俑とは人形(ひとがた)のことで、古代中国では死者を埋葬する際に兵士や馬の形をした俑も一緒に埋葬した。
これは殉死という悪い習慣をなくすためとも言われている。
ガイドブックによると、ある時、西安の農民が井戸を掘っていて偶然見つけた陶器の破片がその後の兵馬俑坑の発見のきっかけになった。
その場所の西約1.5キロメートルには秦始皇帝陵があり、始皇帝の陵墓は「史記」によると地下宮殿のようであったと記されている。
実際に発掘していくと、この記述も現実味を帯びてきたように、総計8,000点にのぼるとみられる陶器製の兵士や馬が、死後の秦始皇帝を守るため地下に配置されていたことが分かった。
その発掘場所が現在では「秦始皇兵馬俑博物館」になっている。
中国では始皇帝のことを秦始皇と呼んでいるらしい。
「秦始皇兵馬俑博物館」は一号坑、二号坑、三号坑と発見された順に展示館があり、もうひとつの展示館が「秦銅車馬陳列館」となっている。
一号抗から入ってみた。
最初に兵馬俑坑と始皇帝陵墓の位置や大きさの模型があり、およその概要が分かるようになっている。
そして内部に入ったとたん、その大きさにびっくりした。
[一号坑]
一号坑は東西に230m、南北に62mあり、そこに屋根を付けてあり、大きな体育館のような感じだった。
その中に秦軍の実際の隊形をそのまま表現しているらしい兵士の俑がびっしりと詰まって立っていた。
ずっと回りを歩いて行くと後方には修理中の物も並べられていた。
俑は手に持っている武器や頭に付けている冠などで、位が分かるようになっているらしい。
全部の顔も違っていて、髭があったりなかったりするので、一体ずつ作ったのが分かる。
その後は二号坑へ。
[二号坑入り口]
二号坑の大きさは一号坑の約半分、それでもかなり広い。
一号坑を見た後だったので、あまり感動はなかったが、戦車隊や馬俑などもあり、残骸のようになっているものもあった。
見学通路には等身大の俑が展示されていたりもした。
三号坑は時間の関係で見ることができなかった。
話によると、作戦会議などをする部屋などがあったらしい。
最後は「秦銅車馬陳列館」。
二分の一の大きさの二台の銅車馬が展示されていた。
発見されたときには馬車が壊れていて、修復に8年もかかったらしい。
青銅で造られ、金銀で装飾されていたという。
これは始皇帝が乗ったものの模型と思われている。
この前に先導する馬車があった。
部屋が暗く、人が多くて写真を撮るのも難しかった。
いつかは見てみたいと思っていた兵馬俑もやっと見ることができた。
ものすごく大きな始皇帝の陵墓やこの兵馬俑を見ると、権力はいつの時代でも数や大きさで示すものなのだと実感した。