毎日が山のこと

最近の山歩きの記録はもちろん、作ってみた山行プラン、過去の山歩きの記録も順次掲載中です。

小川町側から笠山へ(2020年1月17日)

2025-01-31 09:28:24 | 奥武蔵・秩父の山

5年前の2020年1月に小川町の笠山に登った。

笠山はさいたま市からも三角形の特徴のある姿が確認できる。

この時は、小川町の側から笠山神社への昔の参道をたどって登ってみた。

 

小川町駅からバスに乗り、9時半に切通しでおりて蛇行している槻川にそって笠山へとむかう。

谷の正面に三角形の笠山がよく見える。

 

谷を30分ほどさかのぼっていくと、右手に分かれ道があらわれ、そこに笠山歩道と書いた手作り看板があった。

看板にしたがって右の道にはいる。

この道は古くから笠山の山頂にある笠山神社への参道だったらしい。

 

 

古い石碑もあったが、字はとても読めない。

 

すぐに山道となったが、山仕事のために林道として広げたらしくて昔の道ではない。

 

少し奥まで行くと枯れ枝がたまり、下草も伸びている。

あまり人が歩いていない感じだ。

 

下草をかき分けるように歩くところもあったが、途中に鳥居や祠もあった。

あまり人が歩いていないけど、手作りの道標などもあって迷うようなことはない。

登山道としての復活をもくろんだ人がいたのだろうが、あまり利用されていない感じだ。

たぶん車で入れる舗装された道が別にあるからだろう。

 

尾根筋にそった道にでるとぐんと歩きやすくなった。

 

尾根の道をだどっていくと舗装の道に出た。

東秩父村の萩平と小川町の栗山を結ぶ道だ。

車でこれるのだから歩いて登る私のようなアホは少ないのだ。

この道を歩いて栗山に向かう。

 

 

10時55分、道は南斜面に点々と民家が広がる栗山の上部に出る。

栗山集落の向こうにはめざす笠山と隣の堂平山が見えて。

このあたりで標高300mくらいだ。

山里だけに冬の夜は冷え込むだろうが、昼間は陽光をたっぷりとあびる南斜面だ。

 

でも畑は茶色。もちろん冬だからだろうが、最近は山畑は作っていないところが多い。

 

栗山集落の最上部の屋敷に小川町指定の記念物「福島家の大マキ」があった。

栗山でも一番奥にあたるので古くから土地の有力者の屋敷があったのだろう。

 

大マキのちょっと先には、この地区の観光公衆トイレがあった。

まだ新しくきれいなトイレだ。

 

途中から舗装の道から林道にはいる。

この道も舗装してあった。

そして、笠山の登山道の入り口には鳥居があり、その前には未舗装だけど駐車スペースも設置されていた。

 

鳥居をくぐって笠山にむかう。

「バイク侵入禁止」の看板が鳥居の根方に置いてあった。

オフロードバイクで入る人があるようだ。

 

少しあがると神社の建物があった。

笠山神社の里宮だろう。

そこからあまり急ではない斜面をあがっていく。

次第に落葉樹もまじるようになってきた。

 

道が左にトラバース気味になって尾根にむかって登っていく。

 

笠山から北東にのびる尾根にのった。

その尾根を登っていく。

 

葉を落とした木々のあいだから栗山の集落が見えてきた。

 

山頂が近づくと古い崩れかけた石の階段があらわれた。

これは山頂にある笠山神社の参道だろう。

でも石が崩れかけていてしかも急なので、そのまま山道をたどって山頂へとまわりこむ。

 

かなり展望が開けてきた。

 

12時12分、ようやく山頂に到着。

 

笠山神社上社。

 

山頂にも樹木はあるが、まばらな部分からかなり広範囲に見渡せる。

これは雪をかぶった浅間山。手前に御荷鉾山も見えている。

 

こちらは上越国境の山々。手前の黒い三角は子持山だろう。

神社の場所は風が通って寒かったので、秩父側に移動。

日当たりの場所を選んで休憩した。

 

笠山のピークは、堂平山から北に伸びてくる稜線から少し東に飛び出している。

神社をあとに主稜線へと移動。

 

その主稜線上に笠山の標識がたっている。

写真はそのあたりから北関東をみたもの。

実際は神社のあるピークの方が少し高いのだからここに笠山の標識をたてるのはどうなのかと思うけど。

 

それはさておき、南にすすんで堂平山との間にある笠山峠へとくだった。

 

13時16分、笠山峠からは西へと東秩父村の白石へと下る。

 

一度林道に出てまた山道をくだるとまた林道にであう。

そのあたりは樹木のあいだに竹がたくさん生えていた。

ここからは林道を歩いて、バス終点の白石車庫をめざす。

 

歩いてきた林道と白石峠にむかう道との合流点。

 

そのあたりからようやく人里らしくなってきた。

 

白石の里にでると、道端には石の地蔵がまつられていた。

 

さて、バス停の白石車庫についてみると、昨年の豪雨による道路崩壊でバスはかなり先の皆谷(かいや)折り返しと書いてある。

ありゃあ、まいったなぁ。

しかたがないので皆谷までてくてく歩く。

 

バス停白石車庫からしばらく歩いた白石の山里風景。

 

石の地蔵さんに白い前掛けとみかんが二つ。

 

白石地区の北のはずれにあるお寺。

大雨のせいかわからないが、大きな倒木の除去作業をしていた。

 

ここが道路崩壊地点。

乗用車は通行可能だが、バスは無理ということか。

濁流が道路の下をえぐってしまったのだ。

崩壊地点はほかにもあったが、通行不能という程度ではなかった。

白石車庫から皆谷まで約3km。

最後は急ぎ足になったが、皆谷のバス停で計画していたバスに乗ることができた。

2019年の大雨の被害のあとは、その後奥武蔵の山を歩いたとき、あちこちの沢で見ることになった。

 

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横瀬二子山へ(2025年1月24日)

2025-01-25 12:35:50 | 奥武蔵・秩父の山

大持山を歩いた後、若いころに名郷から武川岳、二子山を縦走して芦ヶ久保に出たことを思い出した。

武川岳は何年か前に名郷から登っている。

そこで次の山行を芦ヶ久保から二子山に登ることにした。

 

この日は、目覚ましをセットしていたのに寝過ごした。

でもなんとか予定の電車に乗れて、芦ヶ久保駅に到着。

 

ところが、ご覧のように観光氷柱のために予定した浅間神社コースは通行止めだった。

計画では尾根道である浅間神社コースをのぼり、兵の沢(読み違えて岳の沢と書いていました。訂正します。)コースを下るつもりだった。

「通行止めはないだろう」と思ったが、仕方がない。

 

氷柱会場への道の途中から西武線のトンネルをくぐり兵の沢へとむかう。

 

すぐに斜面を登り始め、日陰のこちらに対して日向の反対斜面が明るく輝いている。

氷柱のためにこの日陰の谷を歩くはめになってしまったではないか。

 

まずは小さな峠をこえて兵の沢へとむかう。

 

兵の沢におりて、あとはこの沢にそって登っていく。

日陰ではあるが、割と明るいので少し気分がよくなった。

 

支沢をわたる。

このコースでは、こうしたポイントに学習登山のレッスン看板が設置されている。

学習の中身はともかく、位置の確認がしやすいので、その意味では理解できる。

 

沢に小さな滝を見つけた。

 

その滝の少し上に岩を流れ落ちる水場があった。

ここは夏でも枯れることはなさそうだ。

 

道にはオオバイノモトソウが目についたが、その水場のあたりから斜面をおおう大群落になっていた。

 

駅をでて1時間、9時34分、兵の沢の詰めについた。

ここから左手の斜面へと登っていく。

 

日陰を抜け出せるかと期待したが、まだしばらくはだめだった。

 

近くの山の斜面には日が差しているのに、歩いている斜面はまだ日陰。

でも谷底を歩いているよりは気分はいい。

ところどころ木々の間から丸山や横瀬の街がすけて見えたりする。

 

ようやく山頂へと続く尾根に到達した。木漏れ日もさしている。

 

武甲山も見えてきた。

木の枝越しではあるが、これから登る二子山雌岳もすぐ近くに見えた。

 

そんな尾根を200mほど歩くと目の前に雌岳の急斜面が立ちはだかってきた。

ロープが何本も設置されたあいだをほとんど直登だ。

 

これはロープ場を上から見下ろした写真。

土の急斜面なのでこれはロープがないとたいへんだ。

 

ロープ場がおわって10分弱で雌岳山頂に到着。山頂は木に覆われている。

駅から1時間50分だった。

 

最初登ろうとしていた浅間神社コースの入り口にはロープが張られ「立入禁止」の表示がしてあった。

 

次に三角点のある雄岳へとむかう。

またも急登だが、こちらは道に足場が多くてロープがなくても問題なかった。

二子山だけに雄岳と雌岳は高さもほぼ同じで山容もよく似ている。

 

この斜面の途中で、「藪岩魂」という山と渓谷社がだした本の著者とすれ違った。

奥さんをつれて下ってきたのだが、名前が出てこなかったので言葉はかけなかった。

 

二子山の三角点。

 

バックが明るくてうまく撮れなかったが、山頂標識には882.7mと書いてある。

地理院地図の表示は882.8mだけど。

測量後に少しすり減ったのかな(笑)。

 

山頂標識のあたりは木々に覆われているが、少し移動すると武甲山がよく見えるポイントがあった。

 

こちらは同じところから横瀬と秩父の街。

ガイドブックには大展望と書いてあるが、少し灌木が伸びてきて展望が失われつつある。

 

まだ10時40分だが、持ってきたお湯でカップラーメンを食べる。

大持山の時とは打って変わって風もなく暖かい。

失われつつある展望を惜しみつつ下山開始。

 

お昼が近づいたので岳の沢へとくだる斜面にも日が差している。

このあと山道が尾根の先端部から沢へと下るポイントで先ほどの方と再びめぐりあった。

奥さんが疲れたのでゆっくり休憩していたようだ。

その奥さんが少し笑いながら「早いですね」と声をかけてきた。

今度は名前も思い出したので「藪岩魂を書いた方ですよね」と男性に声をかけると笑いながら「打田です」と答えてくれた。

これがその本。打田さんは私と同じ年齢だ。

観光氷柱のために浅間神社コースが通れず、周回コースが組めなかったと話すと、別の尾根をたどるルートがあることを教えてくれた。

実はこの本にも書いてあったのだが、私は忘れていた。

今度はそのコースで登ってみようと思う。

ゆっくり休憩している二人をあとに先に下る。

 

兵の沢をそのまま下る道と芦ヶ久保駅への道の分岐。

 

そしてここが最初に越えた峠。打田さんがすすめてくれたルートは、ここから尾根をたどるルートだ。

 

駅に着いたとき目の前で12時18分の飯能行きが出てしまった。

駅前にある道の駅にもどってキノコを2種類と漬物をお土産に買い込んだ。

その後コーヒーを飲んで時間をつぶし、12時59分の電車で帰宅。それでも3時には帰宅できた。

駅のそばの山はやはり便利がいい。駅から近い割に高度差もあって適度のトレーニングになる。

打田さんのすすめるルートをつかって近いうちにまた登ってみようと思う。

 

 

 

 

 

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五日市金比羅山ふたたび(2020年2月28日)

2025-01-22 15:35:18 | 奥多摩・奥秩父

先週の18日に奥武蔵の大持山に出かけたが、その後軽い筋肉痛になったのは久しぶりに6時間半も歩いたせいでそれは予測の範囲内なのだが、そのあとになって右ひざの裏側の筋が痛み出して、しばらくびっこを引くはめになった。

いやはや歳には勝てないな、あまり長くは歩けなくなったのかと悩んでしまったが、今朝になったら嘘のように痛みはなくなっていた。

まあ、一安心。

今回の投稿は、早春の計画を考えていた時、妻をさそって歩いた五日市の金毘羅山のことを思い出したのでそれを投稿することにした。

 

実は妻を誘って出かける2週間前に一人で歩いてみた。早春の里山、五日市金毘羅山(2020年2月12日)

その時のことはすでに投稿済みだが、季節的には少し早すぎた。

2月末のこの日ならいいだろうと妻を誘ったのだ。

 

武蔵五日市駅の裏側の高台にある住宅地の中を抜けていく。

梅が盛りだ。

 

三内川の流れにそった谷間へとすすむとそこも満開の梅の花が。

 

谷間の狭い畑と山里らしい赤いトタン屋根の家。

妻はこういう感じの建物を絵にかくことが好きだった。

 

ミツマタの花も咲いていた。

 

一人の時は、三内川をもう少しさかのぼって深沢の山抱きの大樫から尾根にとりついたが、妻は病気療養中なので、そこまでいかないでもう少し短いルートにした。

写真がそのルートの入り口。駅からここまで2.5kmくらいだ。

ここは南沢あじさい山の入り口でもある。

 

尾根に沿った歩きやすい道で、かたわらにアジサイが植えてあり、反対側にはツバキが咲いていた。

どちらも地元の方が植えて管理され、道路も整備しているらしい。

 

妻も元気に歩いている。

尾根を登りきると舗装された林道に出て、その道を少し歩くとその林道の上を登山道が橋で渡っているところに出た。

その登山道は、日の出山から麻生山をへて金比羅山まで続いているものだ。

登山道の入り口から途中の林道まで標高差で150mにすぎないので、元気な人には物足らないだろう。

でも今計画しているハイキングの会のメンバーはほとんどが70歳代なのでちょうどいいのだ。

 

その登山道をたどって金比羅山をまき、その先の金比羅神社へとすすむ。

金比羅山の山頂はなにもないし、展望もないので割愛。

その金比羅神社の裏にあるご神体とされる岩。

しめ縄がはられていた。

 

金比羅神社付近は公園として整備されておりトイレもある。

園地の先端にはすばらしい展望の東屋とベンチがある。

 

暖かな日差しを浴びながらゆっくりと休憩。

暖かいコーヒーもサービス。

 

休憩後はこれまたきちんと整備された歩きやすい道を五日市の町へとくだった。

 

途中の岩の上にはお地蔵さんなど石仏が。

 

これはなんの花だっけ?

マンサクやサンシュユみたいだけど花が少し違う。もしかしてこれもミツマタ?

 

山を下りたところにあるお堂。瑠璃堂という額がかかっている。

瑠璃光という言葉に記憶があったので調べてみたら薬師如来を薬師瑠璃光如来とも呼ぶようなので、このお堂は薬師様をまつっているのかもしれない。実は中まで見ていないのだが。

 

街へ出るまでの里でも梅が目を楽しませてくれた。

この時期の山里は花にあふれていて私は大好きだ。

 

旧五日市町役場の近くに設置されている五日市憲法の石碑。

明治憲法が制定される時期に民間でいろんな憲法草案が検討されていたが、ここ五日市で発見された憲法草案は、明治憲法と違って、国民の自由権や基本的人権の規定がある進歩的憲法案だったとして評価されている。

ここまでくれば駅まではもう遠くない。

 

2週間違いで暖かくもなり、梅も満開、春の花もたくさん見られてたのしいハイキングだった。

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名郷から大持山へ(2025年1月18日)

2025-01-20 09:29:14 | 奥武蔵・秩父の山

大持山には2016年12月に、武甲山から縦走で歩いたことがある。

秩父の名峰武甲山から大持山へ(2016年12月24日)

この時は武甲山の登山口一の鳥居から武甲山、小持山、大持山と歩いて妻坂峠から一の鳥居に戻った。

大持山周辺のハイキング地図を見ていると、大持山の南、妻坂峠と鳥首峠分岐から鳥首峠にむかう尾根に「ブナの巨木」と書いてある。

大持山から鳥首峠のあいだはまだ歩いたことがない。

そこで今回は、名郷を起点に鳥首峠、大持山、妻坂峠をめぐる周回コースとしてみた。

 

まだ真っ暗なうちにさいたま市を車で出発。

名郷には7時半に到着した。

名郷には、バス停のすぐ裏手に有料駐車場がある。夏場以外は、土日700円、平日500円。

実は、もう少し奥にキャンプ場があり、そこの駐車場もあるが、平日700円m土日は1000円だ。

それにどこに連絡するのかよくわからん。で、名郷に留めた。

 

名郷からまだ日の差し込まない谷の舗装道路を奥へと歩いていく。

途中に何カ所もキャンプ場の駐車場があるが、朝だし、シーズンでもないのでだれもいない。

 

名郷から20分ほど歩くと道路が分岐して、右が妻坂峠道、左が白岩をへて鳥首峠へとつづく。

 

鳥首峠への道を歩き出すとそそり立つ大きな岩をえぐって道路を通しているところがあった。

かなりたいへんな工事だったと想像できる。

この奥には石灰石採掘の鉱山があったので、トラックを通す必要があったのだろう。

 

その鉱山跡が見えてきた。

石灰石の採掘は上部に見えている岩壁あたりでおこなわれ、下の工場で加工されていたのだろう。

 

鉱山跡には入れない。登山道は跡地の縁をたどるように続いている。

 

その道を歩いていくと鉱山で使われていたモノレールの軌道が残されていた。

でも上部に採掘現場へとあがるあたりで取り外されて終わっていた。

 

その奥には数件の廃屋がある。鉱山の閉山と共にいおくとなってしまったらしい。

写真の廃屋は登山道に接して建っているので間近に観察できる。

 

鉱山跡からは、すでに本格的な山道になっていたが、沢筋からかなり上の斜面をトラバースしながら峠へとむかっている。

 

いくつか支沢に入り込みながら上流をめざしていくが、ここでは沢の詰めが崩壊していて、いったん沢におりて登りなおす。

ロープが設置してあったが、別に使うほどのことはなかった。

 

いくつか支沢をこえて峠が近づくと、見上げた針葉樹林の奥が明るい。

伐採されているようだ。

そこについてみると、やはり東電の送電線保護のために伐採されていて、そこからようやく展望がえられた。

 

伐採地からジグザグにのぼりついたところが鳥首峠だった。

この峠は、以前に蕨山から有間山をめぐって下山の途中に通ったことがある。

鉱山跡の存在はよく覚えているが、峠の様子はすっかり忘れていた。

忘れるはずで、展望がない。

 

この峠で休憩するつもりでがんばってきたが、着いてみると冷たい風が吹き抜けて休憩する気になれない。

そのまま急な稜線を登り、少し風下に入り込める地点をみつけてそこで小休止。

 

峠の北にある1059mのピークは石灰鉱山の敷地に入るらしく、立入禁止の表示とともに登山道はピークの手前で西側にまわりこんで続いていた。

 

そしてピークから少し下った稜線には、樹木が切りはらわれた展望のよいスポットがあった。

足元にはコンクリートの基礎が残っているので、送電鉄塔の跡地らしい。

 

そこから奥秩父方面の山々が見渡せた。

雲取山から酉谷山、天目山、蕎麦粒山と続く稜線だ。

 

ウノタワの手前のピークを歩いていると林の中に残雪が残っていた。

以前下界で雨が降った時、このあたりは雪だったようだ。

 

ウノタワに向かう途中に「危険、岩場注意」の道標が。

 

これがその岩場を下から見上げたもの。

手がかり足がかりが豊富で心配はいらない。

 

歩いている稜線の右手が広々としてきた。

そこがウノタワだった。

ここからは、まだ歩いたことのないルートがある。

でもたぶん歩くチャンスは来ないだろう。

 

枯れ葉で埋め尽くされたウノタワには、道の踏み跡らしいものも見えない。

よく確認しないと道迷いにつながりかねない。

 

ウノタワから稜線を登るといよいよブナの巨木がみられるエリアだ。

ふたたび展望も開けてきた。

 

ブナの巨木。

といっても周りには同じぐらいの太さのクヌギやナラ類の木もあるのでそれほど目立つわけではない。

 

稜線だけではなくて、特に西側の斜面に太い木が点々とあった。

尾根も幅があってゆったりした雑木林なので歩いていてとても気分がいい。

 

そんな気持ちのいい稜線の一番奥に横倉山の山名標識があった。

登山道はそこから20mくらい下降し、ふたたび大持山にむかって登り返す。

 

木が伐りはらわれたここが鳥首峠への道と妻坂峠への道の分岐点。

 

関東平野のすばらしい展望が広がっていた。

 

でも9年前とくらべると写真の下に顔を出しているヒノキが背を伸ばして、近いうちにこの展望もなくなるかもしれない。

 

いよいよ大持山の山頂への登り。

ゆるやかにのぼる稜線をたどっていくとここにも立派なブナがあった。

 

山頂のすぐ手前に「富士見の丸太」の小さな看板。

 

富士山が見えるはずと向かいの稜線をながめるとわずかに顔をみせているではないか。

 

ねんのためにトリミングして掲載しておく。

 

富士見の丸太のすぐ上が大持山1204mの山頂だ。

 

三角点と山頂標識。

 

西の方には八ヶ岳らしい白い峰々が。

そして念のために富士山を探してみたが、ほんのわずかなずれなのに山に隠れてしまって見えなかった。

それに関東平野側は少し奥の方に映えているヒノキらしい針葉樹が背を伸ばして景色を隠し始めている。

2016年に来た時は、大持山山頂からさいたま市付近が見えていたのだが。

山の展望は10年もするとかなり変わってしまうものらしい。

 

ふたたび分岐点に戻り、こんどは妻坂峠へとくだる。

この道は前にも歩いているが、幅広の尾根でとても歩きやすい。

大部分が南側が落葉樹林なのでとても明るいのだ。

 

途中に大きな岩があった。

前回歩いたときは気が付かなかったようだ。

私にはクジラが寝そべっているようにみえた。

 

2回ほどわずかな登り返しがある以外、ゆるやかな下りの道が続く。

でも峠が近づくと小石まじりの急斜面になってくる。

 

ここが妻坂峠。この峠は武川岳へ行った時を含めてこれで4回目かな。

 

峠の地蔵様。

 

峠の一角からみる武甲山。

12時36分、峠を出発し、斜面をジグザグに下って沢筋にでる。

 

峠から30分ほどで林道の終点についた。

ここからの舗装の林道歩きが長かった。

少しからだが冷えてしまったのか、くしゃみを連発しながら歩いた。

名郷につくと1時51分発のバスが出ていくところだった。

峠から1時間15分、林道に出てから45分かかったことになる。

 

 

 

 

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足利市の行道山(2019年1月5日)

2025-01-17 13:05:02 | 日光・足利山地・那須・筑波とその周辺の山

今年の冬はインフルエンザが大流行している。

私は、インフルエンザではないが、鼻かぜが長引いて鼻詰まりの気持ち悪い日を送っている。

今回の投稿は、2019年の正月5日に出かけた足利の行道山だ。

行道山は足利市街の北西にあり、その山中にある浄因寺には、江戸時代の浮世絵にも描かれた清心亭があることで有名だ。

 

東武の足利市駅から行道山行きのバスで、終点の行道山で降りた。

そこには山神社の鳥居があって登山口の目印にもなっている。

 

そこから舗装の山道を登っていく。

 

30分近く歩くと舗装の道が終わって、広い駐車場があった。

その奥から浄因寺への参道でもある山道がはじまる。

でもその脇にみかん山などでみかけるモノレールがあった。

人が大勢出るような日には参詣者のために運行するらしい。

 

この日は正月の5日ではあったが運行されていなかった。

モノレールと並行している石段を登っていく。

お寺の参道だけに途中に何体もの石仏をみかけた。

 

石段はしっかりしているのでとても歩きやすい。

 

途中のお堂にはたくさんのお地蔵さん。

 

駐車場から10分ほど登ると小さな山門があり、行道山の扁額がかかっていた。

 

その中はいくぶん広い平地になっていて、建物もあり、写真のような茶筅の石碑もあった。

 

これが葛飾北斎が浮世絵に描いた清心亭。

大きな岩のてっぺんに清水寺のような木組みでせり出すように建てられている。

 

これは清心亭へと渡るための橋。

 

ふたたび石段の道を登る。

お寺の平地のまわりはそそりたつ岩壁だ。

 

少し登ると浄因寺の本堂と思われるお堂が岩壁を背負って建っていた。

 

その先には岩壁の下に赤い小さな社もあった。

 

その少し先の岩のピークに寝釈迦があり、まわりにはたくさんの石仏が祀られている。

 

この寝釈迦はなかなかの展望台だ。

上の写真はわれわれがバスを降りた行道山バス停の方向。

 

右奥にははるかに筑波山が見えていた。

 

今度は稜線を南へとたどって行道山の山頂をめざす。

 

11時27分。行道山山頂に到着。

北側の一部をのぞいて大展望が広がるなかなかいい山頂だ。

みんなでお昼の休憩にした。

 

40分ほど休んでいよいよこれから大岩山をへて足利城跡でもある両涯山にむかう。

 

稜線の縦走がはじまると南側には浅間山がよく見えていた。

 

稜線を15分ほど歩くと木段の急な登りにさしかかる。

 

その上が、大岩山の山頂だった。

 

この大岩山にも大きなお寺がある。大岩山多聞院最勝寺というが毘沙門天で有名らしい。

 

境内には大きな杉もある。

 

これはお寺の山門の赤い仁王像。

 

大岩山から次の両涯山までは2キロ以上ある。

大岩山まで登っている舗装の車道や稜線上の関東ふれあいの道に指定された立派な山道をたどりながら進む。

 

両涯山まで三分の二ほどあるいたところにカタクリの里の看板があった。

3月下旬になればカタクリが見られるのだろう。

 

大岩山から1時間30分で両涯山に到着。

ここには以前に同じグループで来たことがある。

今回は行道山から縦走してきたのでお疲れの人もいた。

 

両涯山は中世の山城、足利城跡でもある。

この何年後かに山火事があってこの山頂付近は丸焼けになったそうだ。

2022年12月に妻を連れて行ったときには焼け跡になっていた。妻をつれて足利の両崖山へ(2022年12月29日)

 

両涯山山頂から南にのびる尾根の先端に展望台がある。

そこからは真下に足利の街が見渡せた。

 

両涯山山頂から1時間あまりで織姫神社に到着。

少し日が傾いた午後3時40分。

ここはまだお正月で、初もうでの長い列ができていた。

 

この時は行道山から大岩山、両涯山、織姫神社と縦走したので、高齢者には少しきつかったようだ。

大岩山から山腹をまいて浄因寺にもどるルートもあるので機会があったらそのルートでも歩いてみたい。

最後にコース地図をのせておく。

 

 

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