<2008年8月に書いた文を一部修正して復刻します>
ブログでいろいろな人と話をしていると、昔、何人かの人と文通していたことを思い出した。もう50年以上も前になるが、その当時は「ペンフレンド」とか「ペンパル」と言って、手紙のやりとりで交わっていたのだ。
私が高校1年の頃だったと思うが、よく覚えていないが『高一時代』といった学習雑誌で知ったのだろうか、数人の高校生と文通したことがある。そのうち、外国の少年少女とも文通したくなった。これは要するに、自分の和文英訳の能力を高めようという気持もあったが、外国の子と仲良くなりたいと思ったからだ。
特に、外国の女の子と文通できれば幸せだな~というロマンチックな思いがあった。どういう手がかりだったかは忘れたが、ある日、私はドイツの女の子に英語で手紙を書いて投函した。返事が来るかどうか全く予想できなかったが、いちるの望みを持って待っていた。
すると、2週間以上経ってからだろうか、そのドイツの女の子からエアメールで返事が来たのだ! 私は喜びに震える気持でその手紙を読んだ。わりと分かりやすい英語だったと思う。
その時から、私はしげしげと彼女と手紙を交わすようになった。英語の辞書と睨めっこしながら文章を書いたのだが、とても充実した時間だったように思う。少女の名前はヘルガ・グローベル(Helga Globel)とはっきり覚えているが、彼女がどこに住んでいたのか、また何を語り合ったのかほとんど覚えていない。
ただ一つ記憶に残っているのは、当時「西ドイツ」に住んでいた彼女が「東ドイツ」との統一を強く望んでいたことだ。東西ドイツの統一はそれから30数年たって実現するのだが、その当時は米ソ冷戦・東西冷戦の真っただ中にあったから、高校生の私にはドイツの統一はまるで“夢物語”のように思えた。しかし、ヘルガには「いつの日か、ドイツが統一できますように」と書いたことを覚えている。
少女との文通は、写真を送り合うなどずいぶん親密になったが、そのうち次第に疎遠になりやがて途絶えた。どうして途絶えたのか、その辺の事情は全く覚えていないが、もう書くことがなくなったのか、あるいは互いに関心事が他に移ったのか、進学・進路などの問題で忙しくなったからだろうか。
文通とは、今から考えるととても“原始的”な手段かもしれない。科学技術が発達した今では、メールや携帯電話、スマホやブログなどで自由に瞬時に意思疎通ができる。しかし、いかに原始的な方法であろうとも、手紙は人の交わりの“原点”だと思う。お互いに慣れない英語を使って、ドイツと日本の間で交わした文通を今でも忘れることができない。(2008年8月21日)
付記・・・後で調べたら、文通は今でも相当に行われているようだ。手紙のやり取りはやはり、人の交わりの原点ではないのか。メールやブログ、ラインなどとは違った味わいと奥深さがそこにあるようだ。
ただ外国人はヘルガだけでした。彼女は今どうしているか・・・ヘルガから手紙が来た時の感動と興奮は忘れられません。必死になって英語の手紙を書きましたね(笑)。
メールは便利ですが、肉筆の手紙(エアメール)はまた格別だったと思います。そう考えると、あなたと私は全く同世代なんですね・・・
懐かしいですね、その語感。
私もよくやっていました。
最初は日本人。大学に行くようになって海外の人と。さあ、何人の人としたかというくらいしていましたが、すぐに来なくなるのは英語力がなかったせい?
アメリカ人の同い年くらいの“コニー”とは長続きして、彼女が1ヶ月近い日本旅行をしたときには、うちで1週間も泊まってゆきました。