子を人気者にプロデュースする方法も案外ベタで意表を突くものでもないし、つんく♂もこんなプロデュースに比べられちゃあ心外だろう。
そして、最後はいじめられっ子をプロデュースしていたはずの主人公があるきっかけからクラスの人気者の座を転落してしまうというオチで終わる。
この小説に関しては、いじめられっ子をバカにしているということで、いじめを肯定しているのではという批判があるようだけど、わたしがみたところ、むしろこの作者はいじめを肯定していない。いじめの対処法は、結局立ちはだかって正義を振りかざすより、集団の生理を見据えたところで対応するしかないという意味で、リアリストでペシミストめいた考えなんだと思う。で、この点はわたしも必ずしも反対ではない。
ただ、わたしがこの小説で物足りなかったのは、主人公のクラスでの人気転落の過程を空白にして、敢えて書かなかったこと。むしろこの部分の集団心理の変化と主人公にとっての地獄を描くことの方がまさに文学なんじゃないかと思うんですけどね、わたしは。
集団心理を扱った小説には、横光利一の「機械」とか小林多喜二の「蟹工船」とかゴーリキーの「二十六人の男と一人の少女」なんていうのもあるけど、不特定多数の意思を言葉で表現しようという志をこの作者に望むのは、ないものねだりって気もするな…。
この小説は雑誌「文藝」の新人賞ということなのだけど、この雑誌の新人賞若年化政策っていかがなものか?(綿矢りさとか他にもいろいろ若い奴がいるらしい。)でも選考委員は角田光代、斉藤美奈子、高橋源一郎、田中康夫というちょっとうるさそうな面子ではあるんだけど、さっき挙げた高橋源一郎を筆頭にまったく当てにはならないってことだろうか?それとも該当者ナシでは商売にならないので、どうせ商売だから話題になりそうな若者を選んでいるということなのか?
いずれにしても、この作者にわたしはまったく可能性を感じないし、自分の半径5メートル以上の世界を描く言語能力は絶対にない。
ほとんど浮浪者同様だったヘンリー・ミラーにしても、まるっきり犯罪者だったジャン・ジュネにしても、勉強していないようで、彼ら独特の言語世界を構築する為の験算は積んでいた。
と、まあ、とやかくいっても仕方がないですね、なにしろこの小説、芥川賞候補にもなってたんだから…。世も末ってことですか。とりあえず、商売人の大人に踊らされないで早く手に職つけた方がいいよってのが、わたしから作者へのメッセージですね!!
さて、BOOK-OFFって何時までだっけ?
最初の3,4ページでまず匙を投げた。食べ残したトーストについて「放火殺人死体遺棄の容疑」と表現したり、「俺は超高速でシャワーを浴びて体をキレイにすると~」、はたまた、11月にしては寒い日の登校に関する記述の一行目「寒い。寒いよパトラッシュ。」などなど…、あなたはどう思いますか?。
とにかく、心底こころが寒くなるような貧困な表現のオンパレードで、この作者が普段まったく小説を読まないというのも頷ける。要するに、言葉だけが持つ魔力みたいなものを経験していないし、そもそもそういうものの存在も信じてはいないということだろう。でもこんな作者を「才能がある」と評している高橋源一郎は大丈夫なんだろうか?(だからいまどき高橋源一郎の小説なんか読む人っていないんだろうね!!)
で、ストーリーはデブでいじめられっ子の転校生を人気者にプロデュースするっていう話なわけだけど、冒頭モーニング娘の話題から入るってのはみえみえの伏線。主人公の男の子自身も学校での自分を「着ぐるみショー」といってのけているわけで、一応クールに振舞っているんだけど、自分が仮面を被って生きているというテーマは昔からあるものでまったく新鮮味はない。
いじめっられっ子を人気者にプロデュースする方法も案外ベタで意表を突くものでもないし、つんく♂もこんなプロデュースに比べられちゃあ心外だろう。
そして、最後はいじめられっ子をプロデュースしていたはずの主人公があるきっかけからクラスの人気者の座を転落してしまうというオチで終わる。
この小説に関しては、いじめられっ子をバカにしているということで、いじめを肯定しているのではという批判があるようだけど、わたしがみたところ、むしろこの作者はいじめを肯定していない。いじめの対処法は、結局立ちはだかって正義を振りかざすより、集団の生理を見据えたところで対応するしかないという意味で、リアリストでペシミストめいた考えなんだと思う。で、この点はわたしも必ずしも反対ではない。
ただ、わたしがこの小説で物足りなかったのは、主人公のクラスでの人気転落の過程を空白にして、敢えて書かなかったこと。むしろこの部分の集団心理の変化と主人公にとっての地獄を描くことの方がまさに文学なんじゃないかと思うんですけどね、わたしは。
集団心理を扱った小説には、横光利一の「機械」とか小林多喜二の「蟹工船」とかゴーリキーの「二十六人の男と一人の少女」なんていうのもあるけど、不特定多数の意思を言葉で表現しようという志をこの作者に望むのは、ないものねだりって気もするな…。
この小説は雑誌「文藝」の新人賞ということなのだけど、この雑誌の新人賞若年化政策っていかがなものか?(綿矢りさとか他にもいろいろ若い奴がいるらしい。)でも選考委員は角田光代、斉藤美奈子、高橋源一郎、田中康夫というちょっとうるさそうな面子ではあるんだけど、さっき挙げた高橋源一郎を筆頭にまったく当てにはならないってことだろうか?それとも該当者ナシでは商売にならないので、どうせ商売だから話題になりそうな若者を選んでいるということなのか?
いずれにしても、この作者にわたしはまったく可能性を感じないし、自分の半径5メートル以上の世界を描く言語能力は絶対にない。
ほとんど浮浪者同様だったヘンリー・ミラーにしても、まるっきり犯罪者だったジャン・ジュネにしても、勉強していないようで、彼ら独特の言語世界を構築する為の験算は積んでいた。
と、まあ、とやかくいっても仕方がないですね、なにしろこの小説、芥川賞候補にもなってたんだから…。世も末ってことですか。とりあえず、商売人の大人に踊らされないで早く手に職つけた方がいいよってのが、わたしから作者へのメッセージですね!!
さて、BOOK-OFFって何時までだっけ?
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>まさに文学なんじゃないかと
のくだりに同意です。
よかったらのぞきに来てください。
そちらにコメントさせて頂くつもりですが、書きにくいことを書くのが文学だって、わたしは思いますね。
「見たくないものは見ない」タイプの審美主義って感じでもなかったしね、この小説は!