
今年は個人的には三度目の勧進帳。一度目は歌舞伎座の海老蔵襲名、三津五郎の弁慶に海老蔵の富樫。(團十郎、海老蔵の勧進帳は残念ながら見逃してしまった!)、二度目は大阪松竹座の海老蔵襲名、海老蔵の弁慶に仁左衛門の富樫。そして今回の幸四郎、染五郎の勧進帳。
今まで実演、ビデオを含めて勧進帳は何度も見てきたし、いろいろな席から観劇もした。しかし今回は個人的には画期的な試みというか、はっきり狙っての<勧進帳>体験だった。それは、初日で花道七三付近の席での観劇ということ。だからなんだと言われそうだが、勧進帳の花道での芝居を一度じっくり見てやろうという考え。これが、一応、おそらく今一番定評のある幸四郎の弁慶となれば、相手にとって不足なしというわけで、随分力んでの観劇だった。(おかげで、ちょっと「花雪恋手鑑」は集中力欠いたなあ…。)
まず、染五郎の富樫。前の芝居の柔らかさとは打って変わって、険しい厳しい富樫。立ち役の富樫だなという印象。仁左衛門、海老蔵といったあたりの富樫は、おそらく十五代目羽左衛門を意識しているのだろう、歌うような台詞の名乗りあげの富樫だが、染五郎の富樫は立ち役の堂々とした芝居の富樫だなという印象。歌う節回しでなく、台詞として強く押し出している名乗り上げだった。この選択は割りと好判断という気がする。染五郎の場合、歌うような台詞をやるには、やや声量に難ありという気がするし、おそらくまともにやったら海老蔵に比べて見劣りがしてしまうだろう。それと、私が好印象に感じたのは、その表情の険しさ、厳しさ。私はかねがね菊五郎の富樫を批判してきた。(音羽屋贔屓にもかかわらず。)それは、菊五郎の場合、どうも分別くさく、物分りのよさげな富樫に思えて、「これならすぐ弁慶を通してしまいそうだな。」という気がしてしまうから。團十郎の弁慶の時もよくなかったが、松緑襲名の富樫は最悪で、父親代わりという情もあるのか関所に立ちはだかるには緊張感を欠いた富樫だった。今、一番おっかない、容赦のない富樫をやるのは海老蔵だと思うが、染五郎の富樫もなかなか。これは楽しみだぞという気がしてきた。
よく、勧進帳の長唄は名曲といわれるし、私もそう思うのだが、舞台近くで居並ぶ長唄連中の姿を改めて見ると、これはクラシックの演奏会に通じるものがあるんだなと思う。順番に楽器を手に取る緊張感など。勧進帳は日本のオペラという人がよくいるが、今度は本物のオペラをみてみたいな。
このあといよいよ花道の出。今回の義経は芝雀。初演当時の義経は八代目團十郎だったということを不覚にも最近知ったのだが、このほとんど「男祭り?」という印象さえある芝居で、唯一柔らか味のある役、女形がやることも多い。今回の芝雀、ふっくらした印象が(何度も言ってゴメンナサイ!)、なんとなく梅幸に似てるなという第一印象。声もちょっと梅幸の義経に似ていて好印象。ただ、梅幸の立ち役というのは、独特の魅力があって立ってるだけで貴公子の雰囲気があった。個人的には、十種香の勝頼なんか大好きだが、ホント特殊な魅力というか比類ないというのはこういうことなのだろう、梅幸の立ち役の入った芝居は、なにかおいしいおまけの入ったお菓子みたいで、嬉しくなる。芝雀の義経は流石にそこまではまだまだではあるけれど…。
いよいよ四天王に続いて、弁慶登場。幸四郎の弁慶は、花道の芝居はもとより、全般的に智者の弁慶といった面持ちで、唸るような声の鉄面皮・團十郎の弁慶とはかなり違う。幸四郎本人のキャラクターもあるのだろうが、四天王を押し留めると言うより、諭す感じだ。このあたり、豪傑という感じではないし、人によってはなんか分別くさく感じるところではある。
因みに、勧進帳の弁慶という役は大変に体力が要るものなのだそうで、以前、今の松緑がインタビューの中で、花道の出から最後の六法の引っ込みまで記憶がなくなってしまうほどキツイ芝居だと言っていた。あの大柄で体力のありそうな松緑が言っているだけに信憑性がある。しかし、今回の幸四郎の弁慶は全般的に流石手馴れていると言うか、静謐な感じさえある。(まあ、通算700回以上やってるしな。)還暦過ぎている幸四郎だが、力みも息切れもまったく感じないというのは凄いことなのかもしれない。
★ちょっと長くなったんで、続きは後編をご覧ください!
今まで実演、ビデオを含めて勧進帳は何度も見てきたし、いろいろな席から観劇もした。しかし今回は個人的には画期的な試みというか、はっきり狙っての<勧進帳>体験だった。それは、初日で花道七三付近の席での観劇ということ。だからなんだと言われそうだが、勧進帳の花道での芝居を一度じっくり見てやろうという考え。これが、一応、おそらく今一番定評のある幸四郎の弁慶となれば、相手にとって不足なしというわけで、随分力んでの観劇だった。(おかげで、ちょっと「花雪恋手鑑」は集中力欠いたなあ…。)
まず、染五郎の富樫。前の芝居の柔らかさとは打って変わって、険しい厳しい富樫。立ち役の富樫だなという印象。仁左衛門、海老蔵といったあたりの富樫は、おそらく十五代目羽左衛門を意識しているのだろう、歌うような台詞の名乗りあげの富樫だが、染五郎の富樫は立ち役の堂々とした芝居の富樫だなという印象。歌う節回しでなく、台詞として強く押し出している名乗り上げだった。この選択は割りと好判断という気がする。染五郎の場合、歌うような台詞をやるには、やや声量に難ありという気がするし、おそらくまともにやったら海老蔵に比べて見劣りがしてしまうだろう。それと、私が好印象に感じたのは、その表情の険しさ、厳しさ。私はかねがね菊五郎の富樫を批判してきた。(音羽屋贔屓にもかかわらず。)それは、菊五郎の場合、どうも分別くさく、物分りのよさげな富樫に思えて、「これならすぐ弁慶を通してしまいそうだな。」という気がしてしまうから。團十郎の弁慶の時もよくなかったが、松緑襲名の富樫は最悪で、父親代わりという情もあるのか関所に立ちはだかるには緊張感を欠いた富樫だった。今、一番おっかない、容赦のない富樫をやるのは海老蔵だと思うが、染五郎の富樫もなかなか。これは楽しみだぞという気がしてきた。
よく、勧進帳の長唄は名曲といわれるし、私もそう思うのだが、舞台近くで居並ぶ長唄連中の姿を改めて見ると、これはクラシックの演奏会に通じるものがあるんだなと思う。順番に楽器を手に取る緊張感など。勧進帳は日本のオペラという人がよくいるが、今度は本物のオペラをみてみたいな。
このあといよいよ花道の出。今回の義経は芝雀。初演当時の義経は八代目團十郎だったということを不覚にも最近知ったのだが、このほとんど「男祭り?」という印象さえある芝居で、唯一柔らか味のある役、女形がやることも多い。今回の芝雀、ふっくらした印象が(何度も言ってゴメンナサイ!)、なんとなく梅幸に似てるなという第一印象。声もちょっと梅幸の義経に似ていて好印象。ただ、梅幸の立ち役というのは、独特の魅力があって立ってるだけで貴公子の雰囲気があった。個人的には、十種香の勝頼なんか大好きだが、ホント特殊な魅力というか比類ないというのはこういうことなのだろう、梅幸の立ち役の入った芝居は、なにかおいしいおまけの入ったお菓子みたいで、嬉しくなる。芝雀の義経は流石にそこまではまだまだではあるけれど…。
いよいよ四天王に続いて、弁慶登場。幸四郎の弁慶は、花道の芝居はもとより、全般的に智者の弁慶といった面持ちで、唸るような声の鉄面皮・團十郎の弁慶とはかなり違う。幸四郎本人のキャラクターもあるのだろうが、四天王を押し留めると言うより、諭す感じだ。このあたり、豪傑という感じではないし、人によってはなんか分別くさく感じるところではある。
因みに、勧進帳の弁慶という役は大変に体力が要るものなのだそうで、以前、今の松緑がインタビューの中で、花道の出から最後の六法の引っ込みまで記憶がなくなってしまうほどキツイ芝居だと言っていた。あの大柄で体力のありそうな松緑が言っているだけに信憑性がある。しかし、今回の幸四郎の弁慶は全般的に流石手馴れていると言うか、静謐な感じさえある。(まあ、通算700回以上やってるしな。)還暦過ぎている幸四郎だが、力みも息切れもまったく感じないというのは凄いことなのかもしれない。
★ちょっと長くなったんで、続きは後編をご覧ください!
あの ヒシャゲタような声は何とかならないものでしょうか?周りの人が治すとか・・
もう あの年になっては無理ですか。
折角姿形がいいのに・・・・
團十郎の台詞の独特の抑揚とリズムはかなり考え抜かれたものなんだなということがなんとなくわかったんですよね。
ただ、世話物や新作はリアリティーないので止めた方がいいとは思うけど。
それと、勝新太郎が著書『俺・勝新太郎』のなかで、「六代目菊五郎はゼイゼイしたひどい声だったけど、台詞の間やリズムが絶妙で、素晴らしかった。」というような主旨のことを言っていて、そんな境地に團十郎がなってくれないかなと、密かに期待しています。
まあ、賛否両論の成田屋。誉める方も、スケールが大きいとか曖昧でピントのボケた話も多いので、いずれ私が堂々たる「團十郎擁護論」を書きましょう!
そのときはよろしくお願いします。