ワルシャワ蜂起
の、中
ソ連の裏切り
ヴィスワ川対岸のプラガ地区の占領に成功したソ連軍は市街地への渡河が容易な状況にあったにもかかわらず、蜂起軍への支援をせずに傍観を決め込んだ。ソ連軍と共に東方からポーランドへ進軍しプラガ地区に到着していたジグムント・ベルリンク将軍の率いるポーランド人部隊「ポーランド第1軍団」のみが対岸の蜂起軍支援のための渡河を許され、彼らポーランド人軍団はベルリンク将軍以下必死で蜂起軍の支援をしたものの、その輸送力は充分ではなかった。ソ連軍は輸送力に余裕があったにもかかわらずポーランド第1軍団に力を貸さなかった。のちにポーランド人民共和国最後の国家指導者で1989年の新生ポーランド共和国初代大統領となったヴォイチェフ・ヤルゼルスキはこのときポーランド第1軍団の青年将校として現地におり、物資補給作戦に参加している。彼はこのときの燃え盛るワルシャワ市街を眺めながらソ連軍に対して涙ながらに感じた悔しさをのちに自伝『ポーランドを生きる』のなかで赤裸々に吐露している。
ソビエトはイギリスやアメリカの航空機に対する飛行場での再補給や、西側連合国による反乱軍の航空支援に対し同意せず、質・量に勝るドイツ軍に圧倒され、蜂起は失敗に向かっていく。
ソ連軍は1945年に入った1月12日、ようやく進撃を再開。1月17日、廃墟と化したワルシャワを占領した。その後、ソ連軍はレジスタンス幹部を逮捕し、自由主義政権の芽を完全に摘み取った。
生き残った少数のレジスタンスは地下水道に逃げ込み、ソ連軍進駐後は裏切ったソ連を攻撃目標とするようになった。共産政府樹立後も、要人暗殺未遂などしばらく混乱が続いた。
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こういう背景・事実・感情を
ワイダ他、いろいろな人々が、
伝え続けている。
ソビエトのやり口を、
ウクライナ進攻で判って、
日本の終戦のどさくさで、
北海道を取ろうとして、
察知していた日本軍が応戦した。
ーそのあたりも、終戦になるギリギリを狙ってきたソ連だったわけで
姑息なやり方の上、今でさえ、北海道はソ連(ロシア)のものだという。
こういう北海道他での歴史を塗りつぶしたのが、
共産思想を敷こうとした(例えば、ユダヤの富裕層とか*ラビの懺悔がある)一派で
教育現場に、それが、入っていって
ー天皇は戦犯だーとか、刷り込んでいったわけ。ー
で、終戦の時刻までは、武器をもって、戦い
ソ連軍を阻止したわけだけど
終戦と同時に武器をおいた。
結果的に、ソ連が北方4島を搾取したが、
ポーランドに対しても、同じやり口。
現ロシアも旧態依然の考え方になるのは、
なにゆえなのか、判らないが・・・
ポーランドにすれば
ウクライナ他への
ロシアのやり口をゆるせない心情がある。
むしろ、日本の方が・・・
どうかしてると思うことがある。
ロシアのウクライナ侵攻のプロパガンダを
まにうけていたり・・・
どっちも悪いとか・・・
ウクライナが折れればよいとか・・
北海道への侵攻をふせいだものの
その史実は、表面化されていない。
(ソビエトのやり口とかね・・・)
それがゆえに、
そう思うのか?
それとも共産主義の思想が教育現場に入り込み
ー洗脳ーされてしまったのか?
統一教会の信者のー洗脳ーをみると
信じ込んでしまったら、簡単に解けないと思う。
おなじような状態なのかもしれない。
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