人は誰しも自分の持っていないものを欲しがるものではないだろうか。
転じて、自分の体験していないものを欲するものなのかな。
名古屋住みのおいらは、近場にはない温泉を渇望している。
そしてそれらの多くは、東北地方だ。
◆175湯を巡ってやっとわかったこと
おいらは、スタンプラリーよろしく、各地の温泉を巡っている。
たしかに多くの温泉地を体験した。
だが果たしてそれらは、最上級のものだったのか。
たとえて言えば、秋田県の秘湯乳頭温泉だ、たしかにそれを体験したがそれは大釜温泉だ、鶴の湯ではない。
岩手県の夏油温泉も体験したが、それは元湯夏油ではない。
いわば準一流か、二流のそれでしかない。
残念なことなのだが、一流の秘湯を体験するためには、やはりそれなりの支払いが伴うということなのだろう。
だから、初回の訪問で予算をけちるとそれなりの宿と湯となり、結局は一流への再訪となってしまうのだ。
そしてそれは、人生全般にも通ずるものではないだろうか。
必要なものはやはり必要なのだから、きちんとそれなりの費用を負担すべきなのでしょう。
そうすれば、後からあれが欲しかったと後悔することはないのでしょう。
→予算をけちると、結局は高くつくのはよく経験するものです。
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