風の雑記帳

平凡でもかけがえのない毎日が過ぎていく。
風景や触れ合い、心の断片を切り貼りして綴ってみる。

東北地方太平洋沖地震

2011年03月13日 | 暮らし、日常
3月11日、午後2時46分、東北地方を中心とする大変な地震が起きてしまった。

私は職場にいて、あまりの揺れに玄関フロアまで出て揺れが収まるのを待っていたのだが、玄関の自動ドアは左右に揺れてバチンバチンと今にも壊れて開かなくなりそうだったので自動ドアのところまで出て入り口を開け、外を眺めていた。
敷地に植えてある松は、ぐらぐらと揺れているし、近所の薬局では何かが倒れたのか、キャーという声も上がり、5分ぐらいの長い時間の大きな揺れは、まるで悪夢のようだった。

それから5時までの間、何度も余震があり、いつでも外に出られるように靴と防寒着と鞄をすぐ側に置きながら、5時まで仕事をした。

携帯であちこちに連絡を取るも、繋がらず、、。
電車はすでに全面ストップ。


家の被害はどれだけか心配したが、物が少し落ちた程度。
二階の物干し竿が庭に落ちていて、網戸も左右に揺られ動いていたが落ちてはいなかった。
食器棚の中で、ガラスのコップが傾いていたので、ガラスものは全部棚から出した。
でも、そんな程度、幸いなり。。。

県内の殆どが停電になる中、幸い私の住むところは電気も水も止まらずに済んだ。
暖房もあり、暖かい食事もあり、避難されている方から比べれば何とも贅沢な夜。
しかし、浄化槽の処理能力も落ちているとのことで、少しでも節電、節水を心がけた。
夜は、皆一つの場所に集まり、いつ大きな地震が来てもいいように、洋服のまま寝た。



今日は、日中買い物に行ったが、パンや牛乳カップラーメンなど、棚は空っぽ状態。
トイレットペーパーやオムツ、ホッカイロや湯たんぽなども売り切れていた。

切実なのは燃料。
ガソリン、灯油の不足。スタンドはどこも閉まっていた。
我が家も、暖房を切り詰めながら過ごさなければと思う。

余震、原発、まだまだ心配な事は残っている。
しかし何よりも一番に、まだ安否が不明の方々の救助、避難場所への救援物資が少しでも早く届けられるように祈っている。
コメント
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