姪の結婚式に招待され、九州に帰ってきた。
私の九州への道は、瀬戸内海の海で繋がっている。そこにはいつもの慣れた道がある。詳しくはわからないが遥かなとき、海を渡った種族の血が海の道へと誘うのかもしれない。祖父は四国から九州へ渡った。父は大阪から九州へと渡った。私は九州から大阪へと渡った。海を渡ることによって、体の中の血も沸きたち動くような気がする。
航行は夜なので、点在する島々の小さな明かりしか見えない。闇に浮遊する、あやふやな光の道しるべに誘導されるのが心地いい。おだやかな潮の流れに浮かんで、日常とは違う波動で夢のなかを西へ西へと運ばれていく。海の道は忘れていた何処かへ戻ってゆくような、緩やかな夢路でもある。
夢から覚めると、朝もやの海に浮かび上がってくる、山のかたちと風のにおいが懐かしい。深く深呼吸をして、すべての風景を吸い込みたくなる。山が街が空が大きな塊となってゆっくりと近づいてくる。
フェリーのエンジン音がいちだんと高くなって、船腹がすこしずつ岸壁に寄っていく。港の人や車やコンテナなど、地上にあるもろもろのものを引き寄せてくる。
海上ではほとんどコンピューターで航行するという9千トンの巨大な船体が、エンジンを止めると港では細いロープで岸壁に繋がれていく。大きな動物が急におとなしくなったようだ。
ここから海の道は陸の道に切り替わる。地上に降り立つと九州の朝がもう始まっている。快晴の空に向かって、山の端が朝陽を背に受けて輝いている。人も車も忙しく動いている。
新緑の明るい丘の上に、ひととき知った顔や知らない顔が集まった。神父もいない、仲人もいない。セレモニーは若い感覚と熱気で演出され進行されていく。会堂の大きくて白い壁面がスクリーンとなり、ふたりのそれぞれの成長の記録と、ふたりの出会いとその後のスナップが映し出される。いくどもフェードインし、フェードアウトする。
映像の過去から祝宴の現在へと、長いカーテンがいっせいに開かれると、戸外がオープンになり、緑色の陽光が会場いっぱいに流れ込んでくる。自然のスポットライトの中で、華やぎは光の中で光を放ちながら始まり、光のように速やかに過ぎ去る。木々の緑と風と、花々の輝きとゆらぎと、歓声と喧騒とフラッシュと、初夏の季節のように豊穣なざわめきがあった。
最後にふたたび暗転。
壁面にはふたりのスナップを背景に、映画のエンドロールのようにつぎつぎと列席者の名前が映し出された。それぞれが自分の名前を見つけては、きょうのキャストの一人だったことに満足する。そして、感動を共有しながらフィナーレへ。
車椅子で参列した母は、だれの結婚式や、と会う人ごとにたずねる。生まれた時から近くで育った孫の花嫁姿をなかなか認識できない。2階で跳びはねて天井の埃を散らしていた、おてんばな女の子しか知らないと言う。母の記憶はとおい過去の波間を漂いつづけている。今日という日に居ながら、今日という日に居ない。明かりの見えない海を渡ろうとし始めているのかもしれない。
海の道はどこまでも続いているようだった。
「2024 風のファミリー」