この前、NHKで映画「聲の形」を放送していました。
内容を一切知らずに観たのですが、
複雑な心境になりました。
耳が聞こえない少女が小学校のときにイジメられて学校を去り、
彼女をイジメていた男子が逆にイジメられ、
自分の行為を反省し、
高校生になってから自分がイジメた少女に再開し、友達になります。
彼と再会したことで、周囲にいた同級生とも再開し、
話が展開していきます。
いろいろと感じた映画ですが、
vorinは自分をイジメた女子に思いを馳せました。
vorinが小学6年のときに
1年弱、クラスの女子に無視されるというイジメを受けました。
他に2人同じ境遇の子がいたので1人ではなかったのですが、
腹の立つ思い出です。
イジメは1人のリーダー的な女子が主導し、
周りはそれに従った形です。
小学校を卒業する前に親が話し合いをし、
ある日突然終わりました。
小学校から中学校になり、
イジメを主導していた女子は「学校が怖い」という理由で
不登校気味になり、自傷行為をするようになりました。
当時のvorinにはまったく彼女の気持ちが理解できませんでした。
学校が怖くなるのはこっちの方じゃ、ボケ。
と言いたいぐらいでした(笑)
大人になって分かったことですが、
彼女に従って一緒に無視していた周囲の女子たちは
まるで罪の意識がなく、
自分たちも無視を強要された被害者だというスタンスで驚きました。
この映画を観て、
彼女が「学校が怖い」と言っておかしくなってしまったのは、
おそらく自分に同調していたはずの女子たちの
手のひら返しのせいだと思います。
親たちが話し合いを持った夜、
彼女たちはなにを言われたのか分かりませんが、
次の日から普通に話しかけてきて、
まるでなにもなかったように振る舞い始めたのですから。
その日、リーダー格の女子がどういう態度を取っていたか
記憶にありません。
vorinにとってはどうでもいい存在だったので、
話しかけることは少なかったように思います。
彼女が当時のイジメのことをどう思っているのか
大人になった今、聞きたい気もしますが、
聞いたからと言って、
この映画のように友達になるなんてことはないですね。
この映画は漫画が原作のようなので、
漫画本で読むともう少し詳しいところが分かるようです。
イジメた人、イジメられた人、
イジメに間接的に加担した人
それぞれの人生に影響を及ぼすのがイジメです。
でも、人が人である限り、イジメは無くなりません。
大人になって思い返たときに腹が立つのは、
なぜ強く行動に出れなかったのかという点です。
当時、先生や親は頼りになりませんでしたが、
vorin自身もイジメを止める行動を起こしませんでした。
授業を中断しても止めて話し合うべきだったなと思います。