「竈の神は、八代神の娘婿だという。
ある時、竈の神は、八代神の怒りにふれて、
地上に落とされた。
なにをしでかしたのか判らぬが、
それから、竈の神となり、
人間の行状を八代神に伝えるように成った。
と、いうことだ」
それが、なぜ、銀狼との因になるというのか?
「銀狼が、なぜ、ある一族のみに、憑いているのか、
それは、手繰れぬ。
だが、銀狼からすれば伴侶といっても良い相手を
結果的に、堕としてしまう。
これは、竈の神もまた、同じではないか?
八代神の娘 竈の神の妻もまた、共に 堕ちてしまっておろう」
善嬉は、もうひとつ、澄明に伝えた。
「いづなが銀狼であった時も、同じであろう。
山の神の娘が、沖の白石に姿を変えてしまったのも
たつ子を、堕としたということであろう?」
それは、つまり
「竈の神が、銀狼の所業を止めることが出来れば
堕ちた 八代神の娘を 引き上げられるということですか?」
銀狼をとめたら、八代神の娘を引き上げられる?
そんなことが、できるのだろうか?と、澄明は思う。
「おまえが、それをいうのはおかしかろう?
おまえ、鼎を救うた折、禁術をつこうたではないか」
鼎が餓鬼に堕ちた。餓鬼からを鼎を救うために、
澄明は、禁術である同化の術で
鼎におきたいっさいを、餓鬼に堕ちる事になった山童の凌辱を
魂の時の流れをさかのぼり、澄明が一身一魂で、引き受けた。
鼎は記憶も、魂に刻まれた出来事も、その身に起きたことも
無垢のものになり、餓鬼の姿から、元の鼎に戻っている。
「そ・・それでは、
同化の術ににたような何らかの方法で
銀狼の所業を変転できれば
八代神の娘も、引き上げられる?」
澄明の問いに、善嬉は、首をかしげるしかなかった。
「あくまでも、そうかもしれない、と、しか言えない。
ただ、こうやって、
お前の話を知ってみると、もうひとつ考え付くことがある」
「それは、いったい?」
「竈の神の、そも 元の神の名は
建御雷神 である、と、いう話もある」
「建御雷神と・・・」
「おそらく、太古、人々は
雷などで起きた火を、頂戴したのだろう。
その火を起こしてくれた建御雷神を
我が住処の火の置き所、竈に祀ったのではなかろうか」
「火の護り神ということですね」
「そこで、もうひとつ思うことがある」
善嬉は、あくまでも、仮ことであると付け足した。
*******資料として*****
建御雷之男神、武甕槌神、建布都神、豊布都神、建雷命 等
名義は「甕(ミカ)」、「津(ヅ)」、「霊(チ)」、つまり「カメの神霊」とする説、「建」は「勇猛な」、「御」は「神秘的な」、「雷」は「厳つ霊(雷)」の意で、名義は「勇猛な、神秘的な雷の男」とする説がある。また雷神説に賛同しつつも、「甕」から卜占の神の性格を持つとする説がある
甕(かめ) 底部からゆるやかに湾曲もしくは屈曲して立ち上がり、わずかに肩部を有するか、そのまま開いた状態で口縁部に至る器形で、一般的に貯蔵などに使用されるため、必ずしも人間が一人で運搬できるとは限らないような、また運搬することを目的としない大形の器を含めて呼称する。須恵器の甕には、口径あるいは腹径の2/3未満のものが含まれているなど、肩部から頸部への湾曲状態によっては壺と区別の困難な製品もある。しかし、概ね長谷部の定義どおり、甕は、大量の液体などを保管、貯蔵したり、藍甕にみられるように多量の液体を必要とする作業に用いられる腹部に対する口径の比が大きい容器で土器・陶磁器であるもののことをいう。
日本では、弥生時代中期に北九州、山口県地方を中心に埋葬のために居たいを納める容器として甕が使用され、甕棺として知られる。
このためか、竈の神の出自話には、竈に身を投げて焼死した男 それを竈の神として
哀悼した、という話も多くある。
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