岡山後楽園の中で 唯一 戦災をまぬがれ 往時の姿を今に伝える建物です
兼池軒
眺めのいいこの場所は藩主の朝食の場所だったり 領民に褒美をとらせる場所だったりと・・・
藩主がもっとも好んで利用した 兼池軒
流店
建物の中央に水路を通した全国でも珍しい建物
藩主の庭周りや接待の休憩場所として利用された 流店
戦争がなかったら後楽園にも多くの文化財が残されていたんですけどね~
岡山後楽園の中で 唯一 戦災をまぬがれ 往時の姿を今に伝える建物です
兼池軒
眺めのいいこの場所は藩主の朝食の場所だったり 領民に褒美をとらせる場所だったりと・・・
藩主がもっとも好んで利用した 兼池軒
流店
建物の中央に水路を通した全国でも珍しい建物
藩主の庭周りや接待の休憩場所として利用された 流店
戦争がなかったら後楽園にも多くの文化財が残されていたんですけどね~
日本三名園の一つ 岡山・後楽園
日本庭園では珍しく 芝生が採用されている後楽園
後楽園は藩主の居間である延養亭を中心に、能舞台 池 梅林 茶畑を配置してますが 延養亭は改装中で観ることができませんでした
能舞台と栄唱の間 こちらも屋根の吹き替え中
滋眼堂<池田家と領民の繁栄を願って建立された堂>
許しがあれば領民も入ることができた後楽園ですから 領民と藩主の繋がりが窺えますネ
今から約三百年前 岡山藩2代藩主 池田綱政のやすらぎの場として作らせた庭園
当初は眺望を楽しむ要素の強い庭園でしたが 水路を巡らせたり、建物を改装したり 池と池を結ぶ瓢箪池を掘らせたりと 藩主の好みや社会事情によって後楽園の景観は変化して行ったみたいですが 最終的には 歩いても楽しい回遊性が備わってきたようです。
岡山城
豊臣政権化の五大老の一人 宇喜多秀家が豊臣秀吉の指導を受け築城した 岡山城
豊臣時代を今に伝える数少ない お城
三層六階建ての天守閣 黒漆のお城は(うじょう・からすじょう)とも呼ばれている
旭川に映える漆黒の城
岡山城は豊臣時代の大阪城を模しているという説もありますが もし、今の徳川の大阪城が豊臣の大阪城だとすると、これに似た形で黄金色に輝く大天守だったはず・・・・
吉備路へチヨット寄り道
菜の花畑
吉備路には何箇所か菜の花畑があったんですが ロケーションのよい この場所から撮って見ることにしました
菜の花の咲く吉備路
岡山の後楽園へ チヨット お出掛け散歩
後楽園・梅林 この位置から見ると梅が咲いているようにも見えるのですが・・・・
紅梅も白梅も蕾の数の方が多いですが ほころび始めた梅を見ると春が近づいている感じ・・・
もうすぐ春ですね