我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

スロベニア共和国

2009年07月25日 | 各国情報

スロベニア共和国【各国情報】 スロベニア共和国

 

 

 

6世紀末  スラヴ人(スロベニア人)定住開始。アヴァール王国等異民族による支配が続く。

1282年 ハプスブルグ家の所領となる。以後 1918年までハプスブルグ帝国領

1918年 セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国

1945年 ユーゴ構成共和国の一つとして発足

19916月  独立と主権を宣言

19921 EU各国等が国家承認

https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/slovenia/data.html#section1

 

 

 

 

2021 01 21 アメリカの民度【わが郷】 

 

 

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左近尉

2009年07月25日 | 軍事

 

 

 

 

平和時の戦争の方法が難しい。
この事を知れば
より多くが、より深く知悉しておれば
戦端を開く前に、勝利し
敵は屈服する。

馬鹿とハサミは使いようで、切れる。
『日米安保も』使いよう
『憲法九条も』盾としては立派なもの
『九条改正』は衣の下の鎧で、米支は是だけでたじろぐ。

『ガラパゴスの携帯』はセレブ・テクノの関門で登竜門。

軍事専用の技術なんぞは、シナチクの玩具である。
アポロのアメリカ、アホだら教。

民生用で洗練された技術の奥義は、開発企業の伝家の宝刀。

ユダヤがヒットラーを蛇蝎の如く忌み嫌うのは
金融の自由(ユダヤの占有)を廃し、国家社会主義の下に鎖した為である。

オバマの政策は、ヒットラー経済と同根であるが、GM処分をみれば
お里が知れる。

黄金の枯葉の吹き溜まった、朽ち木の陰には
『ワライ茸』が生えておる。

コメント (1)
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結城一平  ドイツ銀行と自由主義 その1

2009年07月25日 | 経済

 

 

 


昨日の『株式日記と経済展望』は、テーマが、「【クリミア戦争】 国民とマスコミが強く戦争を望んで、平和を望んだ政府の鼻先をつかんで引きずり回し、国家を戦争に追いやっていった。」でした。


そのコメントの中で、(すべて私がきめる) さんのコメントは大変興味深いものありました。すこし引用させて頂きます。

http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/4cda508347204a8a7bfccede6cd30c8e
m(_ _)m引用始めます。

当然、ナチスは農家に手厚い保護をした。
(略)
そのためナチスは、世襲農場法という法律を作った。
世襲農場法は、一定の条件を満たす農家は、農地を借金のカタに取られないようになり、大きな借金を背負っている場合は、返済できる金額まで引き下げられるという法律だった。
一定の条件というのは、
.7.5ヘクタール以上125ヘクタール以内の農地を経営していること
・正統なドイツ人であること
・男子-人に農場を継がせること
などである。
125ヘクタール以内という条件は、ちょっと不思議に思われるかもしれない。ユンカーと呼ばれる貴族的な農場主に対しては、この法律の恩恵を受けさせないようにしたのだ。ナチスは、弱小農民の味方というわけである。

<(_ _)> 引用終わります。


『地と血』とよく言われますネ。ナチスの存立基盤は中規模の自作農だったのでしょうか。日本でも、親衛隊の近衛兵はおもに地主層の意志堅固な者の中から選ばれました。土地に対する執着と地域社会への愛着は、国家への忠誠の出発点なのでしょう。

 

『我が闘争』(Mein Kampf)は、1945年の4月までには約1,000万が出版されたとされています。そのなかに、大衆は難しいことはすぐ忘れてしまうので、言葉を絞って単純なフレーズを何度もなんどもくりかえすことがよいと述べているそうです。

小泉元総理の時代も、同じような手法で、『構造改革』、『郵政民営化』、『官から民へ』などと単純なフレーズを連呼しています。


『日本人が知らない 恐るべき真実 研究ノート』さんのブログに、国家統治から自由な中央銀行の危険性とその対策としての、改正ライヒスバンク法についての記述があります。
http://www.h3.dion.ne.jp/~b-free/siranai/c-15-3.html

m(_ _)m引用始めます。

ヒットラーも実は中央銀行の危険性に気がついて、政権の終盤の1939年に、少し遅すぎたが、シャハトをクビにした。ヒットラーはある特定の投資家が中央銀行を持っているのは問題があると考え、政府と一致する、政府を支持する、国民のための中央銀行を設立すべく、1939年に改正ライヒスバンク法を導入した。

当時、日本はドイツと同盟関係にあり、革新官僚と呼ばれた人たちがその法律のよさに気がついて、日本にも導入しようということになった。その法律には、中央銀行は政府の下にあると書かれていたので、大蔵省を政府の代表とみなして、大蔵省の下に入れることになった。こうして、改正ライヒスバンク法は日本語に訳されただけで、1942年に新日銀法として日本に導入された。

それで日銀の生え抜きのプリンスたちが困った。この法律はよくないと、占領軍に改正を要求した。ウォール街の金融財閥も日本に日銀法改正を要求していた。しかし占領軍の司令部は、その法律のことをそれほど悪くないと考えていた。彼らは民主主義の視点から、中央銀行はやはり国民に選ばれた代表の下、つまり政府の下にしないと民主主義ではないと指摘して、そのままその法律が残った。

<(_ _)> 引用終わります。

日銀法改正
平成10年4月の日銀法改正の最大の目的は、この中央銀行の危険性を増大させるものなのでしょう。以下に『日銀のサイト』を紹介します。
http://www.boj.or.jp/type/exp/about/law01.htm


平成8年1月11日から、平成10年7月30日までは橋本龍太郎が総理でした。
平成10年7月30日には、小渕内閣が発足しています。

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結城一平  ドイツ銀行と自由主義 その2

2009年07月25日 | 経済

 

 『自民党の歴史(11)橋本構造改革の挫折』
http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20060615A/index3.htm

上記サイトは、この日銀法改正当時の政治情勢がコンパクトにまとめられています。
政治がドタバタ劇を演じている裏側では、日本の経済の要の日銀法の改正が進められ、銀行再編の、『自由経済至上主義』的な策謀は、金融行政の内堀を埋めることに成功していたのでしょう。本来の意味での銀行の自由競争を担保するには、適正規模でまた適正な数の銀行が無ければ、自由な競争は阻害されてしまいます。住専問題をきっかけに日本金融は不良債権をどうするという、問題のすり替えで攻撃され続けました。外資に売り飛ばされた名門銀行から盗んだお金が原資なのでしょうか、外資系の保険業界そして、半島系といわれる消費者金融などが、マスコミに頻繁に広告を載せるようになりました。これらの新しい勢力は、マスコミの論調を支配しました。

小泉元総理の時代になると、『我が闘争』と同じような手法で、『構造改革』、『郵政民営化』、『官から民へ』などと単純なフレーズが連呼されました。

『シオンの議定書』という歴史的な文献があります。真偽は定かではありませんが、興味深い文献です。その中にこんな章もあります。

m(_ _)m引用始めます。

今日においては、自由主義的権力に代わって金力が支配する。かっては信仰が支配した時代があった。自由主義の理想が実現することは不可能である。なぜなら、誰一人としてほどよい使い方を知らないゆえに。

 人民大衆を無秩序な群集に一変させるには、かれらに一定期間自治を与えるだけで十分である。与えた瞬間から尖鋭な共食い闘争が勃発し、やがては社会闘争にまで発展し、遂にはその真っただ中で国家は焔に包まれて炎上し、その権力は一山の灰燼に帰するであろう。

 国家が内乱によって消耗するか、内部不一致のために外敵の手中に落ちるにせよ、どのみちその国は回復できず没落するほかはない。その時こそ、我らの出番である。完全に我々の手中にある資本の専制力が、その国に救いの藁を差しのべると、否応なく彼らはそれに縋(すが)りつかなければならない。拒めば底に沈むのである。

 リベラルな考えをもっている人が、上述のような考えを悪辣、不道徳であると評するならば、私はこれに対して次の問いを投げ返したい。どの国も内敵外敵両面の敵をもっている。外敵にはあらゆる策略を用い、たとえば敵には攻撃防御計画を伏せておき、夜間奇襲あるいは圧倒的優勢な戦力で撃破しても不道徳ではないとされるならば、さらに悪質な敵、社会秩序の紊乱者、安寧の妨害者に対して同じ方法を用いることが、いかなる理由で不道徳且つ許しがたいと云われなければならないのか? と。

<(_ _)> 引用終わります。

サイトはたくさんありますが、前述の文章は『れんだいこ』さんよりお借りしました。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/seito_palesutina_yudayaginmondai_giteisyoco_honbun.htm



 

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