村中は大騒ぎである。
昨日の夕刻に姿を見たきり勝源のところの娘が夜更けても帰って来ない。
探し回る勝源の顔色が蒼白になっているのをみると、村人も
「藤太がところへいったのでないか」
と、からかい半分では勝源を安心させる事が出来ないわけがあると悟る。
「いやだといってはいたが・・・」
もう七日もない祝言の日を前にきのえが姿をくらますとなると、
やはり理由はそれしか思いつけない。
ぼそりと呟いた勝源の不安であるが
「それでも、娘心と秋の空。
気が変わってこっそり藤太にあってみりゃあ、それ、そこは男と女。
頭じゃ馴れない仲になりってこともあろう?」
まして、祝言を控えている男と女である。
世に言う確約を得た二人が堪えきれず忍び合ったとしても、
親さまも大目に見るしかないというところにいる。
「そうであろうか?」
「そうであろう」
きのえにはこの親に似合わぬ、勝源の温和さからは信じられぬような、芯のきつさがある。
よほど、このきつさで藤太を見初めれば、あとはわき目も振らず深みにおちることになる。
「きのえのことだ。ありうる」
いわれてみれば、そうかもしれない。
あれが、ちょくちょく姿をくらましては、夕刻遅くになって返って来る事がつどあった。
それも藤太にあっていたということなのかもしれない。
「だが、それなら・・・いやだなぞというわけが」
「勝さんよ。あんたみたいな親だからきのえはいえねえんじゃねえかい?」
男勝りの気性は幼い頃から。負けず嫌いで
田の稲を刈る手のちいささに比べ積み上げられてゆく稲束の数の多さが
きのえの気性をよくあらわしていた。
「だからな。誰にも負けねえよなきのえが藤太にゃまけましたとはいいたくなかろう?」
「あ?」
「わかるか?」
「ああ・・・」
野卑に言えば藤太の持ち物に『女』として泣かされるきのえになったということである。
「嫌だ」はこんな自分をしられたくないきのえの虚勢でしかないと言う事になる。
他人様の方がえてして事実を見据えることができるものであるが、
この場合もそうなのかもしれない。
そうであるならば、ひと隣村の藤太の所まで
夕刻になって足を伸ばしたきのえが帰って来れるわけがない。
「朝には帰って来るだろうよ」
若い者の気持ちが判らぬ無粋な者になるのは、父親ゆえであろう。
娘の『女』の部分を、見たくないのはどこの父親も同じであろうが、
ゆえに娘達はこっそりと逢瀬を繰返す。
これも世の常であり、その内に留め置かれなくなった情念が時を構わず場所を構わず
ふきだしてくる。
もうすぐ伴になれるとならば、一層情恋はたけりくるうものである。
「そう・・かな?」
「ああ。きのえももう、子供じゃねえんだよ」
朝まで待つかと勝源は不安を諫めるしかない。
どのみち、女子は他所の男にさしださねばならぬもの。
生まれた赤子が女と知った時に、男親なら誰でも腹をくくることである。
その覚悟の時が現実にやってきていささか、取り乱した。
こう言う事になるか。
「娘と云う者は急に女子にかわるものなのだな」
ぽつねんと呟いた勝源の胸内は
藤太の所に行っておればよいと思いながらもやはり複雑である。
行っておらぬきのえであってくれれば良いとも思う。
が、そうなれば、きのえの言葉『嫌だ』は真実になり、
きのえはどこに行ってしまったのかと不安になる。
「そうだな。藤太のところだろう」
不安を拭うのはそうと認めるしかない。
そう認めるしかない不安の裏で『女』になったきのえを容認せざるをえない。
「そうだな。藤太のところだ」
同じ言葉を自分に言い聞かせ勝源は朝をまつことにした。
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