鼎の眼が虚ろに開いたまま、
夕刻迫り探しに来た白銅に見付けられるまで
山童の蹂躙が何度も繰返された。
「か、な、おのれ!」
白銅は鼎の有り様に気が突くとたちどころに法術を唱えた。
風が起きると山童の身体が巻き上げられ
引き切られぼたぼたと肉片となりて落ちて来た。
「鼎」
慌てて、鼎の側によると鼎の顔を覗き込んだ。
「鼎?」
眼が宙をさ迷い白銅と目があわない。
ひしと鼎を抱き締めると、
「鼎?」
もう一度呼ぶと鼎の眼がぼんやり、山童の肉片を見つめた。
やがて小さく悲鳴を上げた。
「ひっ」
「鼎」
「あ」
やっと白銅に気が付くと
「兄上」
一言呟く様に言うと
「うわああああああああ」
声を上げて泣き出した。
白銅が鼎の身体の汚れをはたくと、鼎は、
「痛い、痛い、痛い」
と、うめく様に言う。
「鼎。なんでもない。忘れろ。良いな。忘れてしまうのだ」
鼎は呆けたような顔で白銅を見据えていたが、
ふと、自分の足に伝うものに手を延ばした。
山童に掻き繰り回され
何度も三匹の精をはたき込まれたほとから
生臭い精と破瓜の血が交じり合って落ちて来ていた。
「ひいいいいいいいい」
哀しげな絶叫が森の中に響くと、鼎の意識が途切れた。
白銅は鼎を抱きかかえると家に連れ帰った。
「どうした?」
鼎を二の腕に抱かかえているのに気が付いた雅ははっと息を呑んだ。
「な、なんと」
「・・・・」
白銅は情けない顔で父親である雅を見上げた。
「やま、山童に・・・畜生めが三匹で、代わる代わるに鼎を・・」
「数珠は?守護を得ぬ訳がない」
「鼎を捜し歩いた途中の叢に、引き千切れておりました」
「くっ」
雅は拳を握り締めた。細かく拳が震えている。
「山童は?」
「かまいたちを起こして、八裂きに。されど、この憎しみ消せませぬ」
「憎しみに身をやつしてはならぬ。おつるぞ」
「判っております」
「良いか。忘れろ。忘れてやらねば一番苦しむのは鼎じゃ。
身体を洗うてやれ。他の者の目に留めてはならぬ。早う、行け」
「はい」
鼎の身体を洗ってやりながら白銅は声を上げぬように咽び泣いた。
まだいたいけない、年の離れた妹だった。
鼎は一度うっすらと目を開けたが
身体を抱え洗っているのが白銅だと判ると安心したのか、
そのまま目を閉じた。
恐ろしい蹂躙から救われると神経が傷を癒す様に
鼎を眠りに引きこんで行くようであった。
其れから、しばらくは鼎の顔が暗く沈んだままだった。
少しずつ立ち直りかけていた。
その矢先だった。鼎が初潮を迎えた。
白銅は堂に入り朝の祈りを唱え四方神に榊を上げていた。
「ひいいい・・ひいいっひい」
鼎の声に驚いて駆け付けると、鼎の形相が只事でない。
「おちつけ!鼎。話してみろ」
「おるわ。あああ、そこにおる。ほれ、ほれ」
鼎の言う所になんの気配一つない。
「おらぬ。のう鼎。何もおらぬではないか」
「いいや。山童がまた来やった」
「鼎」
「ほれ、この血を見や」
裾を上げると鼎の股から太腿に血が滴るように伝わってゆく。
「いかん」
鼎は障りを迎える前に破瓜を受けた。
恐ろしい記憶が混濁して、
それが障りの血であるとどうしても呑み込めない。
「うわあ、うわあ・・・」
そして、障りの度、鼎の正気が失われていった。
「うううん」
昏睡の中に居る筈のひのえが唸った。
「はっ」
不知火も白銅もたじろぎもせず、ひのえを見詰めた。
二人が息を殺してひのえを見守っていると、
やがて、ひのえはしっかりと目を開けた。
「ひ、ひのえ」
白銅の呼ぶ声にひのえは起き上がると
「鼎様は戻りましたな?」
と、そう尋ねた。
「ああ。ああ。慈母観音が山童から逃がしてくれたというてな」
「良かった」
ひのえはそう言うとしっかりと床から立ち上がった。
「ひのえ・・・すまぬ」
「お忘れなされ」
「しかし・・・」
「山童の狼藉なぞ。それに思念の世界」
「だが・・・」
「白峰に比べたら、じつうの事で御座いませぬゆえ」
「く」
「白銅。強くならねば。白峰にこのひのえが勝った後に
ひのえを妻になどできませぬわ」
「・・・・」
「どんなにしても本当の事は本当の事です。
このひのえの身体を白峰がくじったのです」
「判っておるわ」
「ならば、よろしいのです」
訝しげに聞いていた不知火は二人の話すことで
鼎の禍がなにであったかしると、ぽんと手を打った。
「なるほど。澄明。そなた。ふん。頭の良い女子じゃのう」
ひのえは不知火の方に向き変わるとにこりと笑った。
「御判りですか?」
「うむ。成る程のう。鼎は障りの血を見て狂い始めた。
だが、白峰の子を宿しているお前には障りはない。
狂うわけがないわの。初めから勝算があったわけだの」
「その通りです」
「しかし・・・このような事になると、女子は、女子でなければ助くられぬの」
ひのえが不知火の言葉に何おか言おうとした時、
ごとごとと祭壇が揺れた。
「む?」
気が付いた不知火が祭壇を見た。
「不知火。下がるがよい」
ひのえが落ちついた顔で不知火に声を懸けた。
「白峰だろう。私の意識がつかめぬゆえ、案じて来たのだろう」
ひのえが言い終らぬ内に、ざざざざざという音が
祭壇の下から聞えて来た。
「おおっ」
ぴりぴりと祭壇が軋むと、いきなり祭壇が引き倒されてゆく。
「静まりや。ひのえはここにおる」
その声に白銅も不知火もひのえを振り返ると、
すでに、いずくから現れたのか
ひのえの側に寄りそう美しい若者の姿があった。
「あれが・・・」
「ああ。白峰の人のおりの姿。だが、変ったの」
「何が?」
白銅はじっと食入る眼差しを白峰に向けたまま尋ねた。
「恐ろしく刺すような冷たい光がのうなっておる」
「ふむ。が、美しい。これほどとは、思うておらぬかった」
ひのえの魂までその美しさで奪い尽くしてしまいかねない。
じっと見詰める白銅達に気も止めようとせず
白峰はひのえだけを見ている。
「ひのえ。無茶をするでない。
慈母観音があの女子を逃がさねば、
お前の身体をよりひもにして助けねばならなかった。
動けぬ様になっておったのだぞ。
お前の身体をよりひもにしてもあの女子が動けねば
自分の身体に戻れなんだぞ。
お前の身体はすでにわしの性じゃ。
お前を落とし込んだならば鼎にあふりが掛かる。
が、その業を受くるはひのえ。鼎を映したお前なのじゃ」
「白峰。すまぬ。が、慈母観音が来るのも判っておった」
「当り前だ。わしの子を宿したその身体。なんとしても護るわ」
「すまぬ。白峰」
「ひのえ。お前に何かあったら、わしは狂いはてる。この、白峰を・・・」
声を詰まらせ白峰がひのえを抱き寄せる。
「良かった。ひのえがおる」
むせび泣くような声がひのえの差し延べた腕の中に漏れて行き、
白峰はひのえの手を取るとその手に何度も頬を摺り寄せた。
「白峰。後でゆく。待っておれ」
ひのえを深く覗き込んでいた白峰の瞳が細く潤むとふっと姿が消えた。
「ほ。慈母観音を差し向けたのは白峰か」
不知火の独り言がぽつりと漏れた。
「白銅。白峰の想い・・・」
不知火は白銅を見ると言葉を切った。
白銅の頬が張り詰めている。
じっと、ひのえを見る目が動こうともしない。
「身体を合わせただけではない・・・」
うめくような呟きが白銅の口から漏れる。
「当り前だろう。白銅、貴様、女を知らぬわ」
「いかぬか?」
「まあ、よい。しかし、おかしい」
「何が?」
「考えても見ろ。以前ならお前があのような目で澄明を見たなら、
今頃はお前があふりで倒れておるわ」
「ふ、もう、ひのえを手中に治めた気でいるのに決っておろう?
ひのえも子を宿した。どう、考えても・・・」
「お前など、眼中に無いのは判っておるわ。
そうでなくてな。わしは九十九の所にいったのだ」
不知火は九十九に神を読ませる事はできぬが、
澄明を読む事はできると考えただけである。
「九十九?そうか。で?」
「前世を手繰ってもやはり同じことが何度か続いておるとの。
白峰のあとも白峰のあふりが続いて、
澄明は白峰との後は誰とも、婚姻をかわしておらぬゆえ・・・」
「それで?」
「聞け。澄明を諦めろなぞ、もう、言う気はないわ。
九十九の言葉が本当なら白峰が何故お前を見逃す?
ひのえが一人になるなら、それでも、あふりがくるなら、
何故お前を目にも留めぬ?」
「白峰の事だ・・・それに・・・」
ひのえの聞かされたひのえの性をかえられている事を
いおうとして白銅は止めた。
「いや。良く、判らぬが、
澄明を護るだけが精一杯のような余分な事に力を使いたくない。
その様に見える。
始めにも言うたように恐ろしくないのだ。
不思議なほど穏やかな目付きをしていた」
「・・・・」
「何かあるぞ。もう、少し手繰ってみるか」
「もう良いわ。白峰の事は構わぬ。それより・・・どう、思う?」
「何が?」
「ひのえは腹の子が白峰の姿であれば、わしの所に来ると言うた。
因縁の話もしよった。
白峰の姿であれば、子はそのまま、白峰の社に入るだろう。
後は、氏子が護りおろう。
だが、人の姿であらば、ひのえは白峰の物になるつもりでいる。
子供を抱えて巫女にでもなるつもりだろう」
「・・・・」
「人の子でありても、因縁断ち切る法があるやもしれぬというても、きかぬ」
「白峰の物になっておるなら真を尽くそうというか。澄明らしい」
「戯けた事を言うな。どうでも、わしが嫌じゃというなら諦めるわ。
白峰の思いの物になっているわけではない。
例え、人の子を産みても、そう言うたひのえを、よう、渡さぬ」
「蛇じゃの・・・」
「やはり、そう、思うか?」
「が、やはり、おかしい。お前とそういう話になっていて、
あの白峰があふりをくらわさぬが、尚府に落ちぬ」
「そうか?」
「澄明がお前の話に迷うのは判らぬでもない。
が、白峰を見ていると腹の子は人のようにも思えてくる」
「・・・・・」
「此度は子を産んだ後に白峰のあふりがないと思うか?」
「ん?」
「今は腹に子がおる。
どう考えても、どう足掻いても、白峰の物だろう?
故にあふりを上げなかったか」
「それを、さっきから言うておる」
「だから。身二つにならば・・・どうじゃ?」
前世のひのえがその跡に婚をなさずに居たという事は
白峰のあふりがあったせいでということであろうか?
たんににひのえの前世が蛇にくじられた己の身を恥じて
婚をなさなかっただけなのか?
「・・・・」
「澄明はお前が余りに思うゆえ、遠回しに断わったのではないか?」
つまり、この先も白峰のあふりがある?
前世の事をかんがみても当然ありえるはなしである。
「又、白峰のあふりを受けて負けるだけですよ。とは、言えぬわな」
「いや。あふりはあげてこぬ」
「何ゆえ。そういいきれる?」
「なぜなら、此れが最後ということだからだ」
「来世におなじくりかえしはないと?」
「わしも一つだけ似に落ちぬことがあった。
だが、不知火が九十九に読ませたことでなぞがとけた」
「なんだというのだ?」
どう腑に落ちなかった物がどう謎が解けたという。
「普通。人と人でないものが交わるのは七日を限度と聞く。
だが、白峰はひのえを百日虜にした」
「それは、大神ゆえの神通力ではないのか?」
「わしもそう考えておった。
だが、違う。
前世前世の繰り返しで奴は此れを最後にする日切りがきたのだ。
故に前世の繰り返し、繰り返しの総括を行い、
百日という、時をえた。こう、かんがえられんか?」
「確かにそれで百日の理屈は通る。
だが、それほど長きの時をかけて、
くじった女子のことを白峰が百日で精算するかの?」
「しなければならなくなったということではないか?」
「え?」
「齢壱千年。長すぎる寿命ではないか?」
「す、すると?」
「寿命ではないか?
そして、ひのえもこの世において白峰の欲を漱ぐ女子の役もおわる」
「だが::」
それだけでは得心できない事がある。
「ならば・・・」
生まれてくる子が蛇ならばどうであろう?
白銅の推察どおり白峰の寿命が尽きる。
かてて、百日の情交をかんがみても、腹の子は蛇である公算がつよい。白峰の性がながれこんでいすぎる。
いや、むしろ、蛇にうませしめるためにも百日の情交を得たといってもよい。その子蛇が産まれ、父親である白峰が
永きの年を思いかけた母親である澄明を
白銅にあっさりわたすだろうか?
父。白峰大神の意思をつぐのではないか?
けして、他の男にくれてやるわけがない。
いま、白峰があふりをあげずともかまわぬわけがそこにあるのではないか?
つまり、どのみち澄明は白峰の虜囚でしかない。
腹の子と、口に出すのが、きずつなく不知火は澄明の姿を振り返った。
それとなく澄明の腹の辺りに目線をやって
「すると、あれはどうなる?」
こう問いかけて不知火の中に湧いた疑念を
白銅と詮議してみるつもりで澄明を振りかえったに過ぎなかった。
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