<2010年10月に書いた以下の記事を復刻します。>
最近、ある事でフランスの数学者エヴァリスト・ガロア(1811年~1832年)を思い出した。ガロアと言っても、数学の関係者はよく知っているはずだが、一般の文系の人はあまり知らないだろう。しかし、数学が大の苦手の私だが、ガロアの名前だけはよく覚えている。
ガロアを知った切っ掛けは、もう50年以上も昔だが、理系の友人から「これを読んでみたまえ」と言われ、『神々の愛(め)でし人』と題する本を借りたからだ。
中身はガロアだけでなく、何人もの夭折した天才たちの物語だったと記憶するが、後で調べたら、この本はポーランドの代表的な物理学者であるレオポルト・インフェルトが書いたものだと知った。(インフェルトはあのアインシュタインの弟子でもある。)
さて“神々の愛でし人”という意味は、天国に早く召された人、つまり早世した人のことを指すのだろうが、ガロアは1832年にわずか満20歳で死去している。
なぜ有名かと言うと、彼は恐るべき数学の天才で、17歳の時に書いた論文が代数学の新しい解析方法を発見したというのだ。一説によれば、彼は難解な数学書をまるで“恋愛小説”のように易々と読んだという。ガロアが提出した論文は、当時の一流の数学者にも理解できなかったようである。(断っておくが、私は代数などの数学は全く無知なので、その内容ではなくガロアの短い人生だけを語っているのだ。)
さて、ガロアはパリの学校で学んでいくのだが、ちょうどその頃、フランスで7月革命(1830年)が起き、彼は友人の影響で過激な共和主義者になっていく。これはガロアの人生にとって不幸だったろうが、要するに“革命家”になっていったのだ。このため、彼は高等師範学校を退学になったり、2度投獄されたりする。
しかし、熱烈な性格のガロアは政府の弾圧に決して屈しなかった。むしろ反政府運動、革命運動に命を燃やしていった形跡がある。他方、その激しい性格が災いして、周囲の人や家族らにいろいろ迷惑をかけたようである。自信過剰・自己中心の典型的な天才ではなかったろうか。
2度目の投獄から仮釈放されたガロアは、1932年3月に監獄の近くの療養所に入れられるが、そこの医師の娘と恋愛関係に陥った。ところが、その恋愛は上手くいかず、逆に娘に関係のある2人の男から“決闘”を申し込まれる。 その辺の事情がはっきりしないのだが、危険な革命家であるガロアは政府側の陰謀にハマったという説もあるのだ。
それはともかく、決闘前夜に彼は自分の死を予感したのか、友人のオーギュスト・シュヴァリエに大急ぎで一通の手紙を書く。ガロアは「時間がない」と走り書きしながらこの手紙を書いた。 これが有名なガロアの「群理論」と言うもので、後世の数学に絶大な影響を及ぼすものとなった。その内容はもちろん私には理解できないが、約半世紀たって「5次方程式の解法」に結び付いたという。さらに21世紀の今日にまで影響を与えているというのだ。
ガロアは翌日早朝(1932年5月30日)、男たちと決闘して重傷を負い、次の日に死亡した。享年満20歳。
“早熟の天才”というのはどの世界にもいるが、私はガロアほど印象に残る人物はいない。それは単に恐るべき才能を持っていたと言うだけでなく、彼の悲劇的な短い人生がそう印象付けるのだろう。
革命家になったガロアはどこか“自滅的”であった。生前、彼は「もし民衆を蜂起させるために誰かの死が必要なら、自分がなってもいい」とよく語っていたという。一種のヒロイズムだろう。死に急いだ感じがする。そこがまた、何とも言えない魅力を感じるのだ。“神々の愛でし人”ガロアは、こうして早々とあの世へ旅立っていった。しかし、彼の名は不朽である。(2010年10月6日)
参考資料・・・ウィキペディア「エヴァリスト・ガロア」・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%AD%E3%82%A2