悲劇も喜劇も包み込んで流れる時は非情である。そこに安らぎを覚え永遠を思い慈愛を感じることができるのは、現状に満足を得た人々である。時の流れに逆らうこともできずに生きなくてはならない人間に、時は残酷ですらある。死に向かって流れる「時」と、すべてを包み込んで流れる「時」とは、異なるふたつの「時」なのである。
(第三章 時と廃墟の哲学、2「廃駅」を中心に│尾形明子著「田山花袋というカオス」, p231, 沖積舎, 1999)

(第三章 時と廃墟の哲学、2「廃駅」を中心に│尾形明子著「田山花袋というカオス」, p231, 沖積舎, 1999)
