矢嶋武弘・Takehiroの部屋

われ発信す 故に われ在り、われ在り 故に 発信す
日一日の命

たかが将棋、されど将棋

2024年11月07日 04時02分07秒 | エッセイ・私事など

<このところ、AIの将棋にハマっていたので、2004年1月に書いた以下の記事を復刻します。>

 将棋は日本の代表的な遊技の一つである。私も将棋が好きで子供の頃から指していたが、「下手の横好き」というか一向に上手くならない。しかし、将棋を指している時は、他の事には目もくれず熱中できるから楽しい。
 小学生の頃、親父から将棋を教わり、中学時代から社会人になるまで、断続的にやっていたことを覚えている。会社勤めをしてからも、職場で同僚とよく将棋を指していた。
 50歳を過ぎてからも、仕事の都合で出張に出かける時は、新幹線や飛行機の中で同僚とよく指した。 将棋をやっていると、夢中になって時間の経過を忘れてしまう。気がついた時には、出張先に到着しているというわけだ。その間、まったく退屈しない。
 現代文明の発達のおかげで、今や将棋は自分一人でも楽しむことができる。 ファミコンプレステなどで随分将棋を指したし、今でもしょっちゅうゲームをやっている。10種類以上のソフトは経験していると思う。 しかし、一日8時間以上も将棋ゲームをやっていると、さすがにその時は疲れてしまう。

「日本将棋」の面白さは、チェス(西洋将棋)などと違って、相手から奪い取った駒を持ち駒として使えることだろう。こういうルールは他国の将棋にはないという。 このため、日本将棋には多様性と深みがあり、盤面は“千変万化”に富むものになるのだ。
 ある有名な棋士が「将棋は狂気の世界だ」と言ったが、正に“魔物”が潜んでいるように感じることがある。 コンピュータ将棋を楽しんでいると、絶対優勢のうちに敵の玉(ぎょく)を追い詰めているのに、劣勢の相手に「あれよあれよ」という間に負けてしまうことがある。
 これは詰めが甘いということだが、逆に飛車も角も奪われて、絶体絶命のピンチに追い込まれているのに、敵の玉に詰め寄った“と金”が思わぬ働きをして、起死回生の勝利をつかむことがある。 こういう時は、なんとも言えない快感を味わうのだが、自分ながらに不思議だと思ってしまうのだ。 
 このように将棋には、複雑で多彩で不思議な変容があるため、指し出したら夢中になってしまう魅力があるのだろう。

 「コンピュータ将棋」と馬鹿にしてはいけない。チェスでは、世界チャンピオンがコンピュータと対戦して何度も負けている。最近ではたしか、コンピュータの方が勝ち越しているのではないか。
 将棋はチェスよりずっと複雑で手が込んでいるため、プロの棋士がコンピュータに負けることはない。 しかし、コンピュータの日進月歩の発達で、そう遠くない将来、一流棋士でも負けるようになるかもしれないと言われている。
 もしそうなると、人間が造ったものに人間が負けるという事態が将棋の世界でも起こり、将棋自体が面白くなくなるのではと心配される。 各人が自分の“レベル”に合わせてコンピュータを選び、対戦をお願いするというわけだ。
 最高レベルのコンピュータと、名人や竜王が7番勝負をするようになるかもしれない。 あるいは、対局後の感想戦の時に、コンピュータに指し手を検証してもらうことだってあり得る。こういうことが、21世紀の遠くない時点で現実になるのだろうか。

 数年前、私が会社勤めをしていた頃、将棋同好会に毎月一回プロの棋士を招いて勝負を楽しんだことがある。その「日本将棋連盟」七段のTさんには、角落ちで対戦しても全く歯が立たなかったが、ある日、同僚とTさんの3人で一杯飲んだことがある。
 ざっくばらんに話そうというので、私は思いつくままに、将棋はゲームだから駒の色をカラフルにした方が良いとか、対局は正座しなくても椅子とテーブルを使ってやれば良いなどと、勝手なアイデアを次々に申し上げた。
 将棋連盟の普及・出版を担当するTさんは、どのように受け止められたか知らないが、日本の国技である柔道は、国際試合の時に、今や白色と青色の柔道着をきて対戦しているし、囲碁の世界もテーブルを挟んで椅子に腰かけてやったりしている。
 将棋は柔道や囲碁ほど国際的でないから、カラフルにしたり洋式にする必要はないかもしれないが、一般の人にも親しみやすい工夫を考えていくべきではなかろうか。

 「吹けば飛ぶよ~な 将棋の駒に~ 賭けた命を 笑わば笑え~・・・」 ご存知、村田英雄が唄った名曲『王将』の歌詞である(西条八十作詞 船村徹作曲)。 私はこの歌が大好きで、カラオケなどでどれほど唄ったことか。
 孤高の天才棋士・坂田三吉の生きざまを詠ったこの曲は、日本人の心を揺さぶるような何かがある。「あの手この手の 思案を胸に~ やぶれ長家で 今年も暮れた~・・・」 コンピュータ将棋に現(うつつ)を抜かしていると、なぜかこの歌詞が脳裏をよぎってくるのだ。 因みに、この後の歌詞が、男性にとって実に素晴らしいので付記しておく。「愚痴も言わずに 女房の小春 つくる笑顔が いじらしい」
 8時間以上も将棋ゲームに打ち込んでいると、さすがに妻や子供達に馬鹿にされそうなので最近は自粛しているが、やり出したら止められない“魔力”が将棋にはあるようだ。それは、マージャンや囲碁とは異なる魅力をはらんでいると言ってよい。 日本人がいる限り、「将棋よ、永遠であれ!」と叫びたい。 (2004年1月30日)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« <まとめ> 啓太がゆく(全編) | トップ | “叙景歌”は消えるのか ? »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

エッセイ・私事など」カテゴリの最新記事