『ユンボギの日記』(大島 渚監督、1965年)を観た。
小学校4年生のユンボギは、母が父との不仲で家を出てしまい、父は病気のため仕事ができず、妹2人と弟1人の面倒を見ながら物乞い同然の生活を送っている。
ユンボギは、いつも母が帰って来てほしいと願いながら、日記を綴る。
貧しさに苦しみながらも担任の先生や同級生の同情に感謝し、非行に走らず、懸命に生きている。
ある日、妹のスンナが貧しさに耐えかねて家出してしまい、ユンボギは更に孤独を感じ、いつか母とスンナを探しに行きたいと望む。
(Wikipediaより)
この作品は、大島渚がテレビドキュメンタリーの仕事のために訪韓した際に撮影した浮浪児たちの写真を映像として、
朗読を主にナレーションで綴った短編映画である。
ユンボギの日記(予告編)
映画は短編であるため、内容を具体的に知ろうと思い、
40年前に読んだままの茶色に変色した原作本(イー・ユンボギ著、塚本勲訳、太平出版社・1965年刊)を引っ張り出してみた。
日記は、1963年6月から翌64年1月まで綴られている。
韓国、大邱(テグ)。
ユンボギ 10歳、国民小学校4年。
スンナ・妹 8歳、国民小学校2年。
ユンシギ・弟6歳。
テスニ・妹 5歳。
母は4年前に家出し、父は病気で仕事に就いていない。
内容は大半が、家族が生きるために今日、明日の食べ物をどう手に入れるかということ。
そのために、僅かなお金を手にするため、夜遅くまで喫茶店等を廻ってガムを売る。
しかしこれは、市職員に見つかれば捕まえられて希望園(少年院)に引っ張られてしまう仕事である。
それでもお金が手にできなければ、空き缶を持って他の家々を廻って、ご飯の物乞いをするしか方法がない。
そんなでも、食べ物が手に入らない日が続けば、空腹で行きたい学校にも行けないし、家族のためどうしようと不安が募る。
そんな中、8歳のスンナが「お金をたくさんもうけて帰ってきます。探さないでください」と書き置きをして、家出をしてしまう。
ユンボギは、少しでも多くのお金を稼ごうと、道具を買って“靴磨き”を始めるが、4日後には不良少年によって道具を盗まれてしまう。
こんな八方塞がりの中でも、友達が自分は食べずに昼の弁当をくれたり、また、担任先生は優しいし、金先生も何かと面倒を見てくれる。
だから、ユンボギは学校が好きだ。
日記は、そんな事柄を素直な文章で綴っていく。
そこに滲み出てくるのは、母への思い、スンナへの思い、下の兄妹、父親への思いやり。
しかしなぜこの少年家族を、このような境遇に陥れるのかと身につまされる。
大島渚は、このような境遇の少年が一人だけではない実態を、20数分の作品として的確に表現する。
そして、そこに政治的、社会的な背景をもヤンワリと滲ませる。
そうすることによって、作品の力強さを醸し出している。
大島作品は、すべてとは言わないが60年代後半から70年代にかけて夢中になって観て、過去作品も含めその社会性ゆえに影響を受けた。
しかし残念なことに、作品を発表しなくなった後期以後、和服姿でテレビのバラエティー番組等に出演し、そのふにゃけた感じに失望した。
そして感じたことは、人間は一本、筋を通したまま生き通すは難しいことなのか、それともそれはその人の本来の人間性なのか、ということ。
そう思うほど、若いころ、大島渚には感化されていた、ということである。
小学校4年生のユンボギは、母が父との不仲で家を出てしまい、父は病気のため仕事ができず、妹2人と弟1人の面倒を見ながら物乞い同然の生活を送っている。
ユンボギは、いつも母が帰って来てほしいと願いながら、日記を綴る。
貧しさに苦しみながらも担任の先生や同級生の同情に感謝し、非行に走らず、懸命に生きている。
ある日、妹のスンナが貧しさに耐えかねて家出してしまい、ユンボギは更に孤独を感じ、いつか母とスンナを探しに行きたいと望む。
(Wikipediaより)
この作品は、大島渚がテレビドキュメンタリーの仕事のために訪韓した際に撮影した浮浪児たちの写真を映像として、
朗読を主にナレーションで綴った短編映画である。
ユンボギの日記(予告編)
映画は短編であるため、内容を具体的に知ろうと思い、
40年前に読んだままの茶色に変色した原作本(イー・ユンボギ著、塚本勲訳、太平出版社・1965年刊)を引っ張り出してみた。
日記は、1963年6月から翌64年1月まで綴られている。
韓国、大邱(テグ)。
ユンボギ 10歳、国民小学校4年。
スンナ・妹 8歳、国民小学校2年。
ユンシギ・弟6歳。
テスニ・妹 5歳。
母は4年前に家出し、父は病気で仕事に就いていない。
内容は大半が、家族が生きるために今日、明日の食べ物をどう手に入れるかということ。
そのために、僅かなお金を手にするため、夜遅くまで喫茶店等を廻ってガムを売る。
しかしこれは、市職員に見つかれば捕まえられて希望園(少年院)に引っ張られてしまう仕事である。
それでもお金が手にできなければ、空き缶を持って他の家々を廻って、ご飯の物乞いをするしか方法がない。
そんなでも、食べ物が手に入らない日が続けば、空腹で行きたい学校にも行けないし、家族のためどうしようと不安が募る。
そんな中、8歳のスンナが「お金をたくさんもうけて帰ってきます。探さないでください」と書き置きをして、家出をしてしまう。
ユンボギは、少しでも多くのお金を稼ごうと、道具を買って“靴磨き”を始めるが、4日後には不良少年によって道具を盗まれてしまう。
こんな八方塞がりの中でも、友達が自分は食べずに昼の弁当をくれたり、また、担任先生は優しいし、金先生も何かと面倒を見てくれる。
だから、ユンボギは学校が好きだ。
日記は、そんな事柄を素直な文章で綴っていく。
そこに滲み出てくるのは、母への思い、スンナへの思い、下の兄妹、父親への思いやり。
しかしなぜこの少年家族を、このような境遇に陥れるのかと身につまされる。
大島渚は、このような境遇の少年が一人だけではない実態を、20数分の作品として的確に表現する。
そして、そこに政治的、社会的な背景をもヤンワリと滲ませる。
そうすることによって、作品の力強さを醸し出している。
大島作品は、すべてとは言わないが60年代後半から70年代にかけて夢中になって観て、過去作品も含めその社会性ゆえに影響を受けた。
しかし残念なことに、作品を発表しなくなった後期以後、和服姿でテレビのバラエティー番組等に出演し、そのふにゃけた感じに失望した。
そして感じたことは、人間は一本、筋を通したまま生き通すは難しいことなのか、それともそれはその人の本来の人間性なのか、ということ。
そう思うほど、若いころ、大島渚には感化されていた、ということである。
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