毎日が山のこと

最近の山歩きの記録はもちろん、作ってみた山行プラン、過去の山歩きの記録も順次掲載中です。

納めの山行は箱根の明神ヶ岳へ(2024年12月30日)

2024-12-31 20:02:48 | 富士・箱根・伊豆

2024年の納めの山行は、箱根の明神ヶ岳にした。娘といっしょだ。

早朝、新宿の小田急連絡通路前で合流し、6時50分発の小田原行きで出発。

箱根は埼玉から遠いし、観光地でもあるので山歩き目的で出かけたのは、昔、家族で金時山に行って以来だ。

 

小田急、箱根登山鉄道と乗り継いで、箱根湯本から桃源台行きのバスにのり、9:24、宮城野橋で降りた。

バス通りから登山口方向へ入ると正面にめざす明神ヶ岳が見えてきた。

 

建物のあいだを登っていくと道路わきに湧水があった。

 

バス停から15分で登山口に到着。

 

登山道とはいっても、しばらくは左側がずっと別荘地だ。

 

この道は紅葉したカエデの葉がたくさん落ちていた。11月下旬ころならかなりきれいなんだろう。

 

 

30分ほどで別荘地の最上部に到着。ここまでは車であがれるということだ。

 

別荘地をはなれ、沢をわたったところから本格的な登りとなった。

空は朝方より雲が広がってしまったので少々薄暗い感じ。

 

次第に溶岩らしい大きな岩があらわれ、歩きにくくなってきた。

木の根や岩角の少し大きな段差も増えてきたのでゆっくりペースで登る。

 

木々の間からは、向かい側にある神山と大涌谷の噴煙がみえてきた。

 

10時57分、明神ヶ岳と明星ヶ岳をむすぶ稜線の鞍部に到着。

あたりは背の高いハコネザサが密生していて、生け垣のようになっている。

 

 

でも稜線を歩いて行くとところどころススキの原があらわれ、展望が開ける。

 

正面には神山と強羅の街。

 

右手には湖尻の方向も見えた。

 

これは左手の方向、電波塔が立ち並ぶ駒ケ岳。

 

強羅の街をアップで。

 

ハコネザサの壁のあいだやススキの原と雰囲気を変えながらのぼり、あるきやすい稜線では灌木のトンネルになった。

 

山頂が近づくと道は一段と歩きやすくなった。

11時31分、矢佐芝分岐。

 

そこからすぐに最乗寺分岐。

 

山頂近し。

カルデラ側に崩壊によるえぐれた地形があらわれ、下に強羅の街がみえた。

箱根は比較的新しい山なので、地質がやわらかいところが多く、雨によって道も深くえぐられやすい。

 

11時44分、山頂到着。

低いススキと灌木が点在するが、東側を除いて北西から南東方向に大展望が広がっている。

山頂には5~6人が休んでいた。

 

これは2006年発行のヤマケイのガイドブックの写真。

 

こちらは私が撮った写真。

昔のガイドブックには、山頂に石の山名盤が写真に写っているが、今はない。

山頂の一部まで土のえぐれが進んできたためだろうか。

それにススキや灌木が増えた感じもする。

 

山頂標識で記念撮影。

 

あらためて神山と強羅の街。大涌谷の噴煙があがり、ロープウェ^の鉄塔もみえる。

 

こちらは金時山。残念ながらその向こうにあるはずの富士山は雲の中だ。

箱根の交通が少し頭にはいったので、金時山にも近いうちに再度登ってみようと思う。

 

娘が用意した豆とセットでコーヒーを入れる。

重い水とガスややかんは私の担当。

おにぎりを食べているとふと暖かさを感じたので見上げると上空の雲が切れて日が差し始めていた。

 

金時山のほうを見ると雲の間から富士山が姿をあらわし始めた。

少し粘ってみることにする。

 

その間に明神ヶ岳の山頂の北西側をのぞいてみた。

ここもカルデラ側の山体がかなりえぐれている。

 

かなり見えるようになってきた。

宮城野からのバスは本数が多いので時間を気にせずもう少しねばる。

 

山頂だけはなかなか顔を出さないのであきらめて帰り始めたが、下り始めのところで振り返るとギリギリのところで剣が峰が顔をだしていた。

やあよかったよかった。

これで心置きなく帰路につける。

 

日が差し始めたので灌木のトンネルも明るくなっている。

ただ、足元の霜解けによるぬかるみで斜面が滑り、靴が泥んこになってしまった。

 

帰りの道で、はるか東に伊豆大島が見えていることに気が付いた。

そういえば、山頂からも駿河湾らしき水平線が見えていた。

冬の山はやはり展望がかかせないポイントだね。

 

さて帰りのバスは観光客でかなり混んでいた。

そして湯本が近づくと道路渋滞になり少し時間がかかってしまった。

宮城野のバス停で待っているとき御殿場から強羅経由で天悠行のバスが通ったので、観光シーズンはそれで強羅から電車にするほうが確実だった。

でも箱根登山も小田急も座れたのだが、終点新宿までのあいだに尻が痛くなってしまった。

 

 

 

 

 

 

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富士山、吉田口を六合目から山下り(2011年8月12日)

2023-08-23 16:18:05 | 富士・箱根・伊豆

今年の夏は富士山が大混雑だそうだ。

弾丸登山とか転んで救助される人とかいろいろ話題を提供している。

私は高校1年のときに登ったことがあるが、山頂はそれ以来ご無沙汰。

でも山頂以外なら2回登っている。

一番最近は、おととし、2021年8月に宝永山に登ったし、そのまた10年前の2011年には吉田口五合目から御庭、六合目をまわって馬返しまで山下りをしたことがある。

宝永山のことはすでに投稿していあるので、今回は、12年前の山下りの様子を報告したいと思う。

 

富士急富士山駅からバスで五合目まであがった。10時30分。

 

五合目は、登山者や大勢の観光客でごったがえしていた。

南側の新五合目とは違って、観光客向けのたくさんの建物もたっている。

 

すぐに喧騒をはなれて、まずは御庭をめざして歩き始めた。

この道は、お中道といわれて、富士山の五合目をひと回りしていたが、大沢の崩壊がはげしくなったので今は大沢から先の道は廃道となっている。

標高2300mから2350mのあいだをほぼ水平に歩くのだから楽ちんだ。

 

苔や咲き残りのシャクナゲ、富士山らしいタデ科の花々を眺めながらのんびりと歩いた。

 

ちょうど森林限界近くを歩くので、樹林帯にはいったり、砂礫と灌木の部分があったり。

 

砂礫地帯になるとはるか頂上まで続く雄大な斜面を見上げることができる。

 

夏山らしく雲が流れているのでなかなか頂上は見えない。

 

カラマツは強風の影響で枝が片方だけになっている。

よくぞ冬の烈風に耐えてきた。ほめてあげるよ。

 

御庭は、富士山の北西側に連なる火口丘の中で一番上にあたるようだが、わずかな盛り上がりにすぎない。

特にめだったところはない。

 

砂礫の中に新しく育ち始めているカラマツ。

 

やはりきびしい環境なのだ。大きくなった木も強風によって倒されているものがあった。

五合目から御庭まで往復で50分くらいかな。

 

ふたたび同じ道を戻って、今度は吉田口六合目をめざす。

そこから富士スバルライン開通前のメインの登山道である吉田口登山道をたどって馬返しまで下る予定だ。

その前に小御岳神社に立ち寄る。

ここは、現在の富士山の前にあった小御岳火山の山頂部だけが顔を出しているところだそうだ。

 

このあたりには立派な大木もあった。

 

砂礫の斜面を見上げながら、先ほどとは反対に五合目から東に歩く。

1kmほど水平の幅広い道を歩いて砂礫地帯から樹林帯にはいると斜めに登る登山道が現れた。

 

ここが六合目への道。六合目で昔からの吉田口登山道と合流する。

左の水平の道はかつてのお中道で、佐藤小屋へ続いている。

下るだけならお中道をすすんで佐藤小屋からくだってもいいが、せっかくなので六合目まで登ることにした。

 

冬の積雪の影響なのだろう樹木の幹が大きくまがっている。

 

ふたたび砂礫地帯に出た。

左下に見えているのが佐藤小屋らしい。そして右上には吉田口旧道にあるお堂の建物のようだ。

 

標高2390mあたりの六合目に到着。ちょうど12時だ。

ここも登山客でいっぱい。

 

さらに上をめざして登っていく人の列を見送って、私はここから旧道を下ることにする。

 

ぱったりと人影が消えて静かになった。

花の写真を撮りながらのんびり下る。

なにせ下りだから楽なもの。

 

宗教的な意味合いがあるような感じのものが気の枝に吊り下げられていた。

修験道と関係があるのだろうか。

 

途中壊れてしまった建物があった。

メインの登山道をスバルラインに奪われて廃業してしまった小屋なのだろう。

 

お堂にたどりついた。

 

日蓮宗の経ヶ岳八角堂というものらしい。

 

さらにくだって佐藤小屋に到着。ランニングをしている人がいた。

 

ここが佐藤小屋、富士山で唯一冬場も営業している。

夏の今は閑散としている。

 

佐藤小屋から少し下ると雲切不動神社のお堂があった。

 

さらに下ると4合目の廃屋。旧井上小屋跡。

少し下には大黒小屋という建物もあったらしいが、そちらは撤去されて看板だけが残っていた。

 

森の中の道をくだっていく。そろそろ2000mを切ったころだ。

 

三合目の小屋は完全につぶれていた。見晴茶屋跡らしい。

 

かつては大勢の客を迎えていただろうに、今は廃墟だらけ。

このあたりまで来ると傾斜はゆるくなってくるが、そのかわり道が長い。

 

疲れてきたので、写真もかなり省略。

というかあまり撮っていなかった。

 

ようやく馬返しが近くなった。また神社があった。

富士嶽神社というらしい。

石柱には富士山禊所と彫ってある。

ここで禊をしてから富士山に登ったということらしい。

 

鳥居とたくさんの石碑があった。

 

道も立派に整備してある。

 

 

 

午後2時18分、馬返し到着。

歩いてみて、かつてのこの道の賑わいが想像できた。

それにしても建物を撤去しないで廃屋のまま放置してあるんだね。

そのおかげで昔が偲べるというわけだ。

下の方がやや単調であきてしまうので、新緑か初夏か紅葉の秋がいいのかもしれない。

ただし、紅葉する樹木は多くなさそうだけど。

 

ここからはワンボックスの路線バスで富士山駅に戻った。

 

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愛鷹山最高峰越前岳(2022年5月4日)

2022-05-05 10:30:00 | 富士・箱根・伊豆

今年の連休はコロナ規制が解除されたのでいつも以上に高速の渋滞が予想される。

そこで電車とバスで日帰りできるところ、愛鷹山の越前岳にでかけた。

新宿6時40分発のロマンスカーふじさん1号を利用して御殿場へ。

御殿場からは富士急のバスで十里木へ。

十里木から越前岳に登り、富士見峠から愛鷹登山口へくだるという計画だ。

座席はネットで予約できたが、乗車券は駅で買えと書いてあった。

ところが新宿駅の券売機ではJR線は買えない。窓口は人が並んでいる。

しかたがないので新松田までの切符を買って乗車した。

車内で車掌に聞くと、JR線内の分は御殿場線に入ってからJRの車掌から買ってくれという。

なんだか中途半端なシステムだ。

さて、鉄道で御殿場に来たのは初めてだ。

バス乗り場には長い行列が出来ていたが、そちらは富士スピードウェイに行く客の行列だった。

もう一つの行列が十里木行き。こちらもそこそこの行列。

この列の大半は途中にある富士サファリパークに行く客だった。

 

富士サファリパークでがら空きになったバスは十里木の別荘地の中を走り、終点十里木へ。

そこから登山口まで道路を歩くのだが、途切れることなく車が通る。

登山口の駐車場もかなりの台数の車がとまっていた。

9時30分スタート。

登山道は、途中にある展望台までは階段状に整備されている。

道の右側は墓地として整備中らしく広い敷地の中央に墓石が並んでいた。

気持ちのよい晴天。日差しはそれほど暑くは感じない。

10分あまりで展望台に到着。振り返ると・・・

ほんとうに雲のかけらさえ見当たらない。

拡大してみると、あらためて宝永火口の大きさがわかる。

箱根の明神ヶ岳に行った時にも感じたのだが、越前岳も土がやわらかいので雨で道がえぐられている。

このえぐれは山頂直下まで続いていた。

もう一段上にある電波塔のそばから展望した越前岳。

まだまだ新緑がきれいだ。

途中ところどころにミツバツツジが咲いている。

ヤマツツジはまだつぼみだった。

道はそれほど急ではなく、歩きやすい。

標高1098mの馬の背に到着。

ここからは南アルプスが聖岳から白根三山まで見わたすことができたが、霞んでいるので写真でははっきりとは見えない。

道は尾根の稜線をたどっていくのだが、深くえぐれているので、脇に新しい踏み跡がつけられていて、みなそちらを歩いている。

えぐれの中のほうがでこぼこが少なくて歩きやすいのだが、少しのぼると雨の侵食による大きな段差にぶつかってしまうのだ。

山頂直下もそれほど急な上りにはならず、えぐれさえなければかなり歩きやすいコースのはずだ。

11時10分、山頂に到着。好天の連休中とあって山頂はたくさんの登山者。

残念ながら、山頂からだと低木にじゃまされて富士山は山頂部しか見えない。

毛糸の帽子と服をきた地蔵さんがある。

南側は開けていて駿河湾がみえる。伊豆半島は霞んでしまってほとんど見えない。

下に見えているのは富士市の街並みだろう。

山頂のはしっこに丸太があったのでそこに腰掛けて昼食。

風が心地よいほどの暖かさだ。

その後も次々に登山者が登ってくる。

若いカップルが多い。

しばらくして登ってきたカップルは男性が座る場所をみつけようとうろうろしていた。

私はおにぎりを食べ終わったので、そのカップルに丸太をゆずって早々に混雑する山頂をはなれた。

山頂からしばらくは同じ高さの尾根が続く。

その後少し急なくだりになった。

しかし、急なところは続かず、またゆるやかな尾根歩きになった。

突然足元の藪から小鳥が飛び立って少し先の地面におりた。

カメラを構えて近づくと背中が青い。

オオルリかルリビタキか。

なんとか写真に撮れたので拡大してみると顔が黒い。

オオルリだった。

その先でそれまで樹木にじゃまされていた富士山が姿をみせた。

裾野までたっぷりと見せてくれているが、座って休み場所がない。

さらにそこから少し歩くと上の写真のように富士山を展望できる場所にでた。

一人の男性が休憩しながら何かを食べていた。

そこが富士見台。岡田紅葉がここから富士の写真を撮ったと看板に書いてあった。

混雑していた山頂よりは静かに休憩できるのだが、このまま下れば予定の1本前のバスに間に合いそうなので写真だけ撮って歩き続けた。

先日、飯縄山で写真にとったオオカメノキ(ムシカリ)があった。

丸い葉と白い花が清楚なパターンをつくって美しい。

突然右手が開けて、足元には「危険」の表示。

のぞいてみると尾根のすぐ縁まで崩壊している。

地図に書いてある「北白ガレン」というところらしい。

鋸岳展望台というところもあった。

右奥に鋸岳、呼子岳のギザギザと正面に位牌岳が見渡せた。

その先あたりから尾根が広くなり、斜面をくだるような雰囲気のところもあった。

富士見峠に到着。家族連れが休んでいた。

昔は富士山が見えたのかもしれないが、今は植林された針葉樹林でなにも見えない。

ここでもう一度地図で確認するとここから愛鷹登山口のバス停までのコースタイムは1時間だった。

まだ12時50分なので1時59分のバスに十分間に合う。

でも念のために少し急いで下る。

途中に愛鷹山荘という小さな小屋がある。個人の所有だそうで頼めば利用できるそうだ。

沢の左岸の斜面をしばらく下り、その後沢筋におりて堰堤のところから谷底をくだる。

小ぶりな祠があらわれた。これが山神社らしい。

そしてその下が駐車スペースでたくさんの車がとまっていた。

かなり広い駐車スペースだが、今日はそこをあふれた車が林道の途中のスペースごとにたくさんとまっていた。

富士見峠から35分ほどで下れたので林道をのんびり歩いても13時30分にはバス停に到着。

電車とバスで行くとどうしても観光地周辺になってしまう。

人も多くてなんだか落ち着かない。

それにどうしてもバスの時刻にあわせようとそちらに気がとられてしまい、下りの印象がうすくなってしまう。

今回の山もそんな山旅になってしまった。

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途中までの明神ヶ岳年末山行(2021年12月29日)

2022-01-09 09:14:10 | 富士・箱根・伊豆

昨年末の納の山行は、予定通り箱根の外輪山、明神ヶ岳に大雄山最乗寺のほうから登ったが、メンバーの体調不良があって途中の足柄林道から引き返して終了となった。

マイカーをお寺の大きな駐車場にとめ、境内の門の前から尾根へと登り始める。

途中に石碑があるらしく、そこまでは立派な石の階段が続いていた。

が、その後の山道は無残にくずれ、荒れ放題という感じだ。

ここはまだましなほう。土が柔らかいせいだろうが、雨によって削られて、木の根が浮き上がり、岩石がころがっている。

尾根の側面の急斜面を登りきれば、あとは写真のようなゆるやかな森の道が続く。

すぐに石仏も並んでいた。観音様らしい。10体以上あった。

歩きやすい道だったが、足柄林道の手前の法面のところは、出発点の急斜面と同様に道がくずれてえぐられていた。

林道に出たところでメンバーの一人がめまいを訴えた。そこで、今回の登山は中止と決断し、林道の日当たりのいいところを選んで休憩し、同じ道を引き返した。

この日はおだやかな好天だったので、もったいないから車で足柄峠まであがって富士山をながめ、それから帰宅したのだが、なんと東名高速が事故渋滞。

大井松田インターからはいってすぐに渋滞がはじまり、なんと次の秦野中井まで1時間半もかかってしまった。

足柄峠に寄り道等しなければ巻き込まれなかったのだが、先のことはだれにもわからないので、仕方の無いことだ。

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宝永山(2021年8月28日)

2021-09-01 09:01:55 | 富士・箱根・伊豆

コロナ禍もふくめ、いろいろな事情で5月2日以来山歩きができないできた。

なんとか出かけられそうになったので、行き先に悩んだ末、富士山の宝永山、いや正確には宝永火口の縁の出っ張りに登って、下まで歩いてくだるという計画にした。

宝永山は2693mだが、火口底から登った最高点馬ノ背は2700mを少しこえる。ここまで登れば、酷暑の今でも涼しいだろうという判断だ。

 

久しぶりの東名高速をはしって、水ヶ塚の駐車場には7時少し前についた。快晴だ。

 

駐車場からは五合目までのシャトルバスを利用するが、まずは行列に並んで検温を受け、ふたたび列に並んで乗車券を購入する。

7時のあとに7時15分に次のバスが出発したが、まだ乗れない。結局7時30分のバスに乗車できた。補助席までびっしりだ。

 

 

40分あまりで五合目に到着。南アルプスの南の端が見えている。

 

同じ五合目でも吉田口とは大違い。はではでしい観光施設らしい建物はほとんど見られない。

 

バスに乗った登山客のほとんどは富士山をめざす人だ。新六合目までいっしょに登る。

 

 

快晴だけど下界ではすでに雲がわきはじめて、愛鷹山の越前岳にまとわりつきはじめている。

 

黒っぽい火山礫(スコリア)の斜面にタデの仲間が点々と生えていて、朝日をあびてかがやいている。

 

 

歩きやすい登山道を25分あまり歩いて、8時39分、新六合目の雲海荘に到着。

 

富士山をめざす人たちはここから上にあがっていくが、私は水平道にはいって宝永山をめざす。

 

振り返ると雲海荘のうえに半月が青空のなかに浮かんでいた。

 

水平だと楽ちんだ。

 

10分ほどで宝永山の第一火口縁に到着。

 

宝永火口は、そばに立つとやはり大きい。このすり鉢の中の土砂が、溶岩と共に空高く吹き上げられ、富士の東斜面から御殿場一体をおおいつくした。火山灰は遠く江戸まで到達した。

その一部が降り積もって宝永山ができた。

 

すぐに火口底にむかってくだったが、足元の砂礫がくずれて歩きにくい。

 

フジアザミ。ここ一ヶ所でしか見かけなかった。もう時期は終わりの感じだ。

 

 

下に降りてみると、斜面のたんなる盛り上がりにすぎない宝永山が、思いのほか大きく立ちふさがってくる。

 

火口壁の上部は絶壁になっていて落石も多いようだ。

 

10分足らずで火口底に到着。黒っぽいスコリアに混じって赤レンガみたいな石がある。

 

いよいよ宝永山目指して火口壁を登る。

 

火口の底が2420m、登りきった火口縁馬の背が2710m。標高差290mだ。

 

道はジグザグに登っているが、足元の砂礫がぐずぐずとくずれて歩きづらい。

 

 

降ってくる人の足元からは砂埃がまいたっている。

 

 

9時58分、ようやく馬の背まで登りきった。ここが今日の最高点。

尾根の先端である宝永山はここより少し低くなってしまう。

 

 

東側は広大な砂礫の斜面になっていて、御殿場口登山道の大砂走りという下山用の道があり、数人が歩いていた。

最高点から5分あまりで宝永山の標識に到着した。まだ山頂もくっきり見えている

 

日差しは強いが、下着のうえにTシャツ一枚でちょうどいい。

 

宝永火口の上には、砂走館らしい山小屋が見えている。そのあたりで3000mを少しこえるはずだ。

今日登っている人はほんとうに天気にめぐまれたと思う。

 

しかし、下界は雲海が広がり始め、わきたった雲がかけあがってくる。

足元の愛鷹山はすでに雲の中。遠く箱根らしい山が見えている。

 

 

雲の切れ間から見えた箱根らしい山を望遠で写してみた。

 

西を見ると斜面の向こうに南アルプス南部が見えている。聖岳かな?

 

展望を満喫して水分を補給し、ふたたび火口底にくだり、その後は第2火口、第3火口の縁をだどりながら、水ヶ塚へとくだる。

昼食は、第2火口縁あたりで取ろうと思う。

 

砂礫の道は、下りは比較的歩きやすい。

 

上りには一時間近くかかったのに、砂埃をたてながらくだって、火口底には15分ほどでついた。

 

第2火口をのぞこうとしたら、岩に鳥がとまっていた。イワヒバリのようだ。まだ若い鳥のようでそばによっても逃げようとしない。

 

第2火口は第1火口よりひとまわり小さい。

 

宝永山の南はずれにある崖。この部分だけスコリアがなくて赤っぽい堆積物が露出している。

 

 

日当たりのよい南斜面なので吉田口よりは森林限界が高い。2400mを下回るとカラマツが広がっていた。

 

第2火口縁から宝永火口を振り返る。ここでは火口の内部にもカラマツが進出している。

 

 

第2火口の縁の2352mピーク。ここで昼食休憩だ。

 

第2火口の底。少し雲が流れてきている。

 

2352m地点から道は2つにわかれていて、片方は第3火口の東側へとまわりこんでいく。

私の持っている登山地図にはこの東まわりルートしか書いていないが、現在は火口の西縁沿いにまっすぐくだる道もある。私はそちらを進んだ。すぐにカラマツ林に入っていった。

 

第2火口縁にいて気がついたのだが、私が予想していたより多くの人がこのルートを登ってくる。

私は下山道としてしか考えていなかったが、水ヶ塚から歩いて登ってくる人がぽつぽつだがいるのだ。

 

落葉松のほかにコメツガらしい木も混じっている。

 

林に入ると風があたらなくなって少し暑く感じたが、少し雲が広がってくれたので助かった。

 

15分程下ると標識があった。3合目だ。御殿庭という案内標識がある。

地図を確認すると2352mの分岐で東に進めば御殿庭上を経由してここに出られる。それがもとからの登山ルートらしい。

御殿庭。なんだか景色のよさそうな名前なので、そっちへ進めばよかったかなと思った。

 

少し下ると「村山修験者富士山修行場跡」という標識がたっていた。

修行したのはいつごろの話なのか私にはわからない。

 

次第に傾斜がゆるくなってきて、そろそろ二合五勺かなと思われる頃、私の10mほど前をシカが横切った。

カメラは手に持っていたのだが、構えるひまもなく林の中に姿を消してしまった。

 

しかし、そこで最近読んだ本に、自然の動物は人間を恐るけど、一方で興味をもって人間を見てもいるものだ、と書いてあったことを思い出し、カメラを構えてシカが姿を消した林の中をじっくりと覗いてみた。

いました。木の枝に姿を隠しながらも、顔をのぞかして私をじっと見ていた。

目があって、カメラをむけても逃げなかった。

 

そこからすぐに二合五勺に到着。左に曲がれば途中で火口の東縁をとおる道と合流し、御殿場口へとむかう。

 

数分すすむとまた分岐となる。私が向かう水ヶ塚への道とガラン沢をくだってスカイライン入口にむかう道にわかれる。

水ヶ塚へは左にすすむ。

倒木が増えてシラカバかダケカンバらしい木がまじってきた

 

木漏れ日が地上に届くらしくて花が姿を見せ始めた。

 

 

火山噴出物でおおわれている地面は、水流でえぐられたところからは黒っぽい砂礫が顔をだしていた。

 

二合目から一合五勺にかけては樹木の密度がさがって、明るく見通しがよい。

 

水流がつくった窪地には火山性の砂礫がたまり、人の足跡がたくさんついていた。

 

道が林道ほどの幅に広がって東へと向きを変えた。もう水ヶ塚も近い。

 

13時25分、無事に水ヶ塚に到着。

ほんとうに久しぶりの山歩き。

標高差1400mを歩いてくだったがそれほど疲れなかった、とその時は思っていたが、翌日から3日間、足の筋肉痛が取れなかった。

 

 

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