花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

読書感想文

2017-09-07 | 日記・エッセイ


小学校時代の宿題の一つ、課題図書の読書感想文が、昨今ではネットで売買されているらしい。元来本好きの私も御多分に漏れず、強制的に読まされる課題図書が大の苦手であった。とはいうものの、感想文を書かねばならない時はどのように凌げばよいのだろうか。 

まずは本書の筋書、主人公の概要から始める。これは初めから終わりまでちゃんと読んでいますという宣言である。次には読み始めた最初の時点での感想を書く。走り始めは焦点の呆けた感慨でいい。むしろ中盤との落差が効果的となる。とは申せ、読み始めた時は全然面白くなかったので別の本に変えようと思いました、などという様な生々しい本音を書いてはいけない。これに続いて、読み進むうちに当初の印象が変化、逆転、さらには新たに想起したことを大げさに記してゆく。車窓からの景色が次々と変わるようにこれらを書き並べてゆき、いかにも気を入れて読み進めているかのように臨場感を出す。その中でも、本書の臍はこれと考えた所は一つに絞り、強調してめりはりをつける。そして最後は、読み手の今の自分に引き寄せて文を締めることが大切である。このような時に私ならばどうした、そしてこれからはこうしたいと考えるという風に、等身大の自分を熱く語ってみせることが読書感想文では必須である。それがこの本を読ませてよかったと大人を満足させる、子供からのラブメッセージとなる。

小学校の頃、まさか上の様に考えていた訳ではないけれど、どのように書くことが求められているのかと、結構したたかに考えを巡らせていた小賢しい子供であったことは否めない。毎年、課題図書で挙げられていた本は、生意気にもほとんどが面白いとは思えなかった。子供に食べさせたい(教えたい、伝えたい、心に刻みたい)事を盛り込み過ぎなのか。はたまた子供が好むだろうと大人が大人の頭で計略を練った料理(本)の味付け(登場人物の肉付け、プロット展開等々)が何処か的外れだったのか。
 ところで今は子供がどうあれ何をしても、日常診療の場においても、子供さんを唯々褒めちぎる親御さんが主流である。それに比して、これはいけない、あれは駄目と言われるような、守るべき行動規範がひと昔前の子供には実に多かった。だからこそ、せめて本を読んだ時くらい、好きに感じて好きに考えたいという思いが切実であったのかもしれない。今この齢になって思えば、この教訓、その感動話に追い込みたいのだなという予定調和の枠が見えて来た時、またかよと子供心が萎えていたのである。
 その頃の自分の願いは、大人になったら好きな本しか読まないという真にささやかな、されど切実なものであった。そしてその願いは今だにかなえられそうもない。さすがに学校指定の課題図書からは解き放たれたが、形を変えて読まねばならない本が次々と増えてゆき、本当に私が読みたい本よりもはるかに多くなっている。