小学校の音楽室で観た映画のなかで、もうひとつ印象が残っているのが『風の又三郎』(島耕二監督、1940年)である。
東北地方のある村の小学校。
夏休みが終わった始業式の日。
教室に見知らぬ子がいた。
5年生の北海道からの転校生である。
生徒たちが様子を伺っていると、風がどうと吹いて来た。
そのことから、この子は「風の又三郎」だと生徒たちは信じる。
これは、宮沢賢治原作の出だしである。
映画での出だしはどうだったろうか。
先生に三郎が紹介されるあたりから始まったような気がする。
では、放牧されている馬が逃げるシーンや、山ブドウを取りに行くシーン。
これらの場面があったのか、なかったのか。
山ブドウの場面はあったように記憶するが定かでない。
ただ、又三郎がガラスのマントを着て現れるところや、暑い日に川へ泳ぎに行くところは強く印象に残っている。
大木が茂り、きれいな水が流れている、あのような川で泳げたらいいな、うらやましいな、と思って観たと覚えている。
その後の川での嵐。雨の降る中で流れる歌も鮮明である。
どっどど どどうど どどうど どどう
どっどど どどうど どどうど どどう
甘いりんごも 吹き飛ばせ
酸っぱいりんごも 吹き飛ばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
どっどど どどうど どどうど どどう ・・・・
風変りな旋律のこの歌が、今も耳について離れない。
私が30歳の頃、名古屋市博物館の地下教室で、「無声映画を観る会」というような名称の主催で上映会があった。
当然この映画はサイレントではないけれど、再度観てみようと、雨の中を電車とバスを乗り継いで出かけた。
観終わって、懐かしいな、やはり良かったな、と感慨深かった。
その時に気付いたのは、6年生の一郎役が大泉滉で、この作品で映画デビューしたということ。
のちにコメディアンとして活躍していたので、配役で大泉滉だけはよくわかった。
残念なことに、現在、この作品を観る手立てがない。
ただ、YouTubeで、嵐の中で歌う一場面を観ることができるのが救いである。
東北地方のある村の小学校。
夏休みが終わった始業式の日。
教室に見知らぬ子がいた。
5年生の北海道からの転校生である。
生徒たちが様子を伺っていると、風がどうと吹いて来た。
そのことから、この子は「風の又三郎」だと生徒たちは信じる。
これは、宮沢賢治原作の出だしである。
映画での出だしはどうだったろうか。
先生に三郎が紹介されるあたりから始まったような気がする。
では、放牧されている馬が逃げるシーンや、山ブドウを取りに行くシーン。
これらの場面があったのか、なかったのか。
山ブドウの場面はあったように記憶するが定かでない。
ただ、又三郎がガラスのマントを着て現れるところや、暑い日に川へ泳ぎに行くところは強く印象に残っている。
大木が茂り、きれいな水が流れている、あのような川で泳げたらいいな、うらやましいな、と思って観たと覚えている。
その後の川での嵐。雨の降る中で流れる歌も鮮明である。
どっどど どどうど どどうど どどう
どっどど どどうど どどうど どどう
甘いりんごも 吹き飛ばせ
酸っぱいりんごも 吹き飛ばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
どっどど どどうど どどうど どどう ・・・・
風変りな旋律のこの歌が、今も耳について離れない。
私が30歳の頃、名古屋市博物館の地下教室で、「無声映画を観る会」というような名称の主催で上映会があった。
当然この映画はサイレントではないけれど、再度観てみようと、雨の中を電車とバスを乗り継いで出かけた。
観終わって、懐かしいな、やはり良かったな、と感慨深かった。
その時に気付いたのは、6年生の一郎役が大泉滉で、この作品で映画デビューしたということ。
のちにコメディアンとして活躍していたので、配役で大泉滉だけはよくわかった。
残念なことに、現在、この作品を観る手立てがない。
ただ、YouTubeで、嵐の中で歌う一場面を観ることができるのが救いである。
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