風の記憶

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正月は雑煮を食べて争う

2024年01月23日 | 「2024 風のファミリー」

 

すりこぎを持ってすり鉢に向かう。これが正月三が日の私の日課だった。
元日の朝は胡桃(くるみ)、二日は山芋、三日は黒ごまを、ひたすらごりごりとすり潰す。
胡桃と黒ごまはペースト状になって油が出てくるまですり潰し、山芋はだし汁を加えながら適度な滑らかさになるまですり続ける。
胡桃と黒ごまのペーストには砂糖を加えて甘くする。これに雑煮の餅をつけながら食べるのだが、これは岩手県三陸地方の一部に伝わる風習のようで、カミさんは子どもの頃からずっと、この雑煮を食べてきたという。

私は最初、こんな甘い雑煮を食べることにびっくりしたが、これをカルチャーショックというのだろうか、もともと、この種の驚きを好んでしまう性癖から、面白いね、珍しいねなどと言いながら食しているうち、この甘い雑煮がしっかりわが家に定着してしまい、これが正月三が日すり鉢に向かう私の苦行の始まりとなった。

このような独特な風習にも、すっかり慣れてしまうほど古い話になるが、カミさんとの出会いは東京生活の頃だった。彼女は会計事務所に勤め、私は小さな出版社で雑誌の広告を作っていた。
そのころ彼女は両親と一緒に暮らしていたが、両親は岩手で事業に失敗して東京に出てきたと聞いた。父親も母親も東北弁で、彼女も家では親の言葉につられて訛ったりするのだが、ところどころ判ったり判らなかったりする言葉の曖昧さが、かえって新鮮で快い響きとなって伝わってくる。それは九州出身の私にとっては興味深い言葉だった。

宮沢賢治や石川啄木の作品にも関心をもっていた私は、「あめゆぢゆとてちてけんじや」とか「おら おらで しとり えぐも」といった賢治の詩語や、啄木の俳句「ふるさとの訛りなつかし停車場の人込みの中にそを聞きに行く」の、啄木の「そ(方言)」をナマで聞いているようで感動してしまうのだった。
それまで馴染みのなかった言葉で、それも体の芯から出てくるような濁音の多い言葉を交わしながら、家族というものがひとつになって生きている。東京でずっと孤独な生活をしてきた私は、そんな家族の温もりのようなものに、いきなり包み込まれてしまったのだった。

結婚式には、北の方からと南の方からのそれぞれの親類が集まった。
ちがっていたのは言葉だけではなかった。顔はもちろん体型までもまるでちがって見えた。私の方は背が高くて痩せ型で、顔も細おもてなのに対して、彼女の方はがっちりした体格で顔も大きくてゴツかった。
のちの話だが、彼女の方にはアイヌの血が入っているにちがいないと私が言うと、あなたの方こそ渡来人だと言い返してきた。お互いにアイヌや渡来人を蔑視して言ったわけではなかったが、異人種に接するような感覚は拭いきれず、この第一印象は、男と女の違いや性格の違い、感覚や思考の違いとともに、夫婦の間に人種問題まで残してしまったようだ。

それでも正月三が日は和やかに雑煮を食べる。
元日の朝は、雑煮の餅をペースト状にした胡桃にまぶして食べる。東北地方では、美味しいことを胡桃味という表現も残っているそうだから、これはやはりご馳走なのだろう。
二日の朝は、ご飯を炊いて山芋をかけて食べる。これもシンプルで美味しい。食膳には南部の鼻曲がりという鮭も並んだが、いつしか岩手の身内も亡くなってしまい、鼻の曲がった鮭にもお目にかかれなくなった。
三日の朝は、黒胡麻のペーストを餅につけて、黒っぽいグロテスクな雑煮を食べる。北と南が融合した平和な正月の食卓である。

けれども、めでたく平穏な時は長続きはしない。
四日の朝には、すりこぎのことで喧嘩になった。すりこぎがすりへっているとカミさんが言うので、すりこぎだって木なんだからすり減って当然、なにをバカなことを言い出すのだと、それが発端だった。
すりこぎの減り方などどうでもよかったのだが、その減り方に日頃の怨念を感じたのかもしれない。そんな些細なことから国境を越えてしまうのがわが家の事情で、アイヌと渡来人の誇りを背負っているかのような、まさに異民族の争いにまでなってしまう。
いつまでたっても、すりこぎではすり潰せないものがあるのだった。


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