我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

左近尉  平和時こそ思想のトレンチは深く掘れ

2009年07月23日 | 軍事

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2007 07 23 左近尉 平和時こそ思想のトレンチは深く掘れ【わが郷】
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  核による恫喝が日本に対して、行われれば当然日本も結果として核による報復手段の装備が ( 日本国の 核武装宣言 この部分後で添付した)進むことになる。アメリカと支那が軍事的にも接近を試みているのは、両国にとっては日本は潜在敵だとの共通の認識からである。次の日本の政権が鳩山かどうかは、神も知らぬことなれど、日本国において軍事に責任あるものは、既に対抗策は採ってある。

 

    朱成虎 朱成虎

  例えば、支那狂産党から核の恫喝が日本国に対して行われるとしても、現実に先制核攻撃があるとは想定は難い。なれどそのようなブラフに対しても、対応出来ないような政権では、日本国の政府たり得ない。その政権は早晩他党派によって取って代わられる運命にある。核による恫喝の認識は、日本国の人々それぞれに受け止める閾がことなるが、ブロガーたちは、センシティブに反応するだろう。政治家も先鋭的な意見に共鳴するものはそれなりの対応を示すだろう。もともと日本の最大の仮想敵国は米国であるが、これには「日米安保」という保険が掛けられている。日本の中の米軍の基地は謂わば人質であり、それを拘束しあるいは移動を制止する装備は整っている。小泉は横須賀の米艦船を射程に入れる自衛隊部隊第6地対艦ミサイル連隊 ) の廃止を画策したわけだが、部隊の移動などは有事なればそんな画策は蹂躙して前進あるのみである。実際の核攻撃が闇雲に行われることは想定に難いがたとえそのようなことになろうとも対抗策はある。問題なのは核の恫喝に屈して日本国民が卑屈になることである。そして何より重大な課題は、国民を的確に導くべき政治家が相当イカレテいるということである。北朝鮮の拉致やミサイルの実験そして核実験とされる一連の事案で、我が国民は覚醒しつつある。その認識を曇らせんとしているのが、コミンテルンの甘い味で煮しまったサヨクである。

 

 

 

2012 03 04  鳶にアブラゲ (油揚) さらわれる 【わが郷

 

  

 昨日は核ミサイルを前方に投射しながら、その電離放射能のなかをかき分けるように、敵陣に突入してゆく、わが郷の爆撃機のことなどを、思わず描いてしまった。さきの事など判らない。ケセラセラだと東京都知事の石原慎太郎氏は、言ったりもする。

 

 

 実際に支那などから核ミサイルが発射されれば、そのことだけでその時点の日本政府は機能を停止する。代わって別のシステムが機能を発揮 (無条件降伏とか。戦線放棄の愚は二度と繰り返さない。真の日本人は歴史を見据えている。) し出すのではなかろうか。時間的なラグの表記は遠慮されるが、日本からも最終兵器のお返しが確実に成されるだろう。 このような想定は、マンガである。これでは先方の政府も瓦解する。それが先の大戦後の世界の大勢である。アイゼンハワーの憂慮した世界にアメリカは足を踏み入れ、インドシナ半島では、ベトナムなどの泥沼に填りバルカンでは旨く跳んで見せたかと思うと、遂にはイラクで自ら蟻地獄を描き出してしまった。この間の軍備を中心とした冗費と規範の腐敗は終に経済の危機を招来した。核ミサイルの発射という選択は、この先制核攻撃当事者国の瓦解を十分の一の時間に圧縮する。なれば、それを阻止せんと米国や支那は我邦の政府及び人々に隠然とした攻略を仕掛けてきている。政治家にも大衆情報機関にも、出版思想の世界にも其の手は伸びている。

 核が実際に使われれば、戦闘はそれの撃ち合いか同等の報復兵器の飽和攻撃で、程なく収束する。現実の事例は、日本国の八月の終戦である。それ以後半世紀以上たっても、核戦争は実施例がない。核保有国同志の戦闘もない。米ソの戦いは別の形で進んだ。大国間の戦いはこのようなものである。ソ連のブレジネフ以降の、指導者はどれも彼もなんとも、ハンバーガーの匂いがぷんぷんとする。日本の政治は、端からコーンパイプの匂いで燻製にされてしまった。

 ソ連は、引き続く売国の政治家続出で、連邦は崩壊縮小しあまつさえ、かつての友邦は敵勢力に与すものが多い。日本の場合も、痴呆オッと→地方分権などと惚けていると、北海道や沖縄そして対馬などが独立して、本州に対して牙をむくようになる。なんのことは無い、燻製は引き裂かれ、バーボンと老酒の肴にされてしまう。
茄子貌の自分で踊るクグツ師は、お笑い政治の見本としてピンで止められたが、橋の下の乞食は暴動の人足集めに奔走している。

 日本の政治も舐められたものである。まあ、甘い考えで嘗めるだけなめたら好かろう。アメリカの実体経済には、日本のDNAが組み込まれ、日本の政治の脱皮する毎に、日本の精神が発現し、彼の国は変容する。支那も同じである。日本の富を騙し取るだけとるがよい。その財貨はむくむくとメタモルフォーゼの末に、支那全土を新規の満州国に開花させてしまう。甘い蜜は人々には滋養だが、専政者には毒である。

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 2013 09 23 卑屈な愛人稼業は 終わりにしました

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そもそも 『構造改革』 などという話は、米欧の勢力が日本経済を攻撃して、自立した日本から攻撃を受けなくする、その現代における非対象戦の戦略であった。【ペテン師は、いらない】 この預貯金の現金化が簡単にできるような、企業の余剰資金を狙って仕掛けられたのが、構造改革の、「振り込め詐欺」 であった。もう古い話だが、トヨタの商法では、財務部門でも、自分のセクションの経費は、自分たちで稼いでいた。これは、大きな余剰資金を下請けなどの関連企業に貸して、金利をとる。これならば、リスクも少なく、財務部門でも「営業収益」をあげることが出来た。ところが、ジョージソロス等の金融詐欺師らに引っかかって、カネを米国などの海外に出したから、日本経済が可笑しくなった。そもそも 『構造改革』 などという話は、米欧の勢力が日本経済を攻撃して、自立した日本から攻撃を受けなくする、その現代における非対象戦の戦略であった。そもそも日本の官僚とか、有名巨大企業の経営者などは、とくに二代目ともなれば、「戦争」の非情さなどは全然実感できない、お花畑で育ったわけで。

 

 

 

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吉岡 脳死と日本の政治

2009年07月23日 | 医療

 


脳死の人は臓器を取り出されるときに

はたからみて

ものすごく苦しみを

感じているのが伝わってくると医者が言っている。

涙を流す患者もいる。

つまり医者にしてみれば、

脳が動かなくなってまったく意志疎通が

外部ととれなくなってしまった

状態の生きている人を

「生きながら」心臓をえくりとっているのと同じことを
やっているのである。

前の、><で囲まれた文章は、

『臓器移植法案は「合法的な人殺し法案」である。国際評論家小野寺光一の「政治経済の真実」 』
http://syouhou.iza.ne.jp/blog/entry/1094325/
                                                        
の記事の一部をお借りして紹介しました。

脳死というのは、最近出てきた概念で一般の人には解りづらい言葉です。医療において延命治療が進んできたので、自発呼吸が出来ない患者さんも相当長い間、心臓が停止せずに生かされることが出来るようになりました。従来は心停止をもって人の死と定義されていました。しかし、心臓は動いていても一般的な精神活動は停止して、もうもとには戻らない状態があるということが、経験上判ってきました。喋ることも出来ず、まぶたを開くことも出来ない。いろいろと確認してみても、死んでいるようにも見える。

アメリカでは臓器移植が盛んに行われています。新聞などの報道によりますと、その費用はとても高額です。そうです、医療の経営にとっては旨い儲け話なのです。

問題なのは、心臓の鼓動が停止してからでは、成功率が悪くなる。ならば動いているうちに、臓器を切り出して移植してしまおうではないか。これでは普通は殺人罪で訴追される可能性がある。実際に日本で最初に心臓移植を行った医師は、殺人罪で告発され裁判も行われました。脳死の患者は死亡したとの法的サポートがあれば、心置きなく臓器を切り出せる。こうして、臓器を提供させられる患者の治療は押しのけられて、生体かも知れない人体から臓器を切り出す法律が成立したのです。当然ですが、重要な臓器をとられては人間は完全に死んでしまいます。

 

脳死の判定基準は次のようなものです。

脳死判定は移植に関係のない、脳死判定の経験のある2名以上の医師で行い、6時間後にも同所見であることが必要である。なお、脳死判定に先立って臨床的脳死判定する場合は1~4を確認する。

 ① 深昏睡(JCS300またはGCS3)である。
 ② 瞳孔固定 両側4mm以上。
 ③ 脳幹反射(対光反射、角膜反射、網様体脊髄反射、眼球頭反射、前庭反射、咽頭反射、咳嗽反射)の消失。→よって失明、鼓膜損傷などでこれらが施行できない場合は脳死判定はできない。眼球が損傷していると対光反射、鼓膜が損傷していると前庭反射(カロリック試験)の有無が判断できないためである。
 ④ 平坦脳波。(刺激を加えても最低4導出で30分以上平坦)
 自発呼吸の消失。(100%酸素で飽和したのち呼吸器を外し、動脈血中二酸化炭素分圧が60mmHg以上に上昇することを確認。脳に影響を与えるため、必ず最後に実施する。)

2回目の判定が終了した時刻を死亡時刻とする。

 

なぜ、脳死が問題になったのかを、振り返ってみれば。最初は、人工呼吸器の撤去の時期選定です。医学的な判断からは、既に死んでいるのに、心臓は動いている。当然体温はあり身体は触れば温かい。場合によっては子供の場合名などは身長も伸びたりする。

それでも、担当医達はもう恢復はしないと確信している。欧米などで問題にされたのは、この延命期間の膨大な医療コストでありました。脳死を人の死と認める風潮が一般に広まり、人工呼吸器を外しても、「殺人罪の訴追」を受けることはない。この確信を医療に与えたのが、第一段階です。

特に問題なのは、「多くの臓器は心停止してから移植したのでは機能が保てない」と言うことなのです。心臓が動いている間に目的の臓器を摘出するという、大きな目的のために「心臓が動いていても、この人は死んだことにしよう。」こうなったのです。臓器移植が主要な目的で、脳死の定義付けはそれを可能にするための、条件整備にすぎないのです。ですから、脳死を疑われている患者や家族にしてみれば、その恢復、蘇生の願いとは反対のベクトルが病院なり医師なりに、発生しているということなのです。臓器移植の推進役にしてみれば、早く死んだことにしたいのです。本来の死亡の確認は心臓の鼓動の停止です。脈が無くなるということです。でも、移植をやりたい側にすれば、早く死んだことにしたいのです。

脳死を「人の死」とすることが、法案通過で確定しました。このことで、医療は患者を検査によって死亡させる権利を手に入れたのです。検査の最終段階で、人工呼吸器を外すのです。息の根を止めるとは、まさにこの事です。呼吸器を外し、動脈血中二酸化炭素分圧を計るそのときに、それまでかすかに生きていても其処でたいていは死亡するでしょう。現代の医療にはままあることですが、人間の尊厳には斟酌しない検査の方法です。初期の厚労省の試案では、この殺人試験を二番目に置いていました。確実に殺そうとしてからの検査なのです。

この良く吟味すると、殺人が怪訝される法案に賛成した議員は自民党に多かったようです。内容を正確に理解していようが、弾みで賛成しようが、とにかくこの法案成立に荷担した議員の名は、留め置くべきです。是が現在の日本の政治家のレベルです。そうです、粗野で粗暴なアメリカが主導して、日本のマスコミも印象操作や臓器移植以外には治療の方法はないという、作為的な誤誘導で世論の環境は整備されたとの提灯が一斉に灯れば、いけいけどんどんの破廉恥でその程度の脳みそなのでしょう。

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