今日の商店会長 (早稲田商店会相談役 安井潤一郎)

日本でただ一人、商店会の会長現職で衆議院議員になった、早稲田商店会前会長日記。公式ホームページは左下ブックマークから。

2月11日・二十七回忌での会話

2007-02-11 23:33:36 | 商店会長のコメント
昭和56年に亡くなった父親の二十七回忌を行ないました。もう二十七回忌ですから我々子供達とその家族、そして叔父叔母の19人で開かせていただきました。国同士のお付き合いには「弔問外交」という言葉があるそうですが最小の単位の「家」にもこれは当てはまるようです。法事の時ぐらいしか一族は揃わなくなりました。たった19名でも久し振りに会った甥に「今どうしているの?」と聞いたり「国会はどうですか?」と聞かれたりします。最小の単位の集まりですから会話も弾み法事とは思えない楽しさでした。

26年目の二十七回忌ですから楽しい法事でも親父は許してくれると思いました。楽しい法事にした事を誉めてくれるかもしれません。

このブログにも柳澤発言について厳しいお言葉をいただいております。今日の法事でも「お前はオマケで議員になった」というような言葉は出ませんでしたが、この問題についての質問をいくつか聞かれました。

「政治とは極論すれば税と予算、お金をどう集めてどう使うかだと思います。集める事のスペシャリストだった柳澤さんを巨大予算を持つ、いわばいっぱいお金を使う厚生労働省の大臣に任命した事は安倍首相がこの内閣で厚生労働面をどれだけ重要視しているのかの証左だと私は見ていました。」

「あの発言は罷免、更迭に値しないのかと言われれば私はお辞めになるべきだと思っていました。しかし総理大臣でが辞めさせない、と御自分の責任の中で、意志を明確にされたら自民党議員である私は柳澤大臣を力不足ですが擁護する立場に居ることを明確にします。」と答えました。

「自分の考えと違うのに、そんなに国会議員という立場に恋恋としているのか」と問われれば「その通り」と答えます。たとえオマケでなったと言われようとも、議員になって1年5ヶ月、「日本で一番有名な商店会長」と言われてきた私がその立場で逆立ちしても出来なかった事が今の立場なら出来るんです、変えられるんです。日に日にやらなければいけないこと、与党にいるからこそ出来る事が明確に認識出来るようになりました。

戦後62年、昨日まで白衣を着て店に立って商売していた奴が衆議院議員になったのは私だけなんです。私だから「商店街で商売をやめて、シャッターを降ろして、人に貸さない所は更地並みの課税に」と言えるのだと思っています。この発言の詳細については追って皆さんの目にしていただく機会が来ると思います。
コメント (2)
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