此所小便無用 花乃山 佐々木文山│尾形月耕「日本花圖繪」明治廿九年
寶井其角は書を玄龍に學んでゐたので、文山とも親しかつた。或日紀ノ國屋文左衛門について、吉原へ遊びに行く、揚屋の主人は嘗て文山の書名の高いのを知つてゐたので、春山櫻花の畫屏風を出して揮毫を需めた。書畫などゝいふものは、表門から裃を着て頼みにゆくと、容易にかいても呉れないし、又御禮も澤山出さねばならぬ、早く出來て只かいて貰ふにはこれに限る。元祿の昔も今もかはらぬのは面白い、文山も忌々しく思つたか、醉餘の筆を揮つて、此所小便無用と書いてしまつた。文山の書は醉へば醉ふ程出來がいゝ、併しいくら能書でも小便無用では困る、揚屋の主人が興さめ顔をしてゐると、其角が直に筆を把つて、花の山と書き續いだ。此所小便無用花の山、大層面白い句になつたと紀文も笑へば、主人も喜び、永く家寶となつた。
(佐々木玄龍文山│「近世能書傳」, 85-86)
*佐々木文山:江戸時代の書家、名は襲、字は淵竜、通称は百助、号が文山・臥竜・墨華堂。兄の佐々木玄龍も書家。
参考資料:
三村清三郎著:「近世能書傳」, 二見書房, 1944