だいぶ以前に『あいうえお88詩』というタイトルで、詩を書きつづけていたことがある。
まず「あ」のつくタイトルの詩を書く。
例えば「愛」だとか「朝」だとか、「い」は「入口」だとか「田舎」といった具合。
その頃は、発想の貧しさを五十音に頼って、むりやり言葉を引き出そうとしていたようだ。
そのうち、子どもの頃から自然になじんできた「あいうえお」だったのだが、いつのまにか五十音というものが、いつごろ誰によって作られたものなのか、脇道の方が気になりだしたのだった。それで少しだけ寄り道をしてみたことがある。
調べてみると(既にご存知の方もおられると思うが)、ぼくにとってはまったくの新しい知識だった。
起源は意外に古かった。有名な『いろは歌』よりも更に古く、平安時代にまでさかのぼるという。
さらに、ルーツは遠くインドにあった。
インドの古典語であるサンスクリットを表すために作られた、デーヴァナーガリーという文字の配列が源流らしい。
当時のインドで発達していた「悉曇学(しったんがく)」という音声学が、仏教とともにわが国に伝わり、「あいうえお五十音」の下敷きとなったらしい。
日本ではデーヴァナーガリー文字のことを「梵字(ぼんじ)」と呼び、そこから五十音図というものを仏教の僧侶が作ったと考えられている。
梵字の母音の基本は「ア」「イ」「ウ」であり、「ア」と「イ」の組合せの「アイ」が「エー」「エ」となり、「ア」と「ウ」の組合せ「アウ」が「オー」「オ」となって「アイウエオ」の5つの基本母音字ができた。五十音図の基本配列は、この梵字の母音配列に習ったものだという。
その頃の日本語には「S」の音と「H」の音がなく、「サ」は「チャ」で、「ハ」は「ファ」あるいは「パ」だった。したがって、最初の五十音配列は「アカチャタナファ(パ)マヤラワ」だったらしい。ちなみに花は「ファナ」あるいは「パナ」と発音されていた。
一方「あいうえお」以外の子音には、調音点(口中で音を出すところ)というのがあり、梵字の子音の配列は、この調音点が口の奥にある音から、次第に口の前にある音へと並べられているという。
「ア」は子音がなく、母音がそのまま声帯から出てくる音なので、五十音図のいちばん最初に置かれることになった。
「カ」の子音である「K」は、口の一番奥で息を破裂させて音を出し、「チャ」(のちの「サ」)は「カ」よりも少し前の位置で破裂させる。「タ」になると舌が歯の内側まで出てきて接触する。「ナ」は「タ」と同じ状態だが声が鼻に抜ける。次の「ファ(パ)」(のちの「ハ」)になると、調音点は唇にまで出てくる。
最後に「マ」で唇は完全に閉じた状態になり、「カ」から「マ」へと調音点が口の奥から唇へと順に移動しているのがわかる。
残る「ヤ」「ラ」「ワ」は半母音と呼ばれるが、これも子音と同じように調音点の移動に従って並べられた。こうして五十音の順列が決められたようだ。
なお、五十音図の最後は「ン」であるが、これは「ン」という音自体が、日本語の歴史の中で遅れて出てきたことによるらしい。遅刻した者は列の最後に並ぶということか。
あらためて「あいうえお」と声に出してみると、なんだか遠いインドや古い仏教の香りが、音の響きにこもっているような気がしなくもない。
かつて「あいうえお」の五十音に誘発されて、ぼくのポエジーはあちこちを彷徨ったのだが、実のところ詩作の初心者ゆえ、迷路に行き詰まっていただけのようである。
そのせいで思わぬ道草をして、88編の詩作は完遂することができなかった。