衆議院が解散
選挙で、選ぶべき候補がいない。
只、鳩山邦夫氏だけが男前
衆議院選挙と本当の民主主義
小室直樹氏は
『悪の民主主義』(民主主義原論)
1997年 (株)青春出版社
の中で、書き表しています。
□以下は、著書の抜粋です。
日本は実は「民主主義国家」ではなかった
平成六年(1994年)、自民党と社会党の連立政権が成立したとき、今後、どのようなことが起きても決して驚かない、と言った人がいた。これで、日本の民主主義は死んだと感じた人もいた。
それはそうだろう。そうに決まったいる。
自民党と社会党の連立。
何が考えられないといって、これ以上に考えられないことはあり得ない。
民主主義の原則を正面から蹂躙しているからである。いや、民主主義どころではない。立憲政治すら否定しつくすことになるのである。
この「立憲政治」も民主主義を考えるうえで重要である。しかし、ここは先を急ぐ。その関係についてくわしくは、議会政治とともに、別章で論じる。
日本は、昭和二十二年(1947年)の憲法改正以来、民主主義国家を標榜している。今の日本では、「民主主義」は、錦の御旗みたいなものになってしまって、正面切って反対する者はいない。いや、明治二十二年の憲法発布以来、日本は立憲政治を目指してきた。
「民主主義」には、多くのものが考えられるが、日本の民主主義は、議会を中心とする政党政治を原則とする。
政党は、選挙公約を守らねばならない。また、主要綱領は、国民の同意(選挙)なくして、変更することはできない。
これが大原則であり、この大原則が破られたらもはや、政党政治の議会制民主主義ではない。これほどまでに初歩的なことは、全ての日本国民にとって周知(よく知られる)であったと思っていたのだが、実は、そうではなかった。
とくに社会党とその支持者は、「日本国憲法」を守ることに必至であった。少なくとも、そのように見受けられた。社会党は護憲を最大の党是(主要綱領)としていた。それがなぜ憲法改正を綱領にうたう自民党と連立するのか。
□以上で紹介は終わります。(52頁~53頁)
衆議院選挙はももう殆ど、九合目を登り切り、後は息を詰めて頂上まで登り切ればおしまいです。そうです。もう『終わってる。』のです。
どの政党に投票するか、それぞれの固定層があります。この人達は、迷うことなく「我が党」に投票します。我が一族から立てば、支持するのが当たり前なのです。政策を見て投票する人もいるでしょう。これまでの、政治姿勢をみて、支持する人なり政党なりを決める人もいるでしょう。この人達は迷うのではないかと思います。だって、そりゃそうでしょう。政策や政治姿勢はよく解らない。新聞やテレビが報道するのは、読み間違いや政治資金の処理の仕方がどうのとの些末ばかりで、大切な政策などの論議は少ない。
小泉が突然舞台から降りて、阿倍、福田そして麻生と総理が代わりました。阿倍は戦後レジームからの脱却を訴え、教育法などを弄ったが、国民全般の関心はどうだったのだろう。就任早々のアメリカ詣では先に延ばして、欧州を回り、印度で公演した。福田氏は洞爺湖サミットを主催して、その規模を拡大し温暖化防止政策を進めた。麻生は未曾有の経済危機に対処して、アメリカ金融資本の崩壊には手を貸さず、支え続けた。
それに対して、小沢民主は、12,000円の交付の邪魔をして、餅代をメロンの購入代金に替えたのか。つまりそれだけ交付を遅らせた手柄はある?。そして、秘書の問題で、代表を降りた。鳩山由紀夫氏が代わって代表になりましたが、言うことは友愛ばかりで、故人献金発覚以後は、籠もりがち。岡田氏はその援護射撃で忙しく、政策論議はあまりない。
小泉政治がもたらしたものは誰の目にも明らかです。改革! 改革! と声高に叫んでいましたが、残したものは、国民の痛みだけなのでしょう。阿倍、福田そして麻生は、郵政選挙で得た支持のもとに、政権を引き継ぎました。故に、郵政改革の否定はできません。それは、小室氏の指摘するように、憲政の常識を逸します。鳩山邦夫氏は郵政改革そのものは否定しませんが、かんぽの宿バルクセールの不正義を指弾し続けました。兄の由起夫氏も政権とったら、西川の首を切ると明言しました。選挙後の再編の基軸は、ハゲタカが食い散らかした、再編劇の舞台の後始末なのでしょう。であればこそ、今回の選挙では、個々の候補が、構造改革の後始末をどう付けるのかが、問われているのです。あの改革は日本の勤労者、中小企業を雑巾に見立てて、搾るだけ、搾って浮利をうみ。それを、米国の金融資本に差し出したのです。小泉以後の首相たちは、実質その流れに、ブレーキを掛けたのでしょう。ついに、昨年9月隠然とした兵糧攻めに遭遇した、アメリカ金融は崩壊を始めました。国民の多くは、その流れの変化を歓迎していたのだと思われます。その中で、日本の大衆報道機関である、新聞やテレビは、そのことの意味は深くは掘り下げず、現象面のみ取り上げて、構造改革の本質にはふれず仕舞い。そのはずです、堀江の拝金主義や村上の株価操作に、民放だけでなく、NHKまでもが荷担していました。堀江や村上は逮捕されましたが、共犯のマスゴミは放置されたままです。このような堕落し腐った報道の壟断に委せたままの情報不足の中で、これから選挙が行われます。
2009.07.13(月) 220 PV 100 IP - / 1259910ブログ