ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『秋津温泉』を観て

2019年08月10日 | 日本映画
『秋津温泉』(吉田喜重監督、1962年)を観た。

昭和20年の夏。
東京の学生、河本周作は、岡山の叔母を頼って来たが、家が空襲でやられたために鳥取まで行こうとする。
列車の中で県北の秋津温泉の女中と知り合い、彼女の案内で“秋津荘”に着いていく。

周作は結核を患っていて、何かと気を遣ってくれたのは、この旅館の娘である新子だった。
そして、終戦が来て・・・

3年後、ふたたび秋津を訪れた周作は、作家をめざしているが芽も出ず、やけになって死のうとし新子に心中を頼む。
だが、いざと言う時、屈託のない新子の心持ちを知って、周作は死を断念する。

また3年後、周作が“秋津荘”に訪れた時は、周作本人は結婚してした。
そして、翌年訪れた時、二人は初めて肉体の関係を持つ。

最初の出会いから17年が過ぎた昭和37年。
“秋津荘”は売られ、結核の周作を介抱した時の離れに新子は住んでいた。
その離れも2日後には取り壊される。
周作に「一緒に死んで欲しい」という新子。

この作品は、岡田茉莉子が100本記念作品と企画し、そして“評判が高かった”との記憶があり、いつかは観てみたいと思っていた映画である。
それに題名から来る、情緒的なイメージもあって憧れてもいた。
それを今回観ることができた訳だが、これは感動どころか私にとっては鼻持ちならない印象の作品であった。

まず、河本周作がこの17年間、グダグダしていて余りにも身勝手過ぎる人物に設定してある。
それを、新子は一途に愛し続ける。
なぜ、このような人間的な魅力のない男に一途になれるのか。
バカバカしくて、勝手に好きになっていてください、と拒否反応が先にくる。
となると、作品の評価のしようがなくなって来る。
少し冷静になぜだろうかと考えてみると、どうしても人物の造形が足りない。

例えば、女が男を一途に想う『浮雲』(成瀬巳喜男監督、1955年)と比べてみれば一目瞭然。
吉田喜重は、“松竹ヌーヴェルヴァーグ”の一人として、主要作品の『エロス+虐殺』(1969年)、『煉獄エロイカ』(1970年)、『告白的女優論』(1971年)、『戒厳令』(1973年)ほかを当時観ているが、どうしても観念的の思いが拭えなかった。
それでも今回の作品に満足できたら、初期作品をもっと観てみようと考えていたが、これでその思いも萎えてしまった。
これが、この作品の感想である。

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