今日、きれいな花が咲いている。
楽しい、美しい、ありがたい、でも何故咲いているのかを考えてみてもいいのではないか。
それは、こういうことらしい。
◆今日花が咲いているのは過去のおかげと知る
これは、日々の行いの積み重ねが結果に反映される、ということなのだろう。
咲いた花を見て、今年ひとりで咲いたと思ってはいけない。
それは、過ぎた日に撒かれた種が今日咲いたということなのだ。
あなたが撒いたものではないかもしれない、きっと知らない誰かが撒いたものだろう。
花は、ただ自分の力だけで咲いたのではない。
去年のあなたの行動の結果かもしれないし、遠い昔のおばあさんが撒いた種かもしれない。
鳥が落としたフンの中にあった種かもしれない。
いずれにしても、花はただ自分の力でその日に咲いたのではない。
実ったもの(出現したもの)は、因果応報としてすべてつながっているのだ。
良い結果も、悪しき結果も、すべては日々の行いの因縁によって生じるということを心すべきだ。
→因果応報ねぇ・・ ちょっと注意(半分くらい)が必要かもね・・