第4幕
第1場[11月6日午後、群馬県南甘楽郡の楢原(ならはら)村。 菊池、坂本、伊奈野ら困民軍が行進している所に、日下藤吉が駆けつけてくる。]
藤吉 「菊池さん、坂本さん、日下です!」
坂本 「おお、藤吉君か、無事で良かったな」
菊池 「君と別れてから、どうしてるかとても心配だったぞ。元気でやっていたか」
藤吉 「はい・・・しかし、児玉町で敵軍と戦い多くの同志を失いました。大野苗吉さんらも立派な戦死を遂げました」
菊池 「そうか、大野さんも亡くなったか。残念だ」
藤吉 「みんな勇敢に戦いましたが、敵の銃砲は凄まじくどうしようもありませんでした。大野さんは先頭に立って突撃しましたが、敵弾に倒れました。それは非常に英雄的な戦死で、あの人らしい最期でした」
坂本 「うむ、それで加藤さんや井上さん、井出さんらはどうしたのだろうか」
藤吉 「僕は児玉町の戦場にいたので、皆さんがどうなったのか全く分かりません。ただ、困民軍の一隊が山中谷の方へ向ったという話しを聞いたので、こうして後を追いかけてきたのです」
菊池 「加藤さんらはきっと落ち延びたのだろう、それは仕方がない。 だが、我々は信州へ向って行軍を始めたのだ。これから長野、山梨一帯で第二の戦いを起こすことになる。日下君、君も一緒に戦ってくれるね?」
藤吉 「ええ、勿論です。困民軍の旗がある限り、僕は戦い続けます」
伊奈野 「日下君とやら、新しい総理には菊池さん、大隊長には坂本さんが就任したのだ。新体制のもと、困民軍は戦いを更に強め拡大していくぞ」
藤吉 「素晴らしいことです、徹底的に戦っていきましょう」
菊池 「新しい世の中を実現していくために、我々は決して諦めない。最後の最後まで戦い抜くのだ」
藤吉 「そうです、自由で平等な社会を実現するために、僕らは絶対に屈してはならないのです」
第2場[11月6日夜、東京・内務省の内務卿室。 山県内務卿、大迫警視総監、乃木東京鎮台参謀長。]
山県 「暴徒の一部が、群馬から長野方面へ向っているというのは本当か?」
大迫 「はい、地元警察からの報告によると、暴徒の一団が群馬県の神流(かんな)川沿いに長野県の方へ向っており、周辺の村役場などが襲撃されたということです」
山県 「しぶとい奴らだな、長野に入ると余計に厄介だ。地図を見ながら説明してくれないか」(3人が机上の地図を囲む)
大迫 (地図を指差しながら)「一団は今この辺を進んでいますから、もうすぐ十石峠を越えて長野側に入るでしょう。従って、長野県警に緊急配備態勢を取るように指示しました」
山県 「うむ、しかし、警察の力だけでは、賊徒を鎮圧するのはとても無理だな」
大迫 「敵は未だに多くの銃を持っていますので、警察の対応だけでは全く不十分です」
山県 「この地域は鉄道が走っていないから、困ったものだ。乃木君、高崎から急きょ軍を出すしかないだろう」
乃木 「それしかないと思います」
山県 「ちぇっ、暴徒と追いかけっこか・・・信越線を早くつくってくれと言っておいたのに、こうなるから困るんだ」
乃木 「内務卿、とにかく追いかけるしかありません。高崎鎮台にはすぐに出動命令を出しますが、この碓氷(うすい)峠を越えて、浅間山の裾野から佐久(さく)盆地に入るしかないでしょう」
山県 「碓氷峠を越えるのか、難儀だな」
乃木 「仕方ありません」
大迫 「当方から、地元の警察等へ“馬車”や“人力車”を全て借り出すように指示します。そうしなければ、碓氷峠を軍隊が速やかに越えることは無理です」
山県 「分かった、そうしてもらおう。とにかく、長野県下で暴徒を徹底的に鎮圧しなければ、ますます騒動が広がってしまう。お二人とも、よろしく頼みますぞ」
大迫 「了解しました」
乃木 「ただちに手を打ちます」
第3場[11月7日昼頃、群馬・長野の県境にある十石峠。 峠の茶店の外に菊池、坂本、伊奈野、島崎嘉四郎、横田周作、小林酉蔵、新井寅吉と貞吉の親子、藤吉らがいる。他に、両手を縄で縛られて捕虜となっている巡査。]
伊奈野 「十分に腹ごしらえしたぞ。総理、いよいよ長野県に入りますな」
菊池 「勝手知ったる信州だ。井出君がいないのは残念だが、これからは私に任せといてくれ」
坂本 「紅葉がこんなに美しいとは・・・思わず見とれてしまいますよ」
菊池 「うむ、きれいだろう。昨夜(ゆうべ)は雨が雪に変ったせいか、白いものがあちこちに残っているな。 ほら、左手に見えるのが八ヶ岳連峰だ。この下の方が、私や井出君が出てきた北相木村なんだよ」
島崎 「斑雪(まだらゆき)があちこちに見えるとは、寒くなってきましたね」
菊池 「もうすぐ冬本番だ、農民達の暮しは寒さの中で一段と厳しくなるだろう・・・いや、そんな感慨にふけっている場合ではない。同志達が峠の下で待っている、一刻も早く彼らと組んで戦いを進めていかなければならない」
伊奈野 「それでは、出発しますか」
横田 「その前に、この巡査をどう処置しますか?」
小林 「それは斬るしかないだろう、いつ我々に刃向ってくるか知れないぞ」
寅吉 「ここで“処理”した方が安全だ。どさくさに紛れてもし逃げられたら、後が面倒だ」
藤吉 「ちょっと待って下さい! 捕虜を勝手に殺すのは“まずい”ですよ。相手がいかに警察官とはいえ、それはやり過ぎでしょう」
貞吉 「何を言うんだ! この巡査は敵ではないか、生かしておいては碌(ろく)なことはない。ただちに斬るべきだ!」
藤吉 「いや、“万国公法”でも捕虜を虐待してはならないとある。まして斬るなどとはとんでもない」
横田 「何が万国公法だ、ちょっとぐらい勉強したからといって“青臭い”ことを言うな!」
小林 「巡査は敵だぞ、俺達はいつもこいつらに酷い目に遭ってきたんだ」
藤吉 「だからと言って、捕虜を勝手に斬ってはならないはずだ」
寅吉 「日下君、君は高利貸しの山中常太郎を殺そうとしただろう? 巡査も高利貸しも同じ敵ではないか」
藤吉 「山中を斬ったのは、父の仇だったからです。それと捕虜の扱いとは関係ないでしょう」
貞吉 「きれいごとを言うな! 高利貸しも巡査も同じ敵じゃないか」
伊奈野 「新井周三郎さんも“捕虜”の巡査に斬られたではないか。日下君、よもやその事を忘れたわけではないだろうな?」
藤吉 「勿論、忘れていませんよ。しかし・・・」
横田 「しかしも何もないだろう。周三郎さんのように、我々も突然襲われたらどうなるんだ!」
藤吉 「その巡査は“丸腰”じゃないですか」
貞吉 「いや、いつ隙を狙ってくるかも知れない。俺達の刀を奪うこともあるからな。今のうちに始末をつけた方がいいに決まってるぞ」
寅吉 「そうだ、周三郎君のように油断をしていて斬られたら堪らない。 総理、大隊長、ここは腹を決めて巡査を処理すべきです」
小林 「同感です、生かしておいては為になりません」
坂本 「やむを得ない。総理、ここで処理しましょう」
菊池 「日下君の言うことも分かるが、我々は周三郎君が斬られたことを忘れてはならない。害になるものは早く取り除こう」
藤吉 「しかし、総理・・・」
横田 「つべこべ言うな! そんなに文句があるなら、君は秩父へ帰ったらどうなんだ」
藤吉 「・・・」
小林 「総理も了承してくれたのだ、早いうちに処理しよう」
貞吉 「よし、それではやろう」(貞吉が刀を抜いて、巡査に近寄る。背後から、抜刀した小林が寄ってきて巡査に斬りつける)
巡査 「ギャア~ッ!」(貞吉もほぼ同時に刀を突き刺したので、巡査は絶命する)
第4場[11月7日午後、長野県南佐久郡の大日向村。 村役場に岩村田警察署の警部補・桑名四角之助ら10人ほどの警察官と数人の役人がいる。]
警官1 「偵察の報告によりますと、200人以上の暴徒は十石峠を越えて真っ直ぐにこちらに向っています」
桑名 「武器はどうなのか?」
警官2 「大勢の者が火縄銃を持っており、他は刀や竹槍で武装しているということです」
桑名 「峠の近くに配備した警官隊と猟師はどうしたのか?」
警官1 「指示された通り、無益な戦いは避けて撤退中であります」
桑名 「うむ、それは仕方がない。優勢な敵と正面衝突しても、こちらの損害が増えるばかりだ。 それで、農民達の反応はどうなのか?」
警官2 「ほとんど家に閉じこもっているようですが、中には暴徒に“炊き出し”をする者も現われています」
桑名 「ふん、この辺は民権運動に熱心な連中が多いからな、暴徒に共鳴する奴もかなりいるんだ。そいつらがいい気になって動き出したら大変だ。 役場の皆さん、あなた方は重要な書類を持って早く避難した方が良い。我々も間もなく退却するので急ぎなさい」
役人1 「分かりました。すぐに避難しますが、鎮圧に来る軍隊はどうなっているのでしょうか?」
桑名 「はっきりしたことは分かっていないが、高崎の鎮台兵が佐久に到着するのは、たぶん明日遅くになるでしょう。 それまでは、警察の力では如何ともしがたい」(その時、警官3が慌ただしく村役場に駆け込んでくる)
警官3 「暴徒の一隊40人ほどが、古谷を過ぎて間もなくこちらに達すると思われます!」
桑名 「うむ、それでは全員退却だ。我々警察はとりあえず高野町辺りに退くが、役場の皆さんもそうしたらどうだろうか?」
役人2 「我々も高野町の役場に避難します。その後のことは、暴徒の動きを見ながら判断しましょう」
桑名 「それが良い。では、撤収しよう」(警察官と役人全員が村役場を出て行く)