「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」
聖徳太子が隋(ずい)の煬帝(ようだい)に送った有名な国書の件だが、これを読んで煬帝は非常に怒ったとされる。なぜ怒ったのか。天子は自分一人だけと思っていたのか、日出ずる処と日没する処に怒ったのか。いずれにしろ「無礼である。二度と取り次がせるな」と、煬帝が怒ったのも無理はない。
しかし、聖徳太子の毅然とした態度は立派ではないか。いまどきの中国(シナ)にへーコラへーコラしている政治屋どもとは違う。ところで、この「返書」はどうなったか分からない。小野妹子が紛失したとかいろいろ言われているが、そう簡単に紛失するものなのか。きっと、公表したくない内容だったのだろう。遣隋使は引き続き行なわれた。
おっと、歴史の勉強ではない。聖徳太子は偉かったと言いたいのだ。