ポケットの中で映画を温めて

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『この世界の片隅に』を観て

2017年01月22日 | 日本映画
観よう観ようと思っていた『この世界の片隅に』(片渕須直監督、2016年)を、やっと観た。

昭和19年、18歳の少女・すずは生まれ故郷の広島市江波を離れ、日本一の軍港のある街・呉に嫁いできた。
戦争が進み様々な物が不足していく中、すずは工夫をこらして食事を作っていく。
やがて日本海軍の根拠地であるため呉は何度も空襲に遭い、いつも庭先から眺めていた軍艦が燃え、街は破壊され灰燼に帰していく。
すずが大切に思っていた身近なものたちが奪われていくが、日々の営みは続く。
そして昭和20年の夏を迎え・・・
(Movie Walkerより)

物語は、小学校低学年のすずが、広島市中心部の町に海苔を届けるためのおつかいに出かけるところから始まって、
すずと夫・周作が、原爆後の戦災孤児の少女と出会い、連れ帰って養子にする覚悟を決めるまでを描く。

視点は、すずの日常生活が主になっている。
このすずの、のほほんとして、おっとりした性格が心地よい。
こんな人が、身近にいたら無条件に大好きになるなと思いながら、映像に成り行きを任してしまう。

時代は戦争末期に向かう。
だけれども、すずのけなげな日々の生き方を見ていると、悲惨なはずの背景がなぜかそうでもないようにも錯覚してしまう。
それほど、すずという人は愛くるしいし、そして、当時の人々は案外このような感じで日常を送っていたのではないかと思う。

でも、シビアによくよく考えてみると、すずの人物像の好もしさは、声を担当している“のん”の力量が大ではないか。
そもそもこの作品は、すずのモノローグによる、すずからの日常の視点が描かれている。
違う人がこの声をやったとしたら、ここまですずのイメージが出来たかどうか。
そう考えると、この映画は“のん”がすべてと、私は思う。

正直に言って、この映画は優れた作品だと認めたとしても、私は、さほど感動できなかった。
キネマ旬報が邦画ベスト・ワンにしていることを考えてみると、そのギャップは何だろう。
勝手な解釈をすれば、戦争そのものが背景とはなっているけれど、そんなに悲惨そうにみえないこと。
そのことがテーマを重苦しくしてなくて、だから、観客に受け入れやすいのではないか。
あくまでも、すずという一個人から見た物語だから。
それが、作り手、ひいては原作者の視点だとも思う。

変な異議をしても、やはり、こういう作品はたくさんの人が観てくれればいいな、と心から思う。

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