万葉短歌-悠山人編

万葉短歌…万葉集全4516歌(長短)のうち、短歌をすべてJPG&TXTで紹介する。→日本初!

万葉短歌1044 紅に0945

2013年07月15日 | 万葉短歌

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万葉短歌1044 紅に0945

紅に 深く染みにし 心かも
奈良の都に 年の経ぬべき  ○

0945     万葉短歌1044 ShuC495 2013-0715-man1044

くれなゐに ふかくしみにし こころかも
  ならのみやこに としのへぬべき
=未詳。
【編者注】題詞読下しは、「寧楽(なら)の京(みやこ)の荒墟を傷惜(いた)みて作る歌三首」。脚注に「作者審(つまび)らかにあらず」。その第一首。
【訓注】深く染みにし(ふかくしみにし=深染西)。心かも(こころかも=情可母)。奈良の都(ならのみやこ=寧楽乃京師)。年の経ぬべき(としのへぬべき=年之歴去倍吉)。


万葉短歌1043 たまきはる0944

2013年07月14日 | 万葉短歌

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万葉短歌1043 たまきはる0944

たまきはる 命は知らず 松が枝を
結ぶ心は 長くとぞ思ふ  大伴家持

0944     万葉短歌1043 ShuC491 2013-0714-man1043

たまきはる いのちはしらず まつがえを
  むすぶこころは ながくとぞおもふ
大伴家持(おほともの やかもち)=左注には「大伴宿祢家持」。第403歌参照。
【編者注】「同じき月[(天平十六年、744年、正月)]の十一日に、活道(いくぢ)の岡[(久邇京活道山麓)]に登り、一株(ひともと)の松の下(した)に集ひて飲む歌二首」の第二首。左注に作者名。
【訓注】たまきはる(霊尅)。命は知らず(いのちはしらず=寿者不知)。松が枝を(まつがえを=松之枝)。結ぶ心は(結情者)。


万葉短歌1042 一つ松0943

2013年07月13日 | 万葉短歌

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万葉短歌1042 一つ松0943

一つ松 幾代か経ぬる 吹く風の
声の清きは 年深みかも  市原王

0943     万葉短歌1042 ShuC491 2013-0713-man1042

ひとつまつ いくよかへぬる ふくかぜの
  おとのきよきは としふかみかも
市原王(いちはらの おほきみ)=第412歌参照。
【編者注】題詞読下しは、「同じき月[(天平十六年、744年、正月)]の十一日に、活道(いくぢ)の岡[(久邇京活道山麓)]に登り、一株(ひともと)の松の下(した)に集ひて飲む歌二首」。その第一首。左注に作者名。
【訓注】一つ松(ひとつまつ=一松)。幾代(いくよ)。吹く風の(ふくかぜの=吹風乃)。声の清き(おとのきよき=声之清)。


万葉短歌1041 我がやどの0942

2013年07月12日 | 万葉短歌

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万葉短歌1041 我がやどの0942

我がやどの 君松の木に 降る雪の
行きには行かじ 待ちにし待たむ  ○

0942     万葉短歌1041 ShuC489 2013-0712-man1041

わがやどの きみまつのきに ふるゆきの
  ゆきにはゆかじ まちにしまたむ
=未詳。
【編者注】題詞読下しは、「十六年甲申(きのえさる)[(天平十六年、744年)]の春の正月の五日に、諸卿大夫(まへつきみたち)、安倍虫麻呂朝臣が家に集ひて宴する歌一首」。脚注に「作者、審(つまび)らかにあらず」。安倍虫麻呂(あへの むしまろ)については、第320歌参照。
【訓注】我がやどの(わがやどの=吾屋戸乃)。君松の木(きみまつのき=君松樹)。降る雪の(ふるゆきの=零雪之)。行きには行かじ(ゆきにはゆかじ=行者不去)。待ちにし待たむ(まちにしまたむ=待西将待)。


万葉短歌1040 ひさかたの0941

2013年07月11日 | 万葉短歌

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万葉短歌1040 ひさかたの0941

ひさかたの 雨は降りしけ 思ふ子が
やどに今夜は 明かして行かむ  大伴家持

0941     万葉短歌1040 ShuC488 2013-0711-man1040

ひさかたの あめはふりしけ おもふこが
  やどにこよひは あかしてゆかむ
大伴家持(おほともの やかもち)=題詞原文には、「内舎人(うどねり)大伴宿祢家持」。第403歌参照。
【編者注】題詞読下しは、「安積親王(あさかの みこ)、左少弁(させうべん)藤原八束(ふぢはらの やつかの あそみ)が家にして宴する日に、内舎人大伴宿祢家持が作る歌一首」。
【訓注】ひさかたの(久堅乃)。降りしけ(零敷)。思ふ子が(おもふこが=念子之)。やど(屋戸)。今夜(こよひ)。明かして(あかして=明而)。


万葉短歌1039 我が背子と0940

2013年07月10日 | 万葉短歌

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万葉短歌1039 我が背子と0940

我が背子と ふたりし居らば 山高み
里には月は 照らずともよし  高丘河内

0940     万葉短歌1039 ShuC485 2013-0710-man1039

わがせこと ふたりしをらば やまだかみ
  さとにはつきは てらずともよし
高丘河内(たかをかの かふち)=第1038歌参照。
【編者注】「高丘河内連歌二首」の第二首。
【訓注】我が背子と(わがせこと=吾背子与)。ふたりし居らば(ふたりしをらば=二人之居者)。里には月は(さとにはつきは=里尓者月波)。照らずともよし(てらずともよし=不曜十方余思)。


万葉短歌1038 故郷は0939

2013年07月09日 | 万葉短歌

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万葉短歌1038 故郷は0939

故郷は 遠くもあらず 一重山
越ゆるがからに 思ひぞ我がせし  高丘河内

0939     万葉短歌1038 ShuC485 2013-0709-man1038

ふるさとは とほくもあらず ひとへやま
  こゆるがからに おもひぞわがせし
高丘河内(たかをかの かふち)=題詞原文には、「高丘河内連(-の むらじ)」。「百済系の渡来人の子。もと楽浪河内(ささなみの かふち)。養老五年(721)正月、山上憶良らとともに東宮に侍す。神亀元年(724)高丘連の姓を賜る。天平三年(731)正月外従五位下、九月右京亮。天平十四年八月紫香楽宮造宮司。伯耆守(はうきのかみ)、大学頭などを歴任、天平十八年従五位上。天平勝宝六年(754)正五位下。17-3926 の左注にも名が見える。この記載法は尊称法による。」
【編者注】題詞原文は、「高丘河内連歌二首」。その第一首。
【訓注】故郷(ふるさと)。思ひぞ我がせし(おもひぞわがせし=念曽吾世思)。


万葉短歌1037 今造る0938

2013年07月08日 | 万葉短歌

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万葉短歌1037 今造る0938

今造る 久邇の都は 山川の
さやけき見れば うべ知らすらし  大伴家持

0938     万葉短歌1037 ShuC483 2013-0708-man1037

いまつくる くにのみやこは やまかはの
  さやけきみれば うべしらすらし
大伴家持(おほともの やかもち)=題詞原文には、「内舎人(うどねり)大伴宿祢家持」。第403歌参照。
【編者注】題詞読下しは、「十五年癸未(みづのとひつじ)[(天平十五年、743年)]の秋の八月の十六日に、内舎人大伴宿祢家持、久邇の京(みやこ)を讃(ほ)めて作る歌一首」。
【訓注】久邇の都(くにのみやこ=久邇乃王都)。山川の(やまかはの=山河之)。さやけき(清)。うべ(宇倍)。


万葉短歌1036 関なくは0937

2013年07月07日 | 万葉短歌

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万葉短歌1036 関なくは0937

関なくは 帰りにだにも 打ち行きて
妹が手枕 まきて寝ましを  大伴家持

0937     万葉短歌1036 ShuC482 2013-0707-man1036

せきなくは かへりにだにも うちゆきて
  いもがたまくら まきてねましを
大伴家持(おほともの やかもち)=題詞原文には、「大伴宿祢家持」。第403歌参照。
【編者注】題詞読下しは、「不破(ふは)の行宮(かりみや)にして、大伴宿祢家持が作る歌一首」。
【訓注】関(せき)[=不破関(岐阜県不破郡関ケ原町)]。打ち行きて(うちゆきて=打行而)。妹(いも)。手枕(たまくら)。巻きて(まきて=巻手)。


万葉短歌1035 田跡川の0936

2013年07月06日 | 万葉短歌

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万葉短歌1035 田跡川の0936

田跡川の 滝を清みか いにしへゆ
宮仕へけむ 多芸の野の上に  大伴家持

0936     万葉短歌1035 ShuC481 2013-0706-man1035

たどかはの たきをきよみか いにしへゆ
  みやつかへけむ たぎのののへに
大伴家持(おほともの やかもち)=題詞原文には、「大伴宿祢家持」。第403歌参照。
【編者注】題詞原文は、「大伴宿祢家持作歌一首」。
【訓注】田跡川(たどかは=田跡河)[=養老滝の川]。いにしへゆ(従古)。多芸(たぎ)。野の上(ののへ=野之上)。


万葉短歌1034 いにしへゆ0935

2013年07月05日 | 万葉短歌

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万葉短歌1034 いにしへゆ0935

いにしへゆ 人の言ひ来る 老人の
をつといふ水ぞ 名に負ふ滝の瀬  大伴東人

0935     万葉短歌1034 ShuC480 2013-0705-man1034

いにしへゆ ひとのいひくる おいひとの
  をつといふみづぞ なにおふたきのせ
大伴東人(おほともの あづまひと)=題詞原文には、「大伴宿祢東人」。「天平宝字二年(758)従五位下。武部(むぶ)少輔(兵部少輔)、少納言、散位介(さんいのすけ)、周防守(すはうのかみ)を経て、宝亀五年(774)弾正弼(だんじゃうのすけ)。大伴氏での系統未詳。歌はこの一首のみ。」
【編者注】題詞読下しは、「美濃の国の多芸(たぎ)の[(聖武天皇)]行宮(かりみや)にして、大伴宿祢東人が作る歌一首」。
【訓注】いにしへゆ(従古)。老人(おいひと)。をつといふ(変若云水)。滝(たき)[=養老の滝]。多芸(たぎ)[=美濃国多芸郡、現岐阜県養老郡]。


万葉短歌1033 御食つ国0934

2013年07月04日 | 万葉短歌

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万葉短歌1033 御食つ国0934

御食つ国 志摩の海人ならし ま熊野の
小舟に乗りて 沖辺漕ぐ見ゆ  大伴家持

0934     万葉短歌1033 ShuC478 2013-0704-man1033

みけつくに しまのあまならし まくまのの
  をぶねにのりて おきへこぐみゆ
大伴家持(おほともの やかもち)=題詞原文には、「大伴宿祢家持」。第403歌参照。
【編者注】「狭浅(ささ)の行宮(かりみや)にして、大伴宿祢家持が作る歌二首」の第二首。
【訓注】御食つ国(みけつくに=御食国)。志摩の海人(しまのあま=志麻乃海部)。ま熊野(まくまの=真熊野)。小舟(をぶね=小船)。沖辺漕ぐ(おきへこぐ=奥部榜)。


万葉短歌1032 大君の0933

2013年07月03日 | 万葉短歌

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万葉短歌1032 大君の0933

大君の 行幸のまにま 我妹子が
手枕まかず 月ぞ経にける  大伴家持

0933     万葉短歌1032 ShuC478 2013-0703-man1032

おほきみの みゆきのまにま わぎもこが
  たまくらまかず つきぞへにける
大伴家持(おほともの やかもち)=題詞原文には、「大伴宿祢家持」。第403歌参照。
【編者注】題詞読下しは、「狭浅(ささ)の行宮(かりみや)にして、大伴宿祢家持が作る歌二首」。その第一首。
【訓注】行幸(みゆき)。まにま(随)。我妹子(わぎもこ)。手枕(たまくら)。


万葉短歌1031 後れにし0932

2013年07月02日 | 万葉短歌

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万葉短歌1031 後れにし0932

後れにし 人を思はく 思泥の崎
木綿取り垂でて 幸くとぞ思ふ  丹比屋主真人

0932     万葉短歌1031 ShuC475 2013-0702-man1031

おくれにし ひとをおもはく しでのさき
  ゆふとりしでて さきくとぞおもふ
丹比屋主真人(たぢひのやぬし まひと)=丹比家主(やかぬし)真人か。「丹比真人家主であれば、天平九年(737)従五位下、鋳銭長官を経て、天平宝字四年(760)従四位下で没した人。…。」 講談社版『万葉集事典』は、見出し語「丹比真人屋主(たぢひのまひと やぬし)」の記事として、「乙麿の父(…)。神亀元(724)二正六上より従五下。…丹比真人家主か。…。」とする。
【編者注】題詞原文は、「丹比屋主真人歌一首」。歌左注は、作歌事情への疑問を記す。
【訓注】思泥の崎(しでのさき=四泥能埼)[=四日市市北]。木綿(ゆふ)。垂でて(しでて=之泥而)。幸く(さきく=好住)。


万葉短歌1030 妹に恋ひ0931

2013年07月01日 | 万葉短歌

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万葉短歌1030 妹に恋ひ0931

妹に恋ひ 吾の松原 見わたせば
潮干の潟に 鶴鳴き渡る  聖武天皇

0931     万葉短歌1030 ShuC474 2013-0701-man1030

いもにこひ あがのまつばら みわたせば
  しおひのかたに たづなきわたる
聖武天皇(しゃうむ てんわう)=題詞原文には、単に「天皇」。第530歌参照。
【編者注】題詞原文は、「天皇御製歌一首」。
【訓注】妹(いも)。恋ひ(こひ=恋)。吾(あが)。潟(かた=滷)。鶴(たづ=多頭)。