
何日か留守にしていた間の新聞を、あとになって拾い読みしていたら、4月19日は旧暦の3月24日で、壇ノ浦の戦いがあった日だとの記事が目に入った。
およそ800年後のその日、ぼくは瀬戸内海を航行するフェリーの船上にいたのだった。
次々に移り変わる大小の島々の風景が、いま思い返すと無数の船団にもみえてくる。
祇園精舎の鐘の声、平家軍は一ノ谷の合戦に破れ、海を渡った屋島の戦いでも大敗。瀬戸の海を西へ西へと敗走する。そして旧暦3月のこの日、8歳の安徳帝を抱いた清盛の妻二位尼が海に身を投げ、盛者必衰の理(ことわり)、一族の栄華はついに海の藻屑となったのだった。
時の天下の動静が移り変わるように、穏やかにみえる瀬戸内海の潮の流れも定まってはいない。
手漕ぎ舟の時代の舟戦さは、潮の流れを見ることが勝負の決め手となった。
潮を見るということは、月を見るということでもある。月の満ち欠けによって、潮の流れは大きく変わる。とくに瀬戸内海のような小島が多い狭い海域では、場所によって川の激流のようにもなる。いつだったかしまなみ海道を渡ったとき、そんな光景を見たことがある。
旧暦の3月24日頃は下弦の月で、比較的おだやかな小潮。
それでも関門海峡の潮の流れは、大きく動いたにちがいない。午後の1時頃には東へと流れて平家に有利だったのが、3時頃には一転して西へと逆流を始めた。流れに乗るのと流れに逆らうのとでは大きな違いだ。潮の流れに乗った源氏の勢いに押されて、平家の船団は総崩れとなったという。
現代の大型フェリーは、ほとんどコンピューターで操舵されているらしい。
潮も月も関係なさそうだ。予定時刻どおり正確に、瀬戸内海にかかる三つの大きな橋を潜り抜ける。人の力を超えた巨大な船は、目に見えない手によって動かされているようで、暗い夜の海上ではかえって不気味でもある。
真夜中、ごうという音に体が揺り動かされ、とつぜん目が覚めた。遠くで低いエンジン音が響いていたが、船はあいかわらず静かに航行をつづけていた。
大きな波をかぶったような衝撃で起こされたのは、耳慣れないエンジンの音と振動に、寝ぼけた体が異常を感じたせいだったからかもしれない。あるいは夢の中で聞いた、古い海戦の鬨の声だったのだろうか。
眠れなくなって船窓に顔を近づけてみると、そこも夢の続きでもあるかのように、闇の中に半分欠けた月が海に浮かんでみえた。