昔は近所に子どもがいっぱいいた。
親戚の家もそうではない家も、いずれの家にも子どもが沢山いた。みんな似通った年齢だったので、ごっちゃになって遊んでいた。ときには大人や老人や犬までも混じっていた。
母の実家は隣にあった。
母が子どもの頃、家は餅屋をしていたので、その名残りだったのだろうか、家の前に大きな縁台があった。餅を買ったり食べたりする通りがかりの客が、その縁台で一服する、そのためのもだったのだろう。
夏の夕方など、その縁台で将棋をする。始めのうちは子どもたちだけで、遊びのヘボ将棋をしているのだが、だんだん大人まで集まってきて、ああだこうだと指図を始める。
岡目八目という言葉もあるが、周りや高みから見ている方が、形勢判断がしやすいようだった。それで周りがうるさくなって、いつのまにか誰が将棋を指しているのか分からなくなるほどだった。
そんな場に父が出てくると、父はぼくの味方をすることになる。
それがぼくは嫌だった。わざと父の指図とはちがう駒を動かそうと必死で考える。自分が思ったように駒を動かしたいのだ。だが父より良い手が浮かばなくて焦ってしまう。
父親がわが子の味方をするのは自然なことだったのかもしれないが、相手にも相手の応援がつく。次第に誰が将棋を指しているのか分からなくなり、勝敗の楽しみも失われていくのだった。
あの縁台将棋の日々は、もう遠い夏の記憶になってしまった。
いつも決まった相手と、決まった手ばかり指しているうち、たぶん将棋にも飽きてしまったのだろう。それに子どもたちも成長し、縁台の夏も忘れられることになったのだろう。
桂馬が歩の餌食になってしまうのは悔しい。飛車手王手はさらに悔しい。飛車はどんなことがあっても相手に取られたくはない。
結局は飛車も桂馬もうまく使いこなせなくて、その悔しさだけが、いまも心のどこかに残っている。
いま将棋の天才が勝ち進んでいる。
おかげで将棋への関心がすこし戻ってきて、棋譜をのぞいてみたりする。プロもアマも飛車は飛車だし桂馬は桂馬、歩もまったく同じ歩であることが懐かしい。でも駒の動きはまったく違う。やはり天才は天才なのだ。棋士は勝っても負けても静かに頭を下げる。そして黙ってお茶を飲む。
ぼくらの、あの縁台は騒然としていたが、それぞれの駒の動かし方だけは覚えた。その駒をうまく使うことまでは届かなかった。いまは将棋でごまかせる相手もいない。