
この季節になると、ふるさとの川で魚釣り少年の日々を彩ってくれた魚たちのことを思い出す。そのしなやかな動きや姿かたちをいまでもありありと思い浮かべることができる。あるときは瀬を縫って流れる木の葉のような、またある時はきらきらと鱗を散らすような、たえず変貌する川辺の幻想が広がっていく。
いまでも目を瞑ると、水の生き物たちが記憶の川から泳ぎ出してくる。
ウグイのことを、その地方ではイダといい、まだ若い小型のものはイダゴと呼んだ。大型のイダは夜釣りで、小型のイダゴは昼間でもよく釣れた。エノハはヤマメのことで、ヤマメの幼魚をシバコといった。荒い瀬にいて元気のいい美しい魚で、めったに釣れない貴重種だった。エノハとは榎の葉っぱの化身だったのかもしれない。魚類図鑑でみるカマツカはカマスカと呼んでいた。砂地が彼らのテリトリーで、砂に埋もれてじっとしていることが多かった。ドンコはドンカチ、愚鈍な魚で誰でも簡単に釣れた。ハヤはハエと呼ばれていた。俊敏な動きで川の流れをかき回していた。ハヤの成魚で口のまわりや腹部が赤く染まったものを、アカブトと呼んだ。ハエに似たアブラメというのもいた。鱗はなく、ぬめりがあって食べると美味しかった。海で釣れるアブラメとどこか似ていたのかもしれない。コイやフナ、ウナギやドジョウには特別な呼称はなかった。その川にはなぜか、アユだけがいなかった。
川の瀬に張り付いている虫を餌にして、瀬から瀬を渡りながら竿を振る。釣り糸につけた小さな綿くずの動きで魚信を探る。瀬の場所や流れ方によって釣れる魚は大体決まっていた。
雨の匂いがすると、ぼくはすぐに近くの川に出かけた。
魚が呼んでいるというか、魚のにおいに引き寄せられるというか、釣り少年の本能がかきたてられるのだった。そんなときは川上で雨が降っていて、川の水が急に濁りはじめて水かさも増してくる。
ぼくはわくわくしながら、大岩の脇の淀みを目がけて釣竿を振る。そこには、水の濁りに異変を感じた魚たちが、避難のためかエサ取りのためか、たまたま集まっているのだった。
川のそばに、四軒家と呼ばれる集落があった。
沖縄出身のトーマ(當間)さんという人が住んでいて、馬車で材木を運ぶ仕事をしていた。若くて色の白い奥さんが、家の裏の川でよく洗い物をしていた。かたわらの浅瀬では、アヒルが数羽いつも泳いでいて、のどかな川瀬の風景が広がる場所だった。
ある日、トーマさんがなにやら叫びながら、血相を変えて走り回っていた。あとで知ったのだが、奥さんが川の浅瀬に顔を浸すようにして死んでいたのだった。
いつものように、洗い物をしていて貧血を起こしたらしいとか、自殺をしたのかもしれないとか、おとなたちの間で噂がたっていた。
釣り少年のぼくは、その人はきっと魚になったのだと考えた。
その頃から、ぼくはしだいに川から遠ざかっていった。
まわりの草木や風や大気が、水気をたっぷり含んで融けあうような季節がある。ちょうど梅雨の頃で、魚たちは腹を真っ赤にして産卵をする。川の瀬も狂気じみた魚たちが集まって朱色に染まるのだった。
川へ行かなくなったぼくは、そんな川の賑わいを夢想ばかりしていた。
魚たちがより魚になるための、魚になった人もより魚になるための、賑やかなのに寡黙でもある、近づきがたい川の祝祭の光景だった。
梅雨が明けると炎天の夏。
いまでも目を瞑ると、水の生き物たちが記憶の川から泳ぎ出してくる。
ウグイのことを、その地方ではイダといい、まだ若い小型のものはイダゴと呼んだ。大型のイダは夜釣りで、小型のイダゴは昼間でもよく釣れた。エノハはヤマメのことで、ヤマメの幼魚をシバコといった。荒い瀬にいて元気のいい美しい魚で、めったに釣れない貴重種だった。エノハとは榎の葉っぱの化身だったのかもしれない。魚類図鑑でみるカマツカはカマスカと呼んでいた。砂地が彼らのテリトリーで、砂に埋もれてじっとしていることが多かった。ドンコはドンカチ、愚鈍な魚で誰でも簡単に釣れた。ハヤはハエと呼ばれていた。俊敏な動きで川の流れをかき回していた。ハヤの成魚で口のまわりや腹部が赤く染まったものを、アカブトと呼んだ。ハエに似たアブラメというのもいた。鱗はなく、ぬめりがあって食べると美味しかった。海で釣れるアブラメとどこか似ていたのかもしれない。コイやフナ、ウナギやドジョウには特別な呼称はなかった。その川にはなぜか、アユだけがいなかった。
川の瀬に張り付いている虫を餌にして、瀬から瀬を渡りながら竿を振る。釣り糸につけた小さな綿くずの動きで魚信を探る。瀬の場所や流れ方によって釣れる魚は大体決まっていた。
雨の匂いがすると、ぼくはすぐに近くの川に出かけた。
魚が呼んでいるというか、魚のにおいに引き寄せられるというか、釣り少年の本能がかきたてられるのだった。そんなときは川上で雨が降っていて、川の水が急に濁りはじめて水かさも増してくる。
ぼくはわくわくしながら、大岩の脇の淀みを目がけて釣竿を振る。そこには、水の濁りに異変を感じた魚たちが、避難のためかエサ取りのためか、たまたま集まっているのだった。
川のそばに、四軒家と呼ばれる集落があった。
沖縄出身のトーマ(當間)さんという人が住んでいて、馬車で材木を運ぶ仕事をしていた。若くて色の白い奥さんが、家の裏の川でよく洗い物をしていた。かたわらの浅瀬では、アヒルが数羽いつも泳いでいて、のどかな川瀬の風景が広がる場所だった。
ある日、トーマさんがなにやら叫びながら、血相を変えて走り回っていた。あとで知ったのだが、奥さんが川の浅瀬に顔を浸すようにして死んでいたのだった。
いつものように、洗い物をしていて貧血を起こしたらしいとか、自殺をしたのかもしれないとか、おとなたちの間で噂がたっていた。
釣り少年のぼくは、その人はきっと魚になったのだと考えた。
その頃から、ぼくはしだいに川から遠ざかっていった。
まわりの草木や風や大気が、水気をたっぷり含んで融けあうような季節がある。ちょうど梅雨の頃で、魚たちは腹を真っ赤にして産卵をする。川の瀬も狂気じみた魚たちが集まって朱色に染まるのだった。
川へ行かなくなったぼくは、そんな川の賑わいを夢想ばかりしていた。
魚たちがより魚になるための、魚になった人もより魚になるための、賑やかなのに寡黙でもある、近づきがたい川の祝祭の光景だった。
梅雨が明けると炎天の夏。
川の魚たちは、岩陰やネコヤナギの下に静かに身をひそめるだろう。大きな瀬も小さな瀬も、変わらずに流れ続けるだろう。釣竿を捨てたその時から、魚たちはぼくの記憶の川を泳ぎはじめるのだった。
ウグイはいだ
父がよく釣ってきてテンプラにして食べた
懐かしい思い出です
コメントありがとうございます。
最近はあまり食べませんが、昔は
川魚もおいしく食べましたよね。
とくにシバコが美味かった。