先月に査読のある学術雑誌に一通の投稿を行い、何度も修正論文を提出申し上げた後に目出度く採択を頂戴した。昨今はオンライン投稿である。投稿に際して数部の提出論文を揃える、焼いた写真をレイアウトして台紙に張り合わせる、などという手間はすっかり黴臭い過去の話となった。ところが送付物が運ばれている時間が省かれたかわりに、修正論文をようやく送付し得たと安堵して一息つく間もなく、再び真剣の一太刀が如く気迫に満ちたコメントの一刀が振り込まれてくる。自分としては推敲に推敲を重ねて提出したつもりであったが、用語、論点や論旨の不備について厳格な御指導を頂いて大いに勉強になった。明日の学会発表が終われば、また新たな投稿に向かって挑戦する予定である。
ところで本ブログは開始して四年目に入った。此処いらで何とやらを締め直して書くぞと思い定めた《二十四節気の養生》もあれば、水面近く浮かび上がった魚がぽろんと漏らす泡沫のたぐいまで、扱った題材は硬軟取り混ぜてひたすら雑多である。論文と異なってブログの場合は扱うテーマの自由度が大きい。だが何を書くにおいても臨床医の軸足を外したつもりはない。一見、日々の臨床に無関係な題材に見えても、その根はしかとつなげていると任じている。和田東郭先生曰く、「庭の樹木を見るにも山に遊び水に泛び、又煙草盆一つを手に提げて見ても、事々物々の中に自然と我術の工夫の手掛りとなる寓のある者なり。兎角各我業とする一藝にこりかたまりて習熟すべし」の御言葉を、遥かに及ばぬ凡医の身は何時も拳拳服膺している。