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奈良市内の生家に居た若い頃の母は、早朝しばしば、裏の竹薮から入り込んだ鹿が数頭、家の畑を食い散らかしている現場に出くわしている。棒でしっしと乱暴に追い払うことも憚られ、満腹した鹿の一群が表門から悠然と出てゆくまで大変苦労をしたらしい。奈良人が早起きなのは、隣家に出遅れて門前に鹿が倒れているのを見逃しでもしたらそれこそ一大事であるからだ、という半ば都市伝説がある。春日大社の神鹿に対する無礼に石子詰で臨んだ時代ではなくとも、朝な夕なに見かける鹿を心に掛ける習性は、現代の奈良人から完全には消え去っていない。
奈良の鹿は昭和三十二年に天然記念物に指定されている。日夜、多くの方々が鹿に良かれと慮り環境整備を行ってこられた中で、野生の角をなくし従順に飼いならされた鹿になったかといえば決してそうではない。奈良公園内を親から離れて歩いていた幼児に、突然、離れた場所から走り寄った雌鹿が頭突きをする光景を見て驚いたことがある。鹿煎餅をやる鹿を選り好みしていた観光客が、選にもれた多数の鹿に一斉に飛び掛かられ慌てて煎餅を放り投げてお逃げになる姿も珍しくない。夜更けて公園の街路から茂みに懐中電灯を向けると、闇の中に幾つも並んだ不気味に光る眼がこちらに視線を定めて動かない。
冒頭に書いた様な状況で奈良公園以外の農山村部において農作物の食害が増加しているために、本日から保護区域の外側の管理エリアにおいて、一定数の鹿の捕獲、処分が開始となったことを朝刊で読んだ。これも諸処の事情を踏まえて決断なさった仕儀なのだろう。奈良は内外からの観光客が益々増加する一方で、訪れる人々が背負う文化もその心情も様々である。世の移り変わりなど与り知らぬまま、良くも悪くも人馴れした奈良の鹿である。人との避けがたい異種交流(交流というのも人間の勝手な思い込みなのかもしれないが)に際して、人災としての交通事故や傷害に遭遇することなく天寿を全うして欲しいと願うばかりである。
最後に掲げたのは『正法眼蔵随聞記』にある鹿の話である。
示して云く、道者の行は善行悪行につき皆おもはくあり。凡人の量る所にあらず。昔し慧心僧都、一日庭前に草を食ふ鹿を、人をして打ち追はしむ。時に或る人問て云く、師慈悲なきに似り、草を惜みて畜生を悩ますか。僧都の云く、しかあらず、吾れ若し是を打ち追はずんば此の鹿ついに人になれて、悪人に近づかん時は必ず殺されん。この故にうちおふなりと。これ鹿を打追は、慈悲なきに似たれども内心は慈悲の深き道理、かくのごとし。
(ワイド版 岩波文庫『正法眼蔵随聞記』第六 十, p140, 岩波書店, 1991)