当たり前のことなので、敢えて文章にするのもどうか、と思ったりもするのですが、やっぱり考えをまとめておくことも大事かな、と思い書いてみます。
前回、上手に意見を主張する練習をするべき、ということを書きました。
ところで主張するべき『意見』とはどういうもの? ということを今回書こうと思います。
「自己」主張なのか
「自分(の意見)」の主張なのか
ここを誤解すると著しく品性を欠くことになります。たとえ意見主張の技術が優れているとしても関係なし。いや技術が優れているとかえってさらに印象が悪くなるかもしれません。
「自己」主張・・・・・個人的な意見の表明。ありとあらゆる分野についての表現がありうる。個人の自由に属するもの。
「自分(の意見)」の主張・・・・・ある課題に対する(社会的問題、例えば仕事であることが殆ど)意見の表明。ディベートなどは主にこれの技術を磨く練習。
一般的に言って、どちらの主張もTPOに応じてなされるべきです。これは真っ当な大人なら、誰でも分かっているはずのことです。また両者の区分についても明快なはずです。
仕事、趣味のクラブなどで、人が集って活動をする場合、この区分、TPOの適正化はとても重要です。
仕事場や趣味の活動で大概問題が生じるのは、「自分(の意見)」の主張を装って「自己」主張を繰り返す方が存在する場合です。
「自己」主張も重要で、これが上手にできませんと人間としてやっていられなくなります。個性の圧迫にもなって創造性が削がれます。問題はTPOです。日本の社会もかなり寛容になっていますし、家族内の関係性もこれに対してどのくらい寛容であり得るか、あるいは許容できるか、で良くなったり悪くなったりするでしょう。
仕事場では明確に目的があります。遂行されるべき仕事があり、その遂行に関する「自分(の意見)」の主張は大変重要なことです。喧々諤々でおこなわれるべきであり、落としどころをみつけ、前に進める。これの繰り返しです。
ところが、ここに公と関係ない「自己」主張を持ち込むと場は混乱します。しかし、ありがちなトラブルです。
仕事場では人間関係は重要です。ただ、ここがまた悩ましいのですが、仕事のための人間関係です。あくまでも。冷静に考えないといけません。もちろん、大変親しくなって、個人的なお友達になることもあります。しかし仕事をする際にはそこは切り離して頂かなくては困ります。
コミュニケーションに自信のある方は往々にして、この仕事のための人間関係と個人的人間関係の垣根を敢えて曖昧にし、政治的な場の操作を試みます。それも仕事を推進するために使うならば、百歩譲って「あり」かもしれません。ただ、それが「自分(の意見)」の主張を装った「自己」主張を通すためであったりします。
このパターンは大学の教授先生がお雇いになる、素性のよくわからない『秘書』にありがちな状況です。私も学生のときにこのような方を何人も観ました。他の組織でもこのような方がいるようです。
良いことは一つもありません。その集団の品位が落ち、仕事の質が落ち、人々が離れて行きます。上記の私が観察したこのような状況の全てで、成功した例はありません。問題が大きくなり、崩壊しました。
さて、何をいまさらこんなことを書こうとしているのか。
日本の社会のあちこちにある、とても非効率的で非生産的な組織の状況はなぜなのか。それを考えているうちに、結局は上記の問題であることが多いと気づいたからです。
問題は芽のうちに潰すべきです。一番重要なのは「公私の区別」これに尽きます。