未来社会を夢見る山下ゆみのブログ

アラ還真っ只中の暮らしと関心ごとを綴っています。最近の日本、おかしなことが多すぎる!と行動に。

福島での2日目~3日目

2013-04-15 12:13:06 | 震災・原発
 訪問先を写真でご紹介します。

 伊達市梁川町山舟生(やまふにゅう)で、あんぽ柿の生産者さんたちのお話を伺いました。米、野菜には、土の放射能がほとんど吸収されないのに(ひまわりを植えてもほとんど除染の効果がないことでも証明されました。)、なぜか柿には大きな影響があって、ここの特産品である「あんぽ柿」は出荷停止に。現在はそれは解かれていますが、やはり少しでも心配のあるものは売ることはできない、と作業ができずにおられます。冬場の貴重な収入源であったあんぽ柿が作れず、その4か月間する作業がないことが辛いとおっしゃっていました。(東電から賠償金は支払われているそうです。)
 3年目の今年も再開できなければ、「もうやめてしまおう。」という高齢の生産者も多く、かけがえのない日本の食べ物が消えてしまうかもしれない危機に。

 


 福島県農民連の産直カフェ全景

 

 
 県男女共生センターで学習。福島県農民連の根本敬氏が、「新たな次代の『魁』になる」と題して講演。副題に「いま、福島で生き抜くために」とあり、その覚悟も語られました。「犠牲者では終わらない」と、農民として「損害賠償」を闘う意義、経済成長を追い求める社会の限界、エネルギー自立をめざす必然性など、豊富な内容のお話でした。いま私たちは生き方・くらし方を考え直すチャンスだと。原発事故という不幸な経験をしたからこそ、それを契機に、大きく舵を切ろう!福島と大阪の連帯を、これからはその取り組みに活かしていこう!と私たちに目の前が明るくなるエールを送ってくださったと受け取りました。
 その後、階下のホールで行われていた農民連食品分析センターの八田純人氏のトークショーに合流。「遺伝子組換え作物」はタネが飛んでもうずいぶん自生していることや、栽培しなかったり、製品に不使用・不分別などと表示したりすることが、TPP参加でルール違反とされる危機にあると聞き、怖くなりました。

 

 最終日はまず観光から。裏磐梯の五色湖沼群・毘沙門沼へ。

 


 猪苗代湖をぐるっと回って、布引高原の電源開発風力発電所を見上げて。

 


 仙台空港へ向かう途中で、バスの運転手さんの計らいで甚大な津波被害のあった名取市閖上地区へ。あらためて津波のすさまじい威力を見せつけられました。犠牲者を悼み、ご遺族の悲しみに触れる現場にて。


  


学びと感動の福島での3日間

2013-04-15 10:46:14 | 震災・原発
 昨晩予定どおり、福島から帰ってきました。
 中身の濃い、ほんとうに有意義な3日間でした。放射能で汚染され住むことができなくなった地域の主(あるじ)のいない家々、作物を作ることができなくなった農地…、誰がこの美しい福島をこんな哀しい風景に変えてしまったのか。原発事故を起こしてしまった無責任な運営管理を追及し続けなければなりません。そして、原発を日本中にこんなにたくさん作らせてしまったこれまでの(今も変わりませんが)この国のあり方に、ひとりの日本人として反省せざるを得ません。

 そんな過酷な現状に、希望を失わず立ち向かっている人々に会ってきました。それが今の福島で新たな生き方を求めて踏ん張っておられる農民連のみなさんです。
 農作物の栽培がだめなら、その土地をどう活かすのか。
 作って大丈夫な土地で収穫された作物の安全性を、どう証明するのか。
 その安全な福島の農産物を、消費者に届けるための取り組み。

 その取り組み拠点である、浜通り農民連の直売所「野馬土(のまど)」や福島県農民連の「産直カフェ」で、たくさん買い物をさせていただき、「買って食べる」という支援をさせていただきました。今回のツアーではこれが「支援」の一環でした。商品を一つ一つ手に取って見ると、放射性物質検査を受けて安全性を確認されているという表示があります。福島で生産するということは、このハードルを越えることが強いられるのです。

 2年前の福島農民連さんからの暑中見舞いには、「風評被害ではなく実害。」ということばがありました。「放射能の影響があるかもしれないものは食べたくない。」と考えるのは消費者として当然で、それを「風評被害」と言ってしまっては、消費者に責任を転嫁することになると。
 そのとおりです。責任は東電と国にあるのですから。

 

 今回の買い物でできた支援はささやかなものです。でも、福島と大阪でしっかりと手をつないで、「東電と国に責任を取らせる。」ことを求め続け、原発をなくすために声を上げ続け、これからこの国をどんな国にしていくのか、そのために私たちはどう生きていくのか、ともにそれを追い続けることが、支援を越えた取り組みになると確信することのできたすばらしい学習と交流の旅でした。